第8話:お誕生日なんてどうでもいい

 昨日からマミの様子がおかしい。

 昨日の朝はマミが迎えに来なかった。おかげで学校には遅刻したし、なんでか知らないけど母には叱られた。


「雄介、あんたマミちゃんに何をしたの?」

 慌ただしく家を飛び出す僕を送り出しながら母が僕に訊ねる。

「何もしてない」

 本当に何もしていない。していないから正直に申告した。

 ところが、それで叱られた。

「あんた、だからダメなんじゃない? 男の子なんだからもっとガバーっと行きなさいよ、ガバーっと」

 母よ。僕はそんな風に育ててもらった覚えはない。


 その日の夕方、マミはいつの間にかに教室からいなくなっていた。

 そして今朝もマミは迎えに来なかった。一応ギリギリの八時二十五分まで待ってみたけどマミは来なかった。


 来たら来たで鬱陶しいが、来なければ来ないでそれは寂しい。

 もっと寂しそうにしているのが僕の母だ。今朝も朝ごはんの準備をしていたのに、主のいないホットケーキが虚しく湯気を立てている。

「あんた、今日マミちゃんに会ったらちゃんと謝るのよ?」

 母はホットケーキを片付けながら僕に言った。

「でも、僕何も悪いことしてないよ」

「してても、してなくても、とりあえず謝っときなさいな。男の子なんだから」

 なんじゃそれ。

 悪いことをしたのであれば謝るのにやぶさかでもないが、何が起きているのか判らないのでは謝るもクソもない。

 一体、何が起きているんだろう。


 教室に入ると、すでにマミは登校していた。

 しかし、僕がクラスに入った途端、すぐにぷいっとそっぽを向いてしまう。

「あ、あの、マミ?」

 僕はとりあえずマミの隣に行くとマミに声をかけた。

 だが、

「ねー、カレンー、宿題見せて〜」

 とすぐにどこかに行ってしまう。

 

 あれ? ひょっとして避けられてる?


 昼休み。僕は母が持たせてくれたスーパーサイズのお弁当を持ってマミの席に行った。

「あの、マミ?」

「何、

 マミの態度は何だかよそよそしい。

「あの、お弁当、一緒に……」

「わたしは大丈夫。持ってるから」

 マミは購買で買ったと思しきビニール袋をぶら下げると

「レイナー、お昼一緒に食べよ」

 と僕の知らない友達の方へ走っていった。

 重たいお弁当がとても虚しい。

 僕はどこか寂しい気持ちとシコリを心に抱えたまま、一人寂しく風の強い屋上でお弁当を半分だけ食べた。


 マミのいない帰り道はどこか寂しい。

 いつもは子犬のようにつきまとうマミが今日はいない。

 仕方がないので一人で漫研の部室に立ち寄ったが気が乗らない。

 僕は太田先輩に言われた通りに石膏像を何枚かデッサンしてみたが、どうにも気分は晴れなかった。

「……いつも一緒にいる子は今日はどうしたの?」

「背中越しに太田先輩が僕に訊ねる。

「判らないです」

 正直に僕は答えた。

「昨日から、なんだか疎遠なんです」

「……ふーん」

 太田先輩は鼻を鳴らした。

「……さては、フラれたね」

 嫌なことを言う。

 だが、そう言われるとそうなのかなって気がしなくもない。

 何しろマミは移り気だ。すぐにどっかに行ってしまう。

 どこか掴み所がない。いつまでもそばにいてくれる気がしない。マミとの付き合いにはそんな不安感を抱かせる不安定さがいつもつきまとっている。

「そう、かな?」

 太田先輩は椅子を回して僕の方を向くと、人差し指でクイッと眼鏡を押し上げた。

「僕が見る限り、あの子は君には可愛すぎる。誰かに取られても不思議じゃない」

「ひどいこと言いますね」

「経験からくる老婆心だよ。君も早く、もっと大人になりたまへ」

 太田先輩は妙に古臭い言い回しで僕に言うと、

「クックック……」

 と喉の奥で笑った。

 この人、『人の不幸は蜜の味』って言うタイプだ。


(マミ、どうしちゃったのかな?)

 味のしない晩ごはんを食べた後、僕は部屋に引っ込むと引き出しから秘密の人生設計ノートを取り出した。

(おかしいな。僕の人生、どこで狂ったかな?)

 書き足そうと思ったが気が乗らない。


 マミと別れて、そのまま一生独身で過ごしました?


 うーん、嫌だ。それはどうにも書きたくない。

 マミ。

 マミの顔を思い出しているうちに、悲しくなってきた。

 僕はベッドに潜り込むと、布団の中で丸くなった。


+ + +


 僕は夢を見ていた。

 いつの間にかに僕は大人になっていた。グレーのスーツに白いネクタイ。

(なんだ、これ?)

 場所はどうやらどこかの教会。荘厳なパイプオルガンが鳴っている。

 パチパチパチパチパチ……

 参列者の静かな拍手。

 ひときわ大きくなったオルガンの音に合わせて、後ろのドアから新郎と新婦が入場してくる。

 新婦は、マミだ。 

 新郎は……。


「!」

 いつの間にかに眠ってしまったらしい。

 ふと、僕は窓の外から物音がすることに気づいてベッドから這い出した。

 ガサゴソと何やら騒がしい。

 おかしいな。僕の部屋にベランダはない。窓に手すりは付いているけど、塀を越えたらすぐに通りだ。

「?」

『雄介くーん、おーい』

 窓の外からか細い声がする。

『雄介くーん、早くー』

(マミ?)

 嫌だな、ついに幻聴まで聞くようになったか。

 気になってカーテンを開けてみる。

 と、そこにいたのは本当にマミだった。

 マミが塀の上から僕の部屋に乗り移ろうとしてニッチもサッチも行かなくなっている。

「マミ!」

 ぼくは慌てて窓を開けると、落ちそうになっているマミを両手で支えた。

「はあ、死ぬかと思った」

 マミの身体は思ったよりも重かった。

 なんとかマミを部屋の中に引きずり上げる。

「よいしょ」

 マミはスニーカーを履いたまま僕の部屋の窓を乗り越えると、ずるずると部屋に上がり込んできた。

 お尻から先に着地し、部屋を汚さないようにスニーカーを脱いでいる。

 今日のマミはスポーティな膝丈のスパッツ姿。上はグレーのトレーナーだ。

「……マミ、どうしたの?」

 どう声をかけていいのか判らない。

「はあ、もう限界。もうこれ以上雄介断ちはムリ」

 にっと笑う。

「ねーねー、雄介くん、寂しかった〜?」

「……『雄介断ち』?」

「うん」

 マミが猫顔で大きく頷く。

「なに、それ?」

「ほら、お腹が空いてるとごはんが美味しいって言うでしょ? だからね、しばらく雄介断ちしてみたの」

「……」


 僕は、そんなくだらない理由のために身を揉んでいたのか。


 なんとなく腹が立ってきた。

 そんな僕の様子をマミはニヤニヤしながら眺めていたが、

「ね、雄介くん、なんか忘れてない?」

 と僕に訊ねた。

「忘れてること?」

「あとね」──とスマホを覗き込む──「五分くらいだよ」

「五分?」

 ますます訳が判らない。

「判らない」

 僕は素直に降参した。

「はい、ここでクイズタイムです。明日はなんの日でしょう? フリーアンサーで答えてください。チチチチチチチ……」

「え?」

「ブブー、時間切れです。正解は雄介くんの誕生日でした〜」

 あ、そうか。

 明日は僕の誕生日か。

 家族が何にも言ってくれないから忘れてた。

「でね、わたしも悩んだんだのだよ、色々と」

 マミが難しい顔をして腕を組む。

「何が欲しいのかなーとか。ほら、付き合いだして最初の誕生日プレゼントじゃん、わたしも頑張ったのさ」

「そうなんだ」

「でもね、なーんにも思いつかなかったの。だからね、ブツノウすることに決めたのじゃ」

「物納……」

「ちょっと待ってね」

 再びスマホに目を落とす。

「あと、三十秒。雄介くん、目を閉じて?」

 もうこの先の流れは読めていた。

 だけど、断る理由もない。

 僕は素直に目を閉じた。

「どーん」

 〇時ぴったりに、マミは僕の膝にドスッと跨った。

 僕のベットがかすかに軋む。

「さあ、抱きしめるが良いぞ。プレゼントじゃ」

「抱きしめるったって」

 一応マミを両腕で抱いてみる。

 柔らかい背中、シャンプーの匂い。

 だけど、僕はヘタレだから力を入れることはできなかった。

「もう、ヘタレだなー」

 マミが僕の顔を下から見上げる。

 マミはふと猫のように笑うと「ゴロゴロゴロ……」と言いながら頭を僕の胸に擦り付けた。

「ねえ雄介くん、わたしがいなくて寂しかった?」

「うん、寂しかった」

 僕は素直に頷いた。

「ごめんね。でもわたしも忙しかったからさ」

 マミはそっと僕の頰を右手で撫でた。


「じゃあ、プレゼント。雄介くん、誕生日おめでとう」

 すっとマミが目を閉じる。


 そのあと、僕たちは初めてキスをした。

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