世界の黄昏(仮)

マス桜

*日常の崩壊

 インドアな趣味を持つと合理化が進み、この御時世有名タイトルの本は電子書籍で読めるようになった。ペーパーバックの良さと言われていた紙への書き込みも、ラインマーカーや付箋等の機能がより手軽に電子書籍が出来るようになってからというもの、声が小さくなっただろう。

 娯楽に向かう姿勢は気楽な方がいい。

 コーヒーを片手に本を読む、は傍から見れば無様だが、インドア派には関係が無いので、その自由さが心地いいのだと思う。


 空のマグカップをデスクに置いて、しばらく。


「……頭痛い」


 読書を中断し、水分補給をしろという脳の指令に従って、椅子から立ち上り、俺は階下のキッチンに足を運ぶ。硝子のコップに水道水を注いで飲み干すのを二回繰り返し、じんわりと染み渡る冷水の感覚に身震いを起こした。


 ダイニングテーブルの俺の席には、メモ用紙に『食べなさいよ』と書かれた下に、ラップをして後は温めるだけの状態の焼きそばが置いてある。日曜日には、母がこうして昼飯を作り置きしているのだ。

 冷蔵庫から卵を一つ取り出し、トッピング用の目玉焼きを作るのと並行して焼きそばを電子レンジで温めていると、携帯のバイブレーションと通知音が鳴り、片手で画面を確認する。


『智代です。13:32着の電車に乗ったから、いつもの駅に迎えに来て』


 無味乾燥な文字の羅列に眉を寄せ、時計をみるとあまり時間的余裕が無い。端的に言うと、焼きそばをゆっくり食べれない。急かされて食べるのが大嫌いな俺は、仕方なしに目玉焼きに胡椒を振って単品で食べてしまうと、二階の自室でズボンを変えてコートを羽織り、車内にファブリーズをしてから駅へ向かった。


 ラジオを聴きながら駅のロータリーで妹の電車を待っていると、地下の階段からマフラーに顔を埋めた妹が出てきたので、ハザードランプを点滅させながら軽く手を振る、と睨みつけるような目つきでズンズンと歩いてきた。うわぁ……怒ってる。俺はコートから小銭入れを取り出し、nanacoカードを抜き取る。


「お帰り」


 乱暴にドアを閉め、妹はエアコンの暖風に手をかざす。


「恥ずかしいことしないでよ。友達に見られてたら殺すから」

 

 なるほど、と合点がいき、俺は小さく肩をすくめた。


「悪かった。ほら、これで何かおやつ買ってきていいから」


 俺を横目でみて、何かを計算している様子の妹は、手にかけていたシートベルトを手放した。


 「ん、じゃあ行ってくるから」


「……現金なヤツめ」


 リクライニングを調節し、大きく背伸びをした俺は、ラジオの大喜利に不意をつかれて一人笑った。


「遅いな……」


 トイレか、と直ぐに恐らくの正解を思いついたが、レギュラーサイズのホットコーヒーをついでに頼むのを忘れていたので、俺も車を降りることにした。


「いらっしゃいませー」


 コンビニの中を確認すると、長蛇の列が出来ていた。並ぶ人達の胸に決まって下げている社員証のような物を確認し、この時間に団体がコンビニを利用しているせいだと納得した。


「遅いから、様子をみにきたけど……凄いな」


 チョコレート菓子コーナーとデザートコーナーの間で列に並ぶ妹に話しかけると、小声で「うん」と呟いた。他人モードに入っていやがる……。


「ホットコーヒー、スモールを頼む」


 それだけを言って車内に戻ろうと思い、コンビニの自動ドアの前に立つと、視界には会計を済ませて立ち食いをしている先の団体。正直、ゾッとする。


「待つか……」


 翻してまた店内に戻り、情報誌コーナーの前で会計を待ち、呆れ顔の妹からカップを受け取ると、自分でコーヒーを作った。


「何で、さっきはウロウロしてたの?」


 赤信号の待ち時間、質問をした妹はシュークリームに齧りついた。


「ああ……ホットコーヒーのスモール下さい、って真顔で言ってたよなぁ。レギュラーサイズでよろしいでしょうか?って店員に訂正されて、照れてるところを見届けようと思ってたんだ」


「え……わざとだったの!?」


「運転中だ、殴ろうとするな」


 腰が浮きかけた妹は、釈然としない様子で握り拳を下げた。視線は痛いが、こういうところで理知的になれるのが、我が妹ながら誇らしい。


「冗談だ。本当は、ほら、さっきの連中、ちょっと変だっただろ?」


「そうかな……もういいや。イヤホンするから」


「はいはい」


 車から降りると何故か妹が笑顔で近づき、何だと身構えているとローファーの爪先で脛を蹴られた。悶えてうずくまると「仕返し」と一言残して先に家の中へ入っていった。ズボンを捲ると脛が鬱血していて、洒落にならないぐらい痛かった。多感な時期とはいえ、JK怖い。


 気を取り直して、冷めた焼きそばをまた温めてモサモサ食べていると、Twitterの通知音が鳴った。片手で弄りながら焼きそばを食べていると、妹が階段を降りて、風呂場へシャワーを浴びに行った気配がした。


「美味い」


 急須でいれた緑茶を飲み、ため息が漏れる。一日が、あっという間に過ぎていく。ベランダの洗濯物を取り込み、服を畳んで自分の物だけを自室へ運ぶと、そろそろ買い物に行く時間になった。


「買い物行くから、留守番頼む」


「わかった」


 人参、玉葱、じゃが芋は半端が残ってて、豚肉、カレー粉、切れていた牛乳と食パン、それと弁当のおかずを適当に買い、エコバッグを提げて歩いていると、車道を挟んだ向こう側に知り合いの顔があった。後部座席に荷物を置き、もう一度顔を上げたときにはお互い目があったので、片手をあげて軽く挨拶をしておいた。


 これで済んだと運転席に乗り込むと、駆け足で近づく人影がサイドミラーに映った。


「冷たいじゃんか、久しぶり」


「走ってきたのか……元気そうだな」


 顔を見るのは成人式以来で、体格も良くなったようで見違えたが、声を聞いて確信した。同じ中学校の同じクラスにいて、話したことが何度かあったかもしれない程度の認識だったが、向こうの馴れ馴れしさからして、当時は結構親しかったのかもしれないと、適当に話を合わせておいた。……のだが、簡潔な近況報告でそれ以上話すことも無くなり、こちらから別れる切っ掛けを作ることにした。


「じゃあ、そろそろ」


「あ…ひき止めちまって悪かった」


「いや、俺も久しぶりに話せて楽しかったよ。帰省中に知り合いに会うなんて、滅多に無いしな」


 はぁ。家に帰ったらカレーだカレー。


「そうだ。これ俺の名刺。なんかトラブルがあったら連絡くれ」


「お、おう。なんだかドラマみたいなセリフだな」


「ははっ、そうだな。まぁ、話半分で覚えておいてくれ」


 今度こそ車に乗り込み、駐車場を徐行で右回りに出口へ向かうと、バックミラー越しに不意に映った遠くの同級生の姿が、棒立ちでこっちを見届けていた。……悪趣味な。


「ご飯出来た?」 


「まだだよ、っと」


 豚肉を炒めていると、匂いに釣られてか、部屋着に着替えた妹が下りてきた。自宅に戻り、今はカレーを作っている最中だ。


「宿題終わったのか?」


「うん」


「じゃあ、テレビでも観て待っとけ」


「そうする」


「待て、やっぱり手伝え」


「えぇー?やだ」


「そんなんじゃ、大人になったときに苦労するぞ。ただでさえ、人並み以下なんだから」


「ハァ?」


「生活力が、だ。俺か一人暮らししたら、どうなることやら……」


 両親共働きで月曜から土曜日まで仕事。日曜日も仕事にでたりするような家庭で育ってきた。俺がバランスを取ろうと頑張ってきたつもりだったが、その弊害で生まれたのが、家事をまったくやらない妹だった。


「そのときは、私もついてく」


「馬鹿、親父に俺が殴られる。そもそも、彼女を作ったら──」


「ハッ、誰が?」


「俺が!」


「彼女いるの?」


「……カレーが出来た。この話の論点は手伝って欲しいってことだったな。けど、カレーは出来たからにはこれ以上は不毛だし、この話は終わりにしよう」


「そうかな?もっと煮込む必要があると思うけど」


「アルデンテがいいんだよ」


「パスタじゃないし、ご飯でふざけないでよ」


「ごめん」


 年下の妹に論破された俺は、以降カレーをかき混ぜるbotになったつもりを徹した。


「真面目な話、一人暮らしとか考えてたりするの?」


 カレーを口に運びながら、妹がそれとなく聞いてきた。さっきの話が少し真実味を帯びていたから、気になっているらしい。


「貯金も貯まったし、やろうと思えばいつでも出来るな。まぁ、智代が大学に行ってから考えるつもりではいる、のかな?」


「へぇ、そうなんだ。後二年……」


「順当にいけば、そうだな」


「何その含み、私頭悪くないけど」


「とにかく、自立するまでは俺も面倒みてやるから大丈夫だ」


「……うん、ごちそうさま」


 食器を台所に下げて、妹は自室に戻ったようだ。俺も昼が遅かったのもあって、少なくよそっておいたカレーを食べ終えたので、食器を洗い、両親の分のカレーをラップして風呂に入った。


「あー……しみるぅ」


 入浴剤のジンジャーの薬効成分もあって、体がいつもの二割増しで温まってるような気がする。水面に顔を近づけ過ぎるとガスを吸って気分が悪くなるので、背筋を伸ばして湯に浸かっている最中、外から何かを蹴飛ばしたような物音が聞こえてきた。


「誰だッ!」


 浴槽で立ち上り、小窓を開け放った俺は身をのりだし、夜暗に動く人の影を視界に捕らえた。逃げ去る背中を見ていると、手にはビデオカメラのモニターが放つ微光。街灯の下に出た瞬間に、振り返った顔が──


「嘘だろ……」


 突然の事に、気が動転してしまった。湯船に浸かり直し、冷静に情報を整理しようとする。さっきのは、盗撮をしようとしたのか……アイツが。思い返せば、小窓に手を掛けた時には既に、少しだけ開いていたような気がする。


『お兄ちゃん、大声出してたけど大丈夫!?』


 脱衣場に、慌てた様子の妹が入り込んできた。


「大丈夫だ。物音がして、猫か何かだったのかな。ヒビり過ぎただけだ。ハハッ……」


 何でもない風を装ったつもりだったが、先ほどから口が強張ってしまう。


『お兄ちゃん、本当に?声が震えて……怯えてるみたい』


「……ハハッ、鋭いな。たぶん、さっき見たのはお前を狙った盗撮犯だったのかな。俺が怒鳴ったから、もう逃げていったよ」


『そうなんだ。怖かったね……』


 俺は立ち上り、脱衣場と風呂場を隔てる扉の前に進み、内鍵を掛けた。


『何してるの。今、カチッて音が聞こえたよ。……お兄ちゃん。まだ何か隠してるんじゃないの?』


「……俺に、言わせないでくれ。信じたくないんだよッ!!」


 ──俺はあの時、振り返った妹と目があった。


 自分でも、信じられないぐらい大きな声が出た。逆ギレというか、感情が裏返って、怒りと勇気が湧いてきたようだ。


『やっぱり……ぃひひ』




 ガンッ!!・・・ガンッ!!


 ガンッ!!!!




『ねぇ、鍵を開けて。大事な話があるの。扉越しに話し合うなんて、変だよ』


 扉が思いっきり蹴飛ばされる音を聞いて、奮い立っていた気持ちが急速に萎えていく。妹が、何を考えているのか理解出来ない。


 ……確認に来て、盗撮がバレたのを知って、話をしたいと扉を蹴破ろうとする。ハッキリ言って滅茶苦茶だ。


「……俺の、何が悪かったんだ」


 不意に漏れた俺の独り言に、それを聞き逃さなかった妹から返事があった。


『お兄ちゃんは、悪くないよ。悪いのは全部あの親──ガンッ!!──私はお兄ちゃんの誤解をときたいだけだよ」


 扉は、破られてしまった。


「あのさ、お兄ちゃんと私って、兄妹なのに似てないよね。知ってた?お兄ちゃんだけ贔屓されてたんだよ」


「……智代ともよ


「知らないわけないよね。私のワガママは、いつもお兄ちゃん越しのお願いじゃないと絶対通らなかった。お兄ちゃんがそういうならって……あの冷たい目、露骨な嫌味、何でだろう、私のせい、って悩んだりした」


「智代」


「中学二年のとき、酔っ払って帰ってきたアイツに鎌かけたら、簡単にゲロったよ。私の本当の両親は蒸発したクズで、残された、従妹な私は余所の子なんだって。……私、大学行けないよ」


 酷く傷ついている姿を曝け出した妹を、俺は抱きしめた。


「智代、智代。その件は全部お兄ちゃんに任せろ。俺は味方だ」


 嬉しそうに、小さく笑った妹は、俺の胸に手を置いた。


「ありがと。それでね……私、ずっといつか復讐しようって考えてた。あの人達が一番大切にしている物を壊してやろうって。ざまぁみろ、って言ってやりたくて」


「智代?」


「でも、壊すのは止めたの。かわりに奪う。……お兄ちゃんの裸の動画、レターパックでどこに送ろうかな?」


 妹の腕が、いつの間にか俺の腰に回っていた。


「俺を、脅すのか。……要求は」


「話が早いね。アドリブだから、どうしよっか。どうしたい?」


「したいって……お前」


「……もう、後戻り出来ないよね」


「え?ちょっ、ま──」


 キュルキュルキュル、と、脳を揺さぶる不協和音が響き渡る。


 そのあまりの五月蝿さによろけてしまう。否、揺れている!?地震だ!!


 目の前に突如、十字の傷が出来た(?)。空間が破れたとでもいうか、光の無い暗黒空間が目の前に広がって、失った何かを埋めようと、謎の吸引力を発揮していた。す、吸い込まれる!?


 ◆◇◆


 空想は非生産的故に、私“達”には出来ない。


 だが、永遠の停滞は死でもある。新たなステージへと進化する因子を探し求めて、宇宙をさ迷い、見つけた可能性。地球。

 地球で得た個という概念は、私“達”に衝撃を与えた。

 個は情報を共有しないが故に、様々な模様を描いているのだ。この模様を私“達”は観測し続けたが、終ぞ表現することが出来なかった。

 故に私“達”は、さらに踏みいる為、リスクを負うことにした。

 リソースを割いて異空間に箱庭を作り、そこへサンプルを投入するのだ。そこで無垢の私が、サンプルと接触することで、可能性を学習する、ということだ。

 箱庭は現在六つとなり、圧縮時間によって急速に学習し、私“達”はついに感情を理解した。

 そして私“達”はその進化によって、分裂を繰り返し、呆気なく崩壊してしまったのだ。

 最後の崩壊で生まれた無垢でない私達は、悲しみ、恐怖していた。仲間が自壊していく中、残された僅かなリソースで自身の記憶にプロテクトをかけ、私は六つある箱庭の中で一番平和な一つへと、逃避したのだった。


 ◆◇◆


 俺と妹は、風呂場に座り込んでいた。


「大丈夫か」


「うん」


「一人で立てそうか?」


「もうっ、平気だよ」


 妹は立ち上り、屈託なく微笑んだ。

 その気丈な振る舞いをみて、これ以上は蛇足だと思った俺は、立ち去る妹の背中を、いつかの彼のように、無言で見送ったのだった。

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