第2話 イケメンって存在自体がずるいよね

 翌日。4月1日。午後1時23分。

 弊社・株式会社ハンブルグもひと悶着合ったものの無事に前年度を終え、今年度は幸先のいいスタートを切った。

 かく言う私も、今年度の業績によっては昇進するチャンスがあるらしいので、今から必死こいて仕事をこなしている。


 「深山さん、この日のスケジュールなんですけど――」

 「はい。明日の15時からは、有限会社apple juiceの斎藤さんと会議が。このファイルに必要な書類を纏めておきましたので――」

 「内田君、例の報告書はまだかね?」

 「ふわあっ! あの、作成中です……」

 「なるべく早く提出したまえ」


 お昼休み終了間近に、外回りから帰って来た営業部の方々とか事業部の方とかが事務に押しかけてくる。私はなるべく簡潔に済ませ、カウンターの前に並び始めるのを防ぐ。隣では、紬ちゃんが課長からの催促に慌ててキーボードを叩いていた。

 おのれ、こんなに忙しいのはなんでだ。……まあ、分かってるんですけど。年度初めだからですね。

 ゆっくりお茶を飲む暇もない。ちくしょうめぇ!


 「あ。秋山さんだ」


 私が内心で悪態を吐いていると、紬ちゃんが2人の部下を引き連れた秋山先輩を見つけた。きっと、お昼はあの2人と一緒に取ったんだろうな。三島君と山崎さんだったかな? すっごく嬉しそうにしてるもん。

 ……いいなー。私もお昼、一緒に食べたい。

 そんな事を考えていた所為で、私は秋山先輩が話しかけてきたことに気付かなかった。


 「――やまさん。深山さん、聞いてます?」

 「へあっ!? ききき、聞いてませんでした、ごめんなさい。えっと、何でしょう?」

 「今日、先方様から貰って来た資料の保管をお願いします」

 「はっ、はい! では、お預かりします」


 秋山先輩は怪訝そうに私を見ながら、資料を差し出す。うう、やっちゃったなぁ。絶賛片思い中の相手にこんな醜態をさらすなんて、引かれてもおかしくないよね。

 でも、私の醜態に秋山先輩は笑うことなく、顎に手を当てながら何事かを考えていた。


 「あのー、先輩?」

 「ん? ああ、すまない。今行くよ」


 そんな先輩に、三島さんが恐る恐る声を掛ける。

 秋山先輩は小さく頷くと、2人を連れて営業部のある階段を上がっていった。と、思ったら、2人を先に上がらせてこっちに戻って来た。何か伝え忘れたことでもあるんだろうか?

 そう思って身構えていたら、カウンターの向こうからグッと顔を寄せて私に向けて囁いた。


 「深山さん、もしかして風邪でも引いた? なら、今日は早く上がって安静に、ね」


 それを聞いた私のテンションは、言葉では言い表せない。

 囁かれた方の耳がカッと熱くなって、ぞわぞわする。近くで見る秋山先輩の顔はやっぱり端正でカッコよくて、男性なのにまつ毛長いなーなんて思ったり。

 スーツから香る爽やかな香水が、良いもの使ってるんだろうなーって思ったり。

 でもでも、その匂いは全然気にならなくて。彼が見つけいているネクタイだって、すっごく似合っていて、色合いも爽やかだなーって。

 あまりにも近くで囁かれたものだから、私は緊張のあまりこくこくと無言で頷くことしか出来なかった。


 「……遥風さん。顔真っ赤ですよ?」

 「う、うるさいっ。言われなくても分かってるよっ」

 「それにしても、ホントあの人イケメンですね。あんな事されたら私、一発で落ちる自信ありますよ」


 紬ちゃんがなんだか面白くなさそうな顔で私を弄る。……この反応、もしかして。


 「ね、紬ちゃん」

 「? 何ですか、遥風さん」


 あんまり聞かれないように声を潜めると、紬ちゃんも同じトーンで返してくる。


 「もしかして、秋山先輩のコト、好きなの?」


 私がそう言った途端、紬ちゃんはクワっと目を見開くと、凄い勢いで首を横に振った。

 そう。例えるならば、水浴びした雀が体を震わせたときの様に激しく。


 「いやいやいや。好きじゃないですよ、あんな奴」

 「ええっ!?」

 「アイツ、会社ではものすっごい八方美人ですけど、休日はポテチ食べながら漫画読んでるような奴ですよ? しかもあれ、昔はすっごい太ってたんですから。そんな奴を好きになるなんて無理無理!」


 あ、あんな奴! 紬ちゃん今、先輩の事をあんな奴って言った!

 でもポテチ食べながら漫画は私でも無理。その気持ちはよおっく分かる。

 じゃなくて。

 私は他の誰かに聞かれてやしないかと焦って周りを見渡してみたけれど、幸いなことに周りの社員たちはパソコンを叩くかお喋りに花を咲かせるかのどちらかで。

 それにしても、紬ちゃんって随分と秋山先輩のこと知ってるみたい。話の感じからして、長い付き合いみたいだけど……。

 私の表情を読みとったのか、紬ちゃんは事も無げに言った。


 「ああ。私、秋山さんあいつと幼馴染なんです」

 「お、幼馴染?」

 「はい。アイツの家が、私の実家の向かい側にあるんです。小さい頃、よく遊んでもらってたんですよ」


 初めて知った、2人の衝撃の事実。

 なんでも、秋山先輩は紬ちゃんが小学生の時、向かいに引っ越してきたのだそう。昔は遊んでもらってたのだけど、2人が思春期を迎えてからはそんな機会も無くなってしまったようで、会社で再会した時は酷く吃驚したらしい。

 だから、紬ちゃんは年下なのに先輩をアイツなんて呼べるのね。

 あれ。でも、なんで紬ちゃんはあんなに面白くなさそうにしてたんだろう?


 「でも紬ちゃん。さっき私と秋山先輩が喋ってたら面白くなさそうにしてたよ?」

 「それは、その。私の先輩が、その――」


 途端に紬ちゃんが顔を強張らせて狼狽する。私の先輩が、なんだろう?

 先輩って私のこと、だよね?


 「?」

 「そっ、それより! もう休憩時間終わりますし、仕事再開しましょう!」

 「ちょっ、質問の答えになってないよっ」


 紬ちゃんは私の質問に答えることなく、椅子を回して体をパソコンの方に向けた。顔を朱色に染めて恥ずかしそうにする紬ちゃんはとっても可愛いけれど、なんだか釈然としない。

 悪戯しようにも、とうに休憩時間は過ぎてしまっていた。部長の目もあるし、ここは大人しく退散するとしよう。


 結局、その後はなんだかんだと忙しくて質問の答えを聞くどころではなくなってしまった。就業時間はとっくに過ぎたというのに、事務の仕事は減るどころか増える一方で。

 結局、会社から出たのは終業時間を1時間もオーバーした時刻だった。



 同日。午後8時52分。

 私は借りている一室で、パスタサラダを片手で食べながら有名な動画サイトを閲覧していた。お目当ては、最近話題沸騰中の不思議系アイドル・星也せいや君。

 20歳を超えているにもかかわらず、彼の言動は中二病真っ盛りの中学生のそれ。

 普段は過激な発言が目立つけれど、生放送中だというのに時折意味もなくボーっとしたり、視線を宙に彷徨わせたり。

 顔立ちはキリッと凛々しく、目力も強いから人を寄せ付けない雰囲気を纏っているのに、何故か気になってしまう。


 動画サイトでは、現在星也くんの生放送が行われていた。話題は、日本のエイプリルフールついて。

 そこで初めて、私は今日が4月1日だったことを思い出す。職場ではそんな話題なんて一切出なかったし、紬ちゃんとお昼ご飯を食べている時は星也くんの話題で持ちきりだった。


 と、いうか。

 何故だか分からないけれど、私がどんな嘘をついてもあの子は直ぐに分かる。それはもう、あっさりズバッと見抜いてしまうのだ。

 紬ちゃん曰く、過去の行動が読めるのだそうだけど。詳しく聞こうとしたのだけど、その時はなんだか適当な理由を挙げて話を逸らされてしまった。


 「あーあ。私もすっごい能力持ってみたいなー。透視能力とか、投資能力とか、闘志能力とか」


 欠伸と共に飛び出したのは、いかにも自堕落な人間が考えそうな、煩悩だらけの安っぽいチート能力だった。

 でもでもだって、しょうがない。透視が出来れば、例えば秋山先輩の部屋とか、紬ちゃんのお風呂シーンだとか覗けるし。投資で儲かれば、汗水たらして働く必要もなくなるし。闘志やる気を自在に引き出せれば、何事にも恐れずに挑戦し続けられる。

 現実はそんな能力なんて有りはしないのだから、地道に一歩ずつ進んでいく事しか出来ないのだけれど。


 「あー、世知辛い。せっかくエイプリルフールなんだからさー、私もそれにあやかりたいよねー」


 私はそんな独り言を呟きながら、食べ終えたパスタサラダの容器を台所に持っていく。容器を水で軽く流し、ゴミ箱の中に突っ込むと、クッションの上に投げっぱなしになっていたスーツをハンガーに掛けるべくクローゼットの扉に手を掛けた。


 その瞬間!


 クローゼットがぶるぶるっと震動したかと思うと、まるで無数に集めたLED電球がいっぺんに輝いたかのような、あるいは無数の水晶に太陽の光が当たった時のような眩い光を発した!



 次回の投稿は、12月13日(金)の21:30を予定しています。

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