6.ふたりの未来
「なんか……びっくりだね」
「本当にな」
テレビで紹介されたこともあって公園内はカップルで賑わっている。
そんな中に現れたサンタクロース姿の二人は……悲しいほど目立っていなかった。
当然だ。今日はクリスマスイヴ。皆それぞれのパートナーに夢中なのだ。
「こんなことしなくても良かったね」
「だな」
笑いながらヒゲをとったアリスだったが念のためと思って目深に帽子をかぶる。
そうして互いに素顔を見える状態になり、手をつないで他のカップルにまじって華やかなイルミネーションを堪能した。
さほど広い公園ではないため十数分もあれば見て回れる。
アリスが衝撃的な事実を口にしたのはもっとも手が込んでいる星空のイルミネーションに彩られたトンネルに差し掛かったところだった。
「私、春になったら前の学校に戻るんだ」
「えっ……」
「モデルになるときママとふたつ約束したの。成績を落とさないこと、大学までちゃんと卒業すること。いまの学校だと出席日数ギリギリで、これからもっと忙しくなると進級できないかもしれない。その点、前の学校には芸能コースがあるからちゃんと卒業できると思う。別の学校の通信制って選択肢もあるけど、どのみちいまの学校を離れなくちゃいけない」
握りしめたアリスの手がだんだんと冷たくなっていく。少しでも力を緩めたらするりと抜けてしまいそうな気がして必死に掴んでいた。
「……淋しく、なるな」
そう呟くのがやっと。
あの教室に、あの席に、アリスがいない。
存在そのものがなくなる。
考えるだけで心が凍えそうだ。
(もし、小山内レイジとして芸能活動すればアリスと同じ芸能コースに入れるかな)
そんなバカげたことを一瞬考えてしまうくらい動揺していた。
「いま、なにか変なこと考えたでしょう」
アリスの口元がほころび、白い息が吐き出される。
「別に、なにも」
「どうかなぁ。――でも私は考えていたよ、とびっきり変なこと」
するりと身を翻したアリスは凪人の真正面に立ち、両手で頬を包んで吐息がかかるほど近くに顔を寄せてきた。
「変だって承知で言うよ。私、あなたとずっと一緒にいたい。学校とかクラスとか座席とかに縛られず繋がっていたい、結婚したいって思った」
「けっ……」
「うん。いますぐは無理だけど、オトナになったら籍を入れたい。高価な指輪も挙式もハネムーンもなくていい。凪人くんの奥さんになれればそれで……、それだけで生きていける」
アリスの目に映り込んできらきらと輝くイルミネーション。
吸い込まれそうなほどの光の渦だ。
なんてキレイなのだろう。
「……あのな、アリス」
頬に添えられた手をそのまま包みこんだ。
目を見て、はっきりと告げる。
「おれも似たようなことを考えていた。どうしたらずっと一緒にいられるかって」
「ほんと?」
アリスが小さく瞬きする。凪人は強く頷いて見せた。
「未来なんて分からないけど、アリスと一緒ならどんな困難な道でも歩いて行ける気がする。だから将来結婚しよう、絶対に」
「いい、の?」
「うん、おれは本気だ。幸せにする。絶対。一生」
「……」
みるみるうちにアリスの顔が歪む。
やがて一筋の涙が流れ星のように頬を伝い落ちた。
「ぅん……うん……よろしくお願いします」
胸に飛び込んできたアリスをぎゅっと抱きしめる。
そのとき「見て」とだれかが歓声を上げた。
一瞬自分のことかと焦って周囲を見回したが、なんてことはない。曇天からはらはらと雪が舞い降りてくるところだった。
「見ろよアリス、雪だぞ」
声をかけるがアリスは胸の中に顔をうずめたままだ。
幸せそうに目を閉じて。
凪人は彼女の肩に乗った雪を払いのけてから改めて背中に手を回した。
今日はクリスマスイヴ。
まっしろな魔法のお陰でみんなが素直になれる日。
もっと雪が降ればいい。魔法が解けないよう、もっと強く、もっと激しく。
そう願わずにはいられなかった。
※
「お風呂先にいただきました、次どうぞ……ってどうしたの」
二人が自宅に戻ると大人たちはまだ酒盛りしていた。
彼らの邪魔をしないよう湯船を張ってアリスを先に入らせたのだが、部屋の主である凪人は床に敷いた布団の上で丸くなっている。
「いや……なんか、寒気がして」
夜景を堪能して帰ろうとした二人はイルミネーションを見に来たカップルや親子連れたちに巻き込まれ、もみくちゃになりながら歩くことになった。
人酔いして疲れたところへ氷点下の寒さが追い打ちをかけたせいで全身に悪寒が走り、頭もボーっとする。
心配したアリスが膝をついて額に手を伸ばしてきた。
「うーん、なんとなく熱い気がする。薬は?」
「市販薬飲んだ。だるいから風呂はやめとく」
「そのほうがいいね。桃子さんには伝えた?」
「久々のお酒を楽しく飲んでいるんだから水差さなくていいだろう。一晩寝れば良くなるよ」
「それって……」
言いさしたアリスはおもむろに凪人の横で寝転ぶ。イタズラっぽい眼差しと交錯した。
「なにしてんだよ。おまえの寝床はベッドだろ」
「だって桃子さんにも伝えないってことは私に看病して欲しいってことでしょう?」
「そういうんじゃなくて」
「心細いから傍にいて欲しいって素直に言えばいいのに」
「もう勝手にしろ。風邪がうつっても知らないからな」
凪人は早々に説得を諦めた。そうと決めたら譲らないアリスの性格上、なにを言っても無駄だと思ったのだ。
気だるそうに息を吐きながら、毛布を広げてアリスを入れてやる。
「あっ待って、電気消してくる」
立ち上がって電気を消したアリスは手さぐりで布団に戻ってくる。枕の沈む気配とともにふわりとシャンプーの匂いがした。アリスの体を通して湯船の香りと共にぽかぽかとした空気が伝わってきて、次第に目蓋が重くなる。
「凪人くん、まだ起きてる?」
不安そうに尋ねてくる。
返答はない。
「…………初夜だね」
「オイ!」
一気に意識が冴えた。笑い声が返ってくる。
「なんだ起きてるじゃん」
「変なこと言うからだろ」
「だってプロポーズされた後だから初夜じゃん」
「しょ、初夜っていうのは」
「はー寒い寒い。くっついちゃおー」
互いのわずかな隙間さえ埋めるように肌を寄せてくる。肉薄したアリスの手足は細いだけでなく陶器のようにすべすべとしていて、どうあっても自分とは違う個体だと認識させる。
こらえきれずにキスをした。抑えきれない衝動を熱のせいだと自分に言い訳する。いつもよりずっと長くて深いキス。アリスが吐息を漏らす度に体も心も熱くなる。
「明日桃子さんたちびっくりするかな」
やや息を乱したアリスが楽しそうに言った。
「だって客室で寝ているはずの私が凪人くんの布団で寝ているなんて、絶対になにかあったと思うよね」
「なにもないし、なにもしねぇよ」
「でも他の人からはそうは見えないでしょう」
からかうような口調は本気か冗談か分からない。
「――アリスは、どうなんだ」
「えっ」
突然の低い声にびっくりしたアリスが視線を上げると真剣な眼差しにぶつかる。
「おれはバカだから、アリスの気持ちを察することなんてできない。だから、どうして欲しいのかはっきり言ってくれよ」
「それ、私が求めたら……、応えてくれるってこと?」
「そうだ」
「……」
アリスはぎゅっと身を硬くして卵のように縮こまっていたが、やがてゆっくりと息を吐いた。
「正直ね、恋人同士ならこうするとか、よく分からないんだ。凪人くんと手をつなぐとドキドキするしキスしていると頭がぼーっとなってくるし、こうして寄り添って心音を聞いていると安心するし触って欲しいなぁとか触りたいとか思うけど、これが恋や愛ってものの『正解』なのか分からない。自分でもどうしたいかハッキリしないの。私たぶん、だれかの『特別』になりたいんだと思う。大好きだったパパが私じゃなくてアリサを選んだように、私もだれかに選ばれたい。特別な人と特別な関係になりたい。だから――……凪人くん?」
目の前には凪人の顔。
しっかりと目蓋を閉じ、規則正しい寝息を立てている。
(……さいてー)
アリスは心底ため息をつく。
曲がりなりにもプロポーズした相手が胸の内を吐露しているのに寝落ちしているなんて。
ごろりと寝返りを打って凪人から離れた。まっくらな天井をじっと見つめながら考える。
(さいてーだけど、なんか、許したくなっちゃうんだよねぇ)
穏やかな寝息を聞いていると怒りなど引っ込んでしまう。
朝早くからの準備で忙しかったのだろうし、風邪で辛いのだろう。そんなふうに考えてしまう。
どうあっても嫌いになんてなれない。
(甘やかし過ぎかな、私)
これが恋なのだろうか。
この恋は正解なのだろうか。
いつか答えあわせできるのだろうか。
分からないことばかりだ。
ただ、願うのは。
一年後も、二年後も、十年後も、その先も。
彼の隣で無防備な寝顔を眺めていたいという、とてもシンプルなもの。
彼が抱える病気、自分の立場、周囲の状況を考えるとそこに至るのがどれほど大変なのかと怖気づきそうになるけれど。
それでも……。
(よし!)
ある決意をしたアリスは凪人を起こさぬよう布団を抜け出した。
傍らに立ち、自分が着ていた寝間着の上下をためらいなく脱ぎ捨てる。そうして下着一枚になってから布団の抜け殻へと舞い戻り、凪人の腕を引き寄せて自分の腰へと回した。これで準備万端。
(寝落ちした責任とってもらうからね)
これは凪人へのささやかな復讐だ。
凪人にせよ桃子にせよ、この状態を見ればきっと「誤解」するだろう。それでいい。年頃の男女が布団の中で抱き合ってすることなんて決まっているのだから。
名付けて既成事実化作戦。
次に目を開けたとき真っ先に彼の顔が飛び込んでくるなんて、こんな幸せなことがあるだろうか。
いままでにない最高のクリスマスイヴだ。
(メリークリスマス。大好きだよ)
眠る彼の髪を撫でてから目蓋にキスを落とす。
おもむろに凪人が体を震わせた。目が開くかと期待して顔を寄せると、
「くしゅんッ」
小さくくしゃみした。しかし目覚める気配はない。
「……まったく、しょうがないなぁ」
鼻をすする情けない姿にもつい笑みがこぼれてしまう。
布団をかけ直してあげる。このまま眠らずに朝を迎えたいところだったが、そろそろ目蓋が重くなってきた。
「おやすみ、凪人くん」
愛しい人の姿を目蓋に焼きつけながら、アリスも瞳を閉じる。
見えなくたって、傍にいるのが分かる。
そっと寄り添えば大好きな人の呼吸や体温をすぐ間近に感じる。
幸せだった。
(おやすみ、良い夢を。明日はもっとイチャイチャしようね)
おわり
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