第70話「執行直前」

 メランプスはこの日何度目かのため息をついた。

 メランプスがこのイフ監獄の所長となってだいぶ経つ。しかし、どうしても死刑執行は慣れることができない。死を扱うのだからそれもそうだろう。さらに憂鬱にさせるのが、刑の執行がここ最近連続していることだろう。メランプスがイフ監獄に勤めるようになってから、初めてぐらいの忙しさである。それはイフ監獄の人事異動が忙しさの最たる理由であろう。

 三日前に刑が執行されたのだが、その時の死刑囚ズートが刑直前になって暴れ、神父が大けがをするという事態になったのだ。幸い、保安官であるクベーラが駆け付け、ズートを抑え込んだので大事には至らなかった。元々検死を務める医師の異動が決まっていたのだが、それに合わせて今日の執行のために別の神父を呼ぶ必要になり、その手続き等で忙しさが倍増してしまっているのだった。

 机の上の書類を整理し、フェイオスに関する記録に目を通す。

 フェイオスは貧しい家庭に生まれ、早くに両親を亡くすと、地元のギャング組織に入り生活することになる。それからしばらくして、フェイオスはある女性と出会い、ギャングを抜けまっとうな生活をしようと志したが、ギャングの報復によってその女性が殺害されてしまった。怒りに震えたフェイオスは、元々いたギャング組織、千人近くいた組織を一人で壊滅させた。

 そこまでであれば、いくらかの同情は得られたのかもしれないが、それからのフェイオスは暮らしていくために街や国を転々としながら強盗を繰り返し、最終的にピース・メイカーにとらえられ、裁判で死刑が決定した。

 メランプスは時計を見た。午前十時だった。執行は午後三時からであるので、時間はまだあるが、準備等やることはたくさんある。

 メランプスは席を立ち、準備へと向かった。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 ミュルテが出勤すると、すでに同僚の猫型の獣人であるファドラが来ていた。会ってから一度も笑顔を見たことがなく、常に無表情のファドラではあるが、その無表情がファドラの美貌を際立たせているのかもしれない。

 二人で所長の所に行き、指示を受ける。

 まず礼拝室に入り最低限の清掃を行う。監獄の中ではあるが、この礼拝室は白を基調とした部屋で、明るさを感じる。清掃が終われば、結界の確認を行う。囚人が逃げ出したり、この部屋の中で囚人が魔法などを使えないようにするための結界がきちんと張ってあるのか確認を行う。三日前の執行の際にけが人が出たので、その確認には力が入る。

 二人それぞれが礼拝室の確認を終え、次の部屋へと移る。

 礼拝室と同じように清掃を行い結界の確認をしていると、トカゲ型の獣人、デュアが身を清めるための水を持ってきた。軽く挨拶すると、デュアは桶に水をセットし、布を置き部屋を出ていった。デュアと話したことはほとんどないが、このイフ監獄の古株であるらしい。所長のメランプスより長くこのイフ監獄に勤めていて、無遅刻無欠席の真面目な人物らしい。

 聖なる水であるが、見た目などは普通の水と全然変わらない。飲んだことはないので、詳しいことはしらないが、味もとくに変わりがないそうだ。においはどうかはわからない。犬型の獣人であるミュルテであるが、特別鼻が効くわけではない。嗅覚が優れているのは、今回の死刑囚のフェイオスのような狼型の獣人であって、自分は他の獣人と何ら変わらない嗅覚の持ち主である。

 そんな見た目は普通の聖なる水だが、ほこりなどが入らないように大切に管理されている。全身が毛でおおわれているミュルテやファドラなどは聖なる水に体毛が入らないようにするために、これらの水を扱うことはない。扱うのは毛の生えない爬虫類系の獣人が多い。

 この部屋の確認を終えると、最後の執行室の確認へと移る。部屋の清掃と結界の確認を終えると、刑の執行に使う拘束器具とコードの類の器具の確認へと移る。

 ミュルテが一通り確認を終えた後、続いてファドラが同じように二度目の確認を行う。職場に来てからまだほとんど話していないな、と思った。これから死刑を執行するのだからそれもそうなのだが、普段の職場などでもこの同僚と話すことはほとんどない。だから、同僚であるファドラに関することは何も知らないなかった。どんな過去を過ごしたのかとか、どんな生活をしているのか…とか。

 ミュルテは途中で考え事をやめた。今は大事な仕事の途中である。あまり余計なことを考えてはいけない。まあ、こんなことでも考えていないとやっていけないという思いもあるのだが。

 ファドラの確認が終わったら、続いて火葬室の確認を行い、通常通り動くことを確認したら、とりあえず刑の執行までの仕事は終わりである。後は見届けるだけである。しかし、それが一番苦しい仕事でもあるのだが。

 メランプス所長の所に行き、確認が終わったことを報告する。

「ご苦労様。今ちょうど正午か。あと三時間か。まあ、それまでちょっと休んでいてくれ」

 所長が少しやつれ気味の表情でミュルテ達に言う。緊張と疲労の入り混じった顔を見ながら、ミュルテは大変なのは自分だけではないなと改めて思った。そしてファドラの横顔を盗み見ながら、どんな激務も無表情でこなすファドラはすごいなと思った。





 十二時を過ぎ、フェイオスは礼拝室へと連れてこられた。そしてユピテル神父が豚型の獣人、イオカ刑務官の案内で礼拝室に入る。

 このユピテル神父は、こうした刑執行の前の礼拝の経験はそこまで多くはない。しかし今回呼ばれた理由は、その強さである。囚人に使われている拘束器具の魔法と、礼拝室にある結界との都合上、基本的に囚人一人に対しもう一人しか入れない。そのせいで前任の神父がけがを負ったので、今回は戦闘能力を重視し、ユピテル神父が選ばれた。

 また、こういった神父に必要な力として洗脳的な魔法の強さも重視される。死刑囚全員が落ち着いて刑の執行に向かうわけではない。むしろ興奮し落ち着きのない囚人の方が多いのだが、この礼拝室にて神父が精神を落ち着かせる魔法などを用いる。

 礼拝室に入ったユピテルが囚人のフェイオスを見ると、魔法が必要とは思えないほど落ち着いた表情だった。ただ、罪の懺悔を聞く限り別に心から罪を悔いているというわけではないようだ。おそらく、このフェイオスは、自身が愛した女性が死んだ時からもう死んでいたのかもしれないとユピテルは思った。だから死に対して目立った恐怖などが見受けられないのだろうと。

「刑の執行の三十分前に刑務官がやってくるから、その際に身を清め刑の執行へと移ります。それまで静かに精神を落ち着けて待っていなさい」

 フェイオスが無言でうなずくのを見てユピテルは礼拝室を後にした。






         

 午後二時三十分。刑執行の三十分前になり、刑務官であるイオカは礼拝室に入った。

 しかし、そこにフェイオスはいなかった。かわりに部屋の至る所に赤い何かが飛び散っている。特に鼻が効く訳ではないが、その正体がすぐに分かった。――血である。

 そしてその血の元々の持ち主は、礼拝室の奥の部屋にある、身を清めるための水が入った桶に頭から突っ込んでいた。確認しなくても、桶に頭を突っ込んだ者は十中八九死んでいることは分かったが、イオカは床の血を踏まないようにして近づく。ピクリとも動かないフェイオスの体に触れ、脈を調べる。そしてやはり脈はなかった。

 


 今日刑が執行される死刑囚フェイオスはすでに死んでいた。

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