第11話 はじめてのハンバーグ

 ただいまー、と部屋に足を踏み入れた私は、タブレットを持ったままうつ伏せで微動だにしないセイヤを見て、飛び上がらんばかりに驚いた。

 そりゃそうでしょ。留守番はまかせろ、と言って笑顔で送り出した同居人が、帰ってきたらただでさえ白い顔を余計に白くして床に伏せっているんだから。


 「ちょっと、セイヤ! あなた、一体どうしたの!?」


 私は重い荷物を玄関に放り、セイヤに駆け寄る。荒っぽい心の中でゴメンと謝りながら仰向けにして、首に手を当て、鼓動を確認する。あんまり分からなかったので、胸元に耳を押し当てた。

 ……よし、ちゃんと動いてる。

 呼吸も問題ないようだけれど、一体どうしてしまったんだろう。起こしたいけれど、揺すったりしたらまずいのかな?

 そんなことを考えていたら、せいやが身じろぎをした。


 「……っ」

 「え、セイヤ? ちょっと、大丈夫!?」

 「肉味噌炒めグリセリン……」


 寝言である。

 つまり、なんだ。こいつは気絶している訳ではなく、体調が優れない訳でもなく。ただ寝ていただけか。

 ――このやろう、心配させやがって。焦った自分が馬鹿みたいじゃないか。

 私は胸を撫で下ろすと、寝室からタオルケットを持って来てせいやに被せた。いくら晴れとはいえ、4月はまだまだ肌寒い。


 「ほんっとうにもう、ビックリさせないでよー」


 そう言いながら頭を小突くと、セイヤはなんだか分からない寝言を呟く。

 本人は1万とんで21歳だと言っていたが、私の目の前ですやすやと可愛い寝息を立てるこいつは、とてもそんな年には見えなくて。

 そうっと人差し指で頬をつつくと、思ったよりも固い感触。


 (アトリア、か)


 私は、つい先ほど体験したばかりの、あまりにも奇天烈な出会いの事を思い出していた。

 世間で大人気の、中二病系アイドル・星也せいや君。

 偶然彼に会っただけではなく、せいやくんがファンタジー全開の魔法を使えて、そしてアトリアという名の弟を探している。

 その弟君は、彼と同じ黄色の鉱石を持っているという。

 今のところ心当たりは全くないけれど、何かの形で力になってあげたい、とは思う。


 「ハンバーグヴェンタギュゥ……」

 「――これがセイヤ君の弟? ないわー」


 私は頭に一瞬だけ浮かんだ疑念を即座に斬り捨て、キッチンへと向かう。

 そう。まだ玄関には、食材の入った袋がほったらかしになっているのだ。幸い、卵は割れてはいなかった。

 私はテキパキと買い込んだ野菜やら肉やらを冷蔵庫に詰め込むと、フライパンをコンロにかけ、葱と卵を手に取った。



 同年、同日。午後7時11分。

 結局、セイヤはお昼になっても目を覚まさなかった。しょうがないので、私は在り合わせの食材で作ったチャーハンを食べて、午後は洗濯物を干したり畳んだり、お風呂の掃除をしたり。

 私が夕食の準備をしていると、キッチンから漂う匂いにつられたのか、ついにせいやが目を覚ました。


 「……おはよう」

 「おはよう。あなた、リビングで爆睡してたよ?」


 私が指摘すると、セイヤは何のことか分からない、という表情をした。

 ……こいつ、分かってないな? また記憶を失ったんだろうか。


 「帰ってきたら、仰向けでぶっ倒れてるんだもん。びっくりしたよ」

 「俺が、寝ていた」

 「そ。寝てたの」

 「そうか。なんだか、とっても大切で、悲しい夢を見ていた気がするんだ」


 そう言って、セイヤは目を瞬かせる。

 物悲しい口調。それに加えて、瞳に走る青い線が揺らいで、それが余計にせいやの悲しみを表しているように感じた。

 記憶を失っている彼にとって、忘れるというのは私が思っているよりも堪えるんだろう。

 私はセイヤの沈んだ気持ちを払拭すべく、コンロに火を付け、2人分のハンバーグを焼く。


 「なんだか、いい匂いがする」

 「ハンバーグ。スーパー行ったら、卵が安く売っててさ。元から、今日のお夕飯はこれにする予定だったし、どうせなら多めに作っちゃおうかなって。あんた、これ食べた事ないでしょ」

 「ない。うん、ないな。どんな味なんだ?」

 「それは、食べてからのお楽しみっ」


 苦節7年、母に仕込まれたハンバーグの作り方。玉ねぎはみじん切りに。半分は飴色になるまで炒めたら、冷蔵庫へ。もう片方は、粗みじんに刻んでおく。ボウルに挽き肉・小麦粉 ・卵を入れ、冷蔵庫の玉ねぎも投入。

 市販のハンバーグの素を入れて、ぐっちゃぐっちゃとかき混ぜる。手の温度でお肉の脂が溶けてしまうから、素早くかつ丁寧に。

 粗みじんにしておいた玉ねぎを入れて、全体が纏まってきたら、掌に収まるぐらいの量を取って、ひたすらに空気を抜く。


 「それ、なにをしているんだ?」

 「ひゃっ!? ちょっと、いきなり後ろに立たないでよ」

 「気になったんだから、しょうがないだろう。それより、さっきから何をしているんだ?」


 そう言って、せいやは私の手元を見つめてくる。

 うー、見られると緊張するんだけどな。だが、今は目の前の料理に集中しなくては。私はせいやを視界に入れないようにしながら、ハンバーグの種を作る。


 「ハンバーグの種を作ってるの。こうして空気を抜いてあげないと、焼いた後にお肉が割れちゃうし、肉汁が外に出ちゃうから」

 「そうか。なんだか、楽しそうだな」


 楽しそう、か。さっき寝言で呟いていました内容は、私の耳にばっちりと届いている。

 きっと、記憶を取り戻す前は食べていたんだろうな。あんなに幸せそうに言うのだから、大好物だったんだろう。


 「あとは焼くだけだから、大人しく待ってて」

 「俺に何かできることはないか? 座っているだけというのも、落ち着かないんだ」

 「んー……、そうだな。なら、お皿を出してくれる? あと、ご飯とお味噌汁よそって」

 「わかった」


 私が指示を出すと、せいやはどこか嬉しそうに食器棚からお皿を並べ始めた。ご飯は私が少し少なめに。反対に、せいやの分はわりかし多めに。

 お味噌汁の分量は、私が多めで、せいやが少なめ。まったく正反対だけど、まあ、なんだ。悪くないよね。


 私は焼けたハンバーグをお皿に盛りつける。お母さんのレシピ通りに作ったから、失敗はしていないと思うけど。


 「はい、できたよ!」

 「――おお。おおっ。おお! これが、これがハンバーグか。美味しそうだな、凄く!」


セイヤはお箸とフォークを両手に持って、目を輝かせている。その姿は、まるで小さな子供のようで、私は思わず吹き出してしまった。

 「何故笑うんだ」と、途端に不満げな表情になるセイヤにごめんごめんと平謝りして、私はセイヤに向かい合って座る。今日のお夕飯のメニューは、ご飯にワカメと豆腐と葱のお味噌汁、ハンバーグにサラダ、粉吹き芋。


 「頂きます」

 「いただきますっ!」


 私はお味噌汁に箸を伸ばし、セイヤはハンバーグに一直線。

 うん、我ながらいい塩梅の味付けになっている。さて、セイヤの反応は?

 当の本人は、大きく切り分けたハンバーグを口いっぱいに詰め込み、咀嚼している。あーあ、口の周りにソースがついちゃってるよ。


 「えっと、どう?」


 当然、セイヤにも食材の好き嫌いはあるだろうし、味の好みだってあるだろう。

 一番の懸念を払拭しきれないまま、恐る恐るセイヤに尋ねる。

 セイヤは、ごくり、と喉を鳴らして飲み込んだ後――、


 「――うん、美味い。美味いよ、ハンバーグ。俺、好きな味だ」


 今日一日の終わりを楽しい夕食で締められたのは、とても幸せだった。



 次回の投稿は、4月10日(金)の、22:30を予定しています。

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