第5話:三分間で、決めてね
「まーえーだーくーん♡」
朝の八時。
最近マミは毎朝僕のことを迎えに来る。
学校の始業は八時四十分だ。何も八時に来なくても。
僕はもう少し枕と仲良くしていたい。
「まーえーだーくーん」
またマミが呼んでいる。
僕の部屋は家の二階、道路に面したところにある。小学校の頃はこうして友達がよく呼びに来た。
でも、高校に上がった今では来るのはマミくらいだ。
「…………」
仕方なくベッドから這い出ると、僕は部屋の窓を開けた。
窓の下ではニコニコしたマミが両手を振っている。
「まーえーだーくーん、あーそぼ」
「……マミ、遊ぼってこれから学校じゃん。それになんで毎朝八時に来るの?」
「だって、少しでも早く顔見たかったから」
モジモジと身体をひねりながら、マミが少し拗ねた顔をする。
絶対、嘘だ。マミがそんな殊勝なことをするわけがない。
「あらあらマミちゃん、おはよう」
マミの声に気づいたのか、母が玄関の扉を開けた。
「あ、お母様、おはようございます」
お母様?
お前、いつから僕の兄妹になった? 昨日まではおばさまって言っていたはず。
母よ、昇格したものだよな。
「マミちゃん、雄介まだ寝てるのよ。さ、上がって? お茶出すから」
「はい……お邪魔します」
僕が制服に着替えて台所に降りた時、なぜかマミはパンケーキを食べていた。
「やっぱりねー、女の子だと作りがいあるわー」
母のニコニコはマックスだ。
ここ最近マミは毎日こうやってうちで朝ごはんを食べている。
家では食べていないのかな?
「雄介、あんたはバナナでいいわね? パンケーキなくなっちゃった」
なに、この格差。
「前田くん、半分食べる? 食べかけだけど」
とマミが僕の方にお皿を差し出す。
「いや、いいよ。バナナだけで」
皮を剥かれてもいないバナナだけが一本鎮座した皿と紅茶のマグカップをカウンター越しに母から受け取り、僕はマミの向かいに座った。
どうやら父はもう出たらしい。
僕には兄弟がいない。母と僕となぜかマミ。三人で朝の食卓を囲むのが最近の僕の一日の始まりだ。
…………
学校までは徒歩十五分。途中マミの家の前を通ってコンビニの角を曲がる。大通りを十分ほど歩けば学校だ。
学校は家から近いからここに決めた。たぶん同じ理由なのだろう、マミも同じ学校に入学した。
マミとは小学校三年からの付き合いだ。三年の時にマミが転校してきて、最初に一緒に遊んだのがたぶん僕。家が近かったからすぐに仲良くなった。
少し気になって指折り数えてみる。
(小学校が四年、中学が三年、高校が一年とちょっと……。もう八年になるのか)
隣ではマミがピーチクパーチク何か喋っている。大概は昨日のドラマがどうだったとか、最近やってる映画がどうとか、近くに新しいケーキ屋ができたとかの他愛のない話。ケーキの話をされてもあんまり僕の頭には入ってこない。
「……ねえ、聞いてる?」
急に耳をつままれた。
「いてて、聞いてるよ」
「やっぱし前田くんの耳ってふかふか。気持ちいー」
おい。ケーキの話はどこ行った。
学校に近くにつれ、同級生の姿が多くなってきた。
さざ波のような人の話し声と靴の音。
「おはよう」
「おはよー」
校門の前でなんとなくお互いに声を掛け合う。
「ね、」
校門が近づいてきたとき、ふとマミは立ち止まると僕の隣に並んだ。
「ん?」
「ね、前田くん、手、繋がない?」
「なんでよ?」
マミの顔が猫になっている。また僕をからかって遊んでる。
「だってー」
マミは唇を尖らせた。
「せっかく毎朝起こしてあげてるんだから、ご褒美?」
「だめ」
僕は慌てて少しマミから離れた。
「そんなことしたら変な噂立っちゃうじゃん」
「噂、上等!」
マミが仁王立ちになって人差し指で天を指す。
「ねーねー、噂になろーよ」
「いやだ、絶対」
「あ、前田くん〜」
僕は逃げるようにして校舎に駆け込んだ。
+ + +
身辺整理だかなんだかで最近マミには彼氏がいない。
今までとっかえひっかえいろんな彼氏と付き合ったのに、一体どうした風の吹き回しなんだろう。
でも、ともかくそういう訳で放課後のマミは暇だ。
なので毎日僕と帰る。
僕もマミも部活は同じ、帰宅部だ。
「ねー前田くん」
校門を過ぎたところでマミは僕の肩をぽんっと叩いた。
「ん?」
「どっかで遊んで帰らない? カラオケとかー、ゲーセンでもいいよ。あ、それともケーキ食べる?」
今日もマミは絶好調だ。後ろで見えない悪魔の尻尾がゆらゆらしてる。
ゲーセンはこの前一緒に行ってひどい目にあった。嫌だと言ったのに無理やり一緒にプリクラを撮らされたのだ。プリクラのお金は僕が出した。それで、可愛く撮れてないからってプリクラは没収された。
これじゃカツアゲじゃん。
まあ、マミと写ってるプリクラもらってもどうしていいかわからないけど。
「ダメ。今日は宿題が多いからまっすぐ帰ろう」
「もう、つまんないやつ〜」
マミが頰を膨らませる。
マミと一緒に歩くとき、僕はマミの後ろを歩くと決めている。
シャンプーが香る特等席。マミの揺れるポニーテールを見るのも好きだ。
今日のマミのリボンはピンク色だった。
僕の好きなマミの色。
ところが、どうしてだか今日はその特等席からすぐに外れてしまう。
気がつくとマミが隣を歩いている。
おかしいな、僕が後ろだったはずなのに。
ちょっと歩調を緩めて再び後ろへ。だけどすぐに肩が並ぶ。
マミとの距離がとても近い。そんなに寄らなくてもいいはずなのに、なぜか歩くたびに肩が当たる。
「前田くん、背、伸びた?」
ふとマミは隣から僕に訊ねた。
「どうかな。あんまり変わってないと思うけど」
「今、何センチ?」
「百七十四センチ」
「そっか。わたしね、百五十八センチ。ちょうどいいね」
何がいいのか判らないけど、マミがニコニコ嬉しそうに笑う。
僕たちは大通りのコンビニの角を曲がると路地に入った。ここから五分でマミの家だ。
「ねえ前田くん」
不意にマミは立ち止まった。ゆっくりと向き直り、僕の顔をまっすぐ見つめる。
「私たち、仲良しだよね?」
いつもの質問。だけどマミはなんで毎回、急に改まってそんな事を聞くんだろう。
「う、うん。そう思うよ」
僕は頷いた。
「……じゃあさ、いっそ付き合っちゃわない?」
いつの間にかにマミの猫顔は消えていた。
そういえばこんな会話、いつかしたな。
「いや、それはやめておこうよ」
この前と同じように僕はマミに答えた。
「僕は、マミの二番の方がいい」
ところが。
「ブッブー」
とマミはクイズ番組で不正解だった時のような声を出した。
「その答えは受け付けられません」
「は?」
え? なに?
「三分あげます」
と、マミは指を三本立てた。
「答えは『うん』、か、『いいよ』のどちらかです。二択です」
ちょっと言っている事がよく判らない。
だけど、マミの表情は真面目だった。
ほとんど泣きだしそうな顔。こんなマミは見た事がない。
「三分以内に答えられなければ、わたし、もう前田くんとは帰らない」
「え?」
マミはカバンからスマートフォンを取り出すとその画面を僕に突き出した。
タイマーだ。
もう周り始めている。
「あと、二分三十秒」
マミの目が少し潤んでいることに僕は気づいた。
「答えなかったら、もう朝お迎えにも行ってあげない」
「あのね、マミ、ちょっと待って」
「だめ、待たない」
言下にマミは僕のお願いを却下した。
正直、朝起こされるのは鬱陶しい。母のマミに対する態度もなんだか気に障る。
帰りにマミと一緒じゃなくても別段なんの支障もない。
「あと一分三十秒」
でも。
「返事してくれなかったら、もう口きいてあげない」
切迫感に自然と胸が苦しくなる。
「あと一分」
マミの眉が怒っている。上目づかいに僕を睨む。
「わたし、そうしたら転校する。……あと三十秒。……これが最後だよ?」
マミが僕の前から居なくなる?
「わかった、わかったよ」
僕は慌ててマミに手を振った。
「うん! いいよ! 付き合ってください!」
マミはニコッと笑うとタイマーを止めた。
「……あと、十秒だったね。雄介くん、危機一髪だ」
なんでか知らないけどマミが目を拭う。
「こちらこそ、ふつつか者ですけどよろしくお願いします」
マミはぺこりと頭を下げた。
「うん、ああ……」
なんだか狐につままれたような気持ちだった。
ふわふわするような、だけどなんだか不安なような。
「じゃ、帰ろ?」
マミはごく自然に僕の手を握った。
「五分だけ、学校帰りのデートだね」
これが、僕とマミが友達だった最後の三分間。
そして僕とマミは恋人になった。
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