革命の狼煙は上がるのか?
今日最後の授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。ココに来てから初めての、学生としての一日が終わった瞬間でもあった。
帰りのホームルームもそこそこに済ませ、学生はいよいよ帰り支度を始め、続々と教室を出ていく。 運動部は部活用具を持って飛び出すように、文化部は静々と部室に、帰宅部は友人同士談笑しながら仲良く教室を後にする中、俺は机に座ったまま、一冊の本を取り出した。
この学校に転校してきたばかりの俺は勿論、帰宅部。本来なら直帰コース、さっさと自宅に戻りくつろぐに限るだろう。
しかし、今日はそうはいかなかった。何故なら、今朝読み始めたこの本、その続きがどうしても気になってたまらなかったからである。
本当ならば、授業の合間の休憩時間にでも読もうと思っていたこの本。今日はことごとく邪魔が入り、読書どころではなかったのだ。もうフラストレーションたまりまくりである。今日はもう読み終わるまで帰るつもりは、ない。たとえ、雨が降ろうが槍が降ろうが、俺はここを離れない。そんな揺るぎない覚悟を、今決め込んだ。
俺は高鳴る鼓動を抑えつつ、今朝しおりをはさみこんだページを開く。衝撃的な導入、魅力的なキャラクター、そのキャラクター達と主人公の子気味の良い掛け合い、引き込まれる設定、心躍る展開。それら全てを詰め込んだ物語の世界へと、俺はダイブする――
「アレー? 鈴木さん、これから読書なさるんですか? なら、読み終えるまで私、待っていますね」
「よっし、帰るかぁ! そりゃもう、早急に。それこそ可及的速やかに、帰宅するとしようかなぁ! 一人でっ!」
(読み終わるまで帰らない覚悟? 誓い? 知らない子ですね。そもそも、ストレスの元凶が近くに居ては、本などロクに楽しめるわけないだろう。誰だよ、残るって言ったヤツ。俺だよ! ってか帰りも着いてくる気満々だし)
心の中で悪態を吐きつつも、俺はこれからすべき行動を確認すると、すぐさま実行に移す。逃走だ。
常人ではその目に捉えることすら不可能であろう速度で、俺は即座に教科書類を鞄へ詰め込むと、一目散に教室の戸を目指そうと画策する。
「きゃっ……!」
が、俺の傍に立っていた彼女が、突然の俺の行動に反応するのも、そんな彼女を俺が何とか避けようととするのも無理な話で。
「うおっ!」
お互いにどうすることも出来ずにぶつかって、俺の逃走劇はあっさり出鼻をくじかれるわけだ。
衝撃。それに耐えられず腕に抱えていた本が、バサッと地面へ落下した。
「イタタタ……あ、本落とされましたよ」
「うっ……あぁ、すまない」
ぶつけられた箇所を痛そうにさすりながら、彼女は本を拾い上げる。俺は彼女の善意に対し、今回ばかりは素直に礼を言いつつ、差し出された本を受け取ろうとするが――彼女は、何故か本を手放さない。ブックカバーなどという洒落たモノなど着けられていない、裸のままで堂々とタイトルが晒されている、その表紙を凝視したまま。
「……『萌え! 燃え! モエ! 戦うメイドはお好きですか?』……!」
目を皿のようにしながら、蒼白な顔で表紙を凝視し続けていた彼女はあまつさえ、タイトルの音読まで始めた。一体、何だというのか。
「……そろそろ返してくれないか?」
「あっ、ご、ごめんなさい……」
俺の言葉で我に返ったのか、ようやく彼女は力強く握りしめていた本から手を離した。
本を受け取った俺は、ドカッと席に座り直し、しおりの挟みこまれたページを開く。
その様を見ていた彼女は、困惑したように小首を傾げた。先ほどまでとは比べものにもならないしおらしさで。
「え、えっと……き、帰宅されるつもりではなかったのですか? 本を開き直されていますが……」
「あぁ、何か帰る気も失せてな。正直、本の続きが気になって仕方がない。最初の予定通り読み終わってから帰宅するつもりだ」
どうせ、彼女のことだ。俺が再び逃走を画策しようとしても、それを妨害するに決まっている。そんなことで無駄な労力と時間を消費するぐらいなら、さっさと気になる続きを読んだ方がマシだ。
何故か頬を赤らめている彼女を少しだけ視界の端に収めるも、すぐさま目の前の文章へと視線を注いだ。
「……」
「……!」
「……」
「…………!」
「……ジッと見つめられると、こちらとしても読みづらいのだが」
しばし無音の時間が流れたものの、驚くほどの熱視線でこちら焼き尽くそうとしている彼女の存在感に耐えられなくなった俺は、思わず口を開いた。
「ご、ごめんなさい! たっ……ただ鈴木さんはそういう本を読まれるんだと、気になってしまって……」
突然、会話を振られた彼女は、不意を突かれたのか慌てたようにビクッと体を震わせる。そして口ごもりながらも、何とか言葉を紡ぎだしていった。
「……ん、まぁ、面白いからな、コレ」
未だに謎のしおらしさを保っている彼女を疑問に思いつつ、俺は思っていることを素直に口に出す。「そ、そうなのですか。で、でもそれ確かラブコメハーレムモノのライトノベルでしたよね? 私の記憶が正しければですが」
「あぁ、その通りだ……って知っているのか! この『萌え! 燃え! モエ! 戦うメイドはお好きですか?』を!」
「ぶほっ、ごほっ、ぶほっ!」
「うぉっ、大丈夫か! 突然咳き込んで、体調でも悪いのか?」
「い、いえ、ご心配なく。で、ですがそのですね。鈴木さんの真面目なお顔でそのタイトルをフルで口にされるのは少しご遠慮戴ければと思いまして……」
「? よく分からんが分かった」
彼女は数度、深呼吸をして心を落ち着ける。テンションが平常帯まで戻ってきた頃には、頬の赤みもいつの間にか引いていた。
そのまま俺の方へと向き直ると、至極真面目な顔で俺をジッと見つめた。見つめられた当人である俺も、思わず本を閉じて彼女の方へ体を向けた。
「……その質問なのですが、鈴木さんはこの本のどの辺りを面白いと感じられましたか?」
「面白いと思ったところか……そうだな、まぁ、まずは物語の導入だろう。主人公の、そして読者達すらの意識を越えてくるようなヒロインとの出会い。あれには、大変驚かされた。今でも胸がドキドキだ」
「いえ、登校中の主人公の頭上から、メイド服を着たヒロインが降ってくるというのはむしろ、使い古されたような展開の気がしないでもないのですが」
「魅力的なキャラクター造形。主人公の心情をかき乱していく、斬新なキャラクターは読者のページをめくる手を加速させていくっ」
「斬新というか何というか、ツンデレという古来から存在する一ジャンルに過ぎないと思うのですが……」
「テンポの良い会話劇、激しくキャラクター間でやり取りされる言葉の応酬、舌戦。それは読者を希望の環へと誘っていくっ!」
「ギャグコメディを捕まえて、そのような評価を下した人物、私初めて見ましたっ!」
「あの壮大な設定も最高だ。俺たちの心をワクワクさせてやまない。一体、どうすればあんな設定が考えつくのか、俺はそれが知りたくてたまらないよ……」
「壮大過ぎてむしろ巷ではシュールなギャグ扱いになっている上に、そもそも設定自体がパロディ多めでむしろ、オリジナリティが少ないというのが一般の認識ですけどね」
「ライトノヴェル……! これこそ、人類が生み出した至高にして、崇め奉られるべき文化と言っても過言ではないっ!」
「未だかつて、ライトノベルにこれほどまでの情熱を傾けることが出来るお人を、私は見たことがあったでしょうか! いや、ないでしょう! 今世紀最大の過言だと思いますよ、鈴木さん!」
天を仰ぐような姿勢で、俺はライトノヴェルへの愛情語りを締める。彼女は 何 故 か 疲れたような顔になっていたが、「ふぅ」っと溜め息を吐いた。おそらく、俺の熱論の熱に浮かされてのことだったのだろう。あの恍惚とした溜め息は間違いない。
行動の一つ一つが鬱陶しく感じた彼女だったとは言え、ライトノヴェルの話題が出来れば、今日一日イライラさせられっぱなしの俺も、思わずニッコリ上機嫌。
思いのほか色々語ってしまい、鼻息を荒くしていた俺だったが、そこでふと気づいたことがあった。
「……そいえば、『モモモ』についてわりと詳しかったな……もしかして読んだことあるのか?」
「サラッと略称を用いるのはやめていただけませんか。驚きが止まりませんので」
彼女は言いながら、すごくげんなりした表情を浮かべた。よく分からないが、少々反省。
「……原作は読んだことはないのですが、最近放送したアニメ版なら視聴済みでしたので」
「はぁー、黒髪の綺麗なお嬢様だと思っていたのだけれど意外だな。そういうのも見るのか」
「まぁ、綺麗なお嬢様だなんて! 鈴木さんは、お世辞が大変お上手なんですから――」
「『モモモ』にも黒髪ロングのお嬢様キャラがいるからな、あのキャラが大変麗しくてなー、アレのおかげで黒髪を見ると無条件で可愛いと思ってしまうんだよな。いや、ホントあのキャラがメイドじゃないのが残念でたまらないんだが……むしろお嬢様だから良いのか? うぅむ、奥が深い……」
「……不本意な視点からの評価と、その発想に鈴木さんとは別の意味で残念さを覚えますが……今は触れないでおきますね、はい」
じっとりとした目でこちらを睨んだ彼女であったが、すぐにそんな表情も緩めて、静かに肩をすくめた。
「それに……お嬢様っぽく見えたのでしたら申し訳ないのですけど……私、好きなんです。異能バトルモノとか、そういう作品」
さっきとは打って変わって伏し目がちになる彼女。
「そういうのはやっぱり黒髪のお嬢様は余計な要素で……そんなお嬢様はお嫌いですよね?」
囁くような小声で問いを投げかける彼女は大変自信無さ気で――その表情を見た俺は……グッと思わずサムズアップを掲げていた。
「いや、好きだぞ」
「えっ」
暗めの表情が、驚きに染まる。意図しなかったであろう一言に、彼女は思わず俺を見上げた。俺はそのリアクションに自分的には満足感を覚えながら、言葉を重ねる。
「なんせ、異能バトルものとかが好きってことならサブカルが好きってことだろ? なら、俺にとっては同志そのものだからな! そんなヤツを嫌いになるわけがないじゃないか」
「えっ」
二回目の「えっ」はどこか落胆の念が込められていたような気がどことなくしていたが、気のせいだと思うことにした。
「それにだ。黒髪ロングの見た目清楚なお嬢様。そいつが実はアニメやら、なにやらが好きだなんて……ギャップ萌えそのものじゃないか! キャラクター造形の基本だぞ、基本!」
「あっ、はい、そういうことなんですね……」
「だから、好きだぞ」
「……どうも、ありがとうございますね、鈴木さん」
何 故 だ か 今度はものすっごく冷たい視線を肌にひしひしと感じたような気がした。しかし、正直俺はまだまだ人の機微には疎いと思っている。
つまりだ。この先ほどから肌にビンビンと感じる絶対零度の息吹は俺の勘違いだろう、おそらく。
俺はふと、学校備え付けである教室の時計を見上げた。俺が最初に本を開いてから、もう大分時間が経過している。どうやら話し込みすぎたようだ。
「……そろそろ読み進めなければ、下校時刻までに読み終わらなさそうだな」
「やはり読まれてからお帰りに?」
「あぁ、これは今日の朝からの楽しみだったからな。読まずに帰るなど論外だ。長くなりそうだから、先に帰ってて良いぞ」
心の中で「居ても鬱陶しいしな」と付け加えながら、俺は再び視線を本へと落とした。その俺のつれない俺の返答に、彼女は不満そうな声を上げる。
「そんな冷たいことおっしゃって……ご一緒に帰りませんか? ほら、さきほど鈴木さんも私のことを同志とおっしゃってくださったではありませんか。同志なら仲良くいたしませんか?」
「それとこれとは話が別だな」
「……鈴木さんのいけず……ですっ」
「…………」
俺は無言のダンマリを決め込む。そして、彼女の言葉を頭からシャットアウトするかの如く、本の内容に集中することにした。
……ほほぅ、ほほほっ。ふむふむ、ふふふ。ははぁ、ほっ。ふははははっ。
「無視されるとは……案外鈴木さんもお酷いお方ですね。仕方ないです、私はお邪魔なようですしお先に帰るといたしましょうか……」
動く気配を感じたので、ふと横目で見ると、彼女がその艶やかで長い黒髪を翻しているのが視界に映った。俺はその様をしかとっ確認すると、心の中でほくそ笑む。ついでに小説内の小粋なギャグで、プッとほほ笑む。
「あ、そういえば昨日録っていたアニメがありました……一緒に観るお方も家に居ませんし……」
いや、ヘッドドレスがくさやまみれは……笑えないって……! ふははっ。むしろ、くさやをかぶるスタイルっ。
「……一人で楽しむとしましょうか。録り溜めたアニメ版『萌え! 燃え! モエ! 戦うメイドはお好きですか?』……」
「よしっ、今日はもう遅いし帰るとするかっ! おい、何やってるんだ。アニメ観るんだろ? 早く帰るぞぉ!」
「お速くありませんかっ!」
俺は教室の戸口から、彼女を呼ぶ。帰る準備は万全である。
あー、『モモモ』のアニメ、観たかったんだよなぁ。
「いえ、こう、私の計画通りにコトが運んだわけなのですけれどね。嬉しいんですけれどね。それでもですね、流石に態度の変わり方や、座っている場所から教室の戸口に行くまでのスピードとかが速すぎると思うんですが! まばたきしている間にそこに移動なさるなんて、人間を辞めていらっしゃるんじゃないですかっ!」
「ブツブツ言ってると、置いていくぞ! 早くしろぉ!」
「私の家にいらっしゃるんですよね⁉ 私を置いて先に行って困るのはむしろ、鈴木さんの方なんじゃないかと思うのですが!」
余計なことを喚きながら、彼女は駆け出す。俺はそれを確認すると、教室の戸を開けた。
「……ふふっ、鈴木さんと一緒に帰宅……ですっ♪」
背後から漏れ出るような声で、彼女は呟きを残した。そのような小さな声でも、俺は聞き逃さずにいたのだが……その言葉に対して指摘を入れるのはヤボな気がしたので、特に触れずに置いた。
(まぁ、こういうのも……な)
そう妥協しながら、俺は廊下へと一歩踏みだした。
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