厄災のアトリア

まほろば

プロローグ

 「……座標入力。現在位置を起点として、到達地点を391光年先に設定。目標到達地点、天の川銀河・オリオン腕外縁部、太陽系第三惑星・地球」

 《座標入力完了。警告! 現時点において、入力した宙域に地球と呼称される惑星は存在していません。警告――》

 「警告を無視。時間軸入力。現時刻から664年前の、西暦2019年4月15日」

 《時間軸入力確認、完了。警告! 300年以上前を遡っての時空間跳躍ジャンプは、航宙法第23条1項の規定により、航宙管理局長及び国土防衛軍大将の承認が必要です》

 「メモリバンクにアクセス。識別番号AF210-13398から、アドヴェンチャーにデータ送信」

 《データ受信確認。プロトコル解析、欺瞞情報なし。国土防衛軍大将、ゲシュマル・エヴィ=ノア・セカンダル並びにフィンダース・パウラ・エリーラ航宙管理局長による航宙許可証を確認》

 《警告! 300年以上遡っての時空間跳躍は、身体に計測不能な負荷がかかる可能性が発生します。実行しますか?》

 「……かまわないさ、そんなもの」


 俺はアドヴェンチャーのコクピットシートに深く腰掛け、小さく独り言を零した。

 もとより、多少なりともデメリットが生じることは想定していた。それでもやり遂げなければならない理由があるから、この場所に居るのだ。

 マニュアルを確認しながら、あちらこちらに配置されたスイッチを押す。先程まで鳴っていた警告音が消えていき、その代わりに僅かな振動が体を揺らし始める。


 「アドヴェンチャー、航宙管理システムに異常なし。通常出力で起動、データリンク開始」

 《起動確認。パワーレベル60~88まで上昇。黄鉱石おうこうせきに電力供給開始。薬室チェンバー内、外部要員の退去を確認》


 ズシン、という大きな振動の後、駆動音が聞こえ始める。

 アドヴェンチャーのモニターからは、整備要員が慌てて薬室の外へ出ていく様子が確認できた。その直後、薬室内に青白い光の壁が出現する。

 時空間跳躍ジャンプでは、1度の跳躍で凄まじい電磁波と放射線、それに衝撃波が発生する。

 内側に発生したシールドは、これらから外側を守るためのものだ。


 《薬室内、非常弁全閉鎖。シールド出現により、外部と完全に遮断されました》

 「よし。……これより、アドヴェンチャーによる第6次跳躍実験を開始する。実験対象者は、アトリア・エヴィ=ノア・セカンダル」

 《現時刻より、第6次跳躍実験開始。タイムスケジュール始動。14:00の時空間跳躍まで、あと10分》

 

 俺は静かに目を閉じて、大きく深呼吸する。瞼の裏に浮かんだのは、嘗て訪れた美しい星での、彼女との記憶。


 (——君と観た景色は、総てが美しかった)


 海の向こうから、ゆっくりと昇って来る眩い朝陽も。

 見つめれば吸い込まれそうな、それでいて何処までも透き通った蒼空も。

 漆黒の夜空を彩る、無数に輝く星たちも。

 限られた一日の中で、それでも生を謳歌する人間達も。

 厳しい自然社会で、それでも生きようと足掻く動物たちも。

 命の終わりを悟っていながら、それでも前を向くこの星の命たちが。


 その総てが、ただただ美しかった。

 幾度も生をやり直せる俺の目には、とても眩しく映ったんだ。

 そう見えた理由は、分かってる。君が隣にいたから。俺の隣に、居てくれたから。

 ほんの僅かな不満で怒り、ほんの些細な哀しみで泣き、ほんの少しの幸せを喜び、ほんのちょっとのすれ違いでも、楽観的に物事を捉えられる。

 人一倍、感情豊かな君と、一緒に居たから。実際に過ごした期間は、半年にも満たなかったけれど。それでも、俺は確かに幸せだったんだ。


 だからこそ、俺は今、途轍もない後悔をしている。なぜ救えなかったのかと、自責の念に苛まれている。

 俺が望んだのは、きっとこんな思いをする為じゃない。

 今を精一杯楽しむ君と、一緒に笑いあう。

 ただ、それだけでよかったのに。


 滅びを迎えた星を、コックピット内の大型モニターで眺める。

 かつては青く美しい星だったが、今では真っ二つに割れ、灼熱の炎によってどす黒く焼けただれている。

 きっと、もう生きている命なんて存在しない。

 あの美しかった風も、優しかった海も、静かだった大地も。

 俺が、全てを掛けて守りたかった君の墓標も。


 もう、あの場所にはなにも無いんだ。


 《情報入力完了。パイロットデータ更新完了。量子演算開始》

 「エンジン始動。生命維持装置一部解除」

 《起動データ、座標データ、バイタルデータ修正完了。運動パラメータ更新。次元跳躍システム起動》

 「アドヴェンチャー、出力上げ。通常出力から非常出力へ。第1・第2セーフティ強制解除」

 《薬室チェンバー内圧力上昇。アドヴェンチャーから四次元軸へ回路、接続開始》

 「リニアボルテージ最大へ。メインスラスター点火。外部黄宝石からの電力供給終わる」

 《亜空間ゲート開放確認。外部電源切り離し完了。次元跳躍まで、120秒》

 「各種波形異常なし。アドヴェンチャー、最大出力で固定」


 それでも。

 俺は、君のことを諦められないから。

 君の未来を、君の愛した星の未来の結末がこんなにも残酷だったなんて、認められないから。


 (俺は、今度こそ間違えない。運命という名の不可避の理でさえ、無限に生じた事象の1つに過ぎないのだから。だから、きっと変えることが出来る。そうだろ、ハルカ?)


 決意を胸に秘め、キーボードを叩いて最後のコマンドを入力する。アドヴェンチャーを固定していた装置が外れ、機体が黄金色のシールドに包まれた。これで、すべての準備が整った。


 《次元跳躍まで30秒。カウントダウンを開始します。27、26、25――》

 「母さん、行ってきます。なるべく早く帰るから」


 だから、もう一度だけ、旅に出る。君と再び出会った過去へと。

 ただ、心の底からどうしようもなく湧き上がる、俺の感情のままに。

 俺は逸る気持ちを抑え、次元跳躍装置の操縦桿を握りしめる。


 《次元跳躍10秒前。9、8、7、6、5、4、3、2、1》

 「次元跳躍ジャンプ!」


 目指すは地球。今は亡き彼女が愛した、数多の命の故郷へ。

 脳裏に焼き付いたあの無残な光景に頭を振って否定すると、俺は次元跳躍装置を駆って、真上に空いた漆黒のゲートに飛び込んだ。

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