⑤

 ひどく衰弱した山岡一家を救急車で病院に送ってからすぐ始まった悪魔祓いの儀式は滞りなく終わった。

 Exorcizamus te, omnis immundus spiritus omnis satanica potestas, omnis incursio infernalis adversarii, omnis legio,omnis congregatio et secta diabolica.

 子供の頃と同じように儀式が行われた。

 途中何度か悪魔が暴れ、僕も笠嶋も何度か壁に叩きつけられた。しかし、もうほとんど力はないようで、最後に祖父が悪魔の名前を呼ぶと糸が切れたように動くのをやめた。

 非常に力の強いものだったという。斎藤先生が名前を把握していたこと、笠嶋がわずかながら絵に封じ込めていたこと、先輩の掟破りとも言える物理的な暴力で器自体を弱らせたこと、それらすべてによって奇跡的に成功したのだという。

 拘束を解いた途端、男性――片山敏彦さんはむくりと起き上がった。まだ祓われていなかったのか、誰もがそう思ったとき、少女のような声で彼は言った。


「ブスをこの世から消したかった」


 そして今度こそバタリと倒れ込んだ。死んでしまったかもしれない、そう思ったが、寝息を立てている。ほっとして改めて見ると、女装をした男性の周りを、牧師と神職と大学教授が取り囲んでいるという実に不思議な光景だ。僕は思わずくすりと笑った。


 病院で目を覚ました敏彦さんは完璧に正常だった。ぐったりとした様子で目の下には深い隈が刻まれていたが、こうして落ち着いた状況で見るとまさに絵に描いたような美青年だった。佐々木るみ先輩は悪魔は美しいものを好むと言ったが、ここまで美しいと悪魔に魅入られると言うより「魔性」、つまり悪魔そのもののようだな、と口には出せないが思ってしまった。しかし口を開けば少し不思議というか、なるほど先輩の友人だけあって妙な雰囲気があり、早口で、一方的に今回の事件についての考察をまくし立て、すぐに「魔性の美青年」というイメージは崩れた。吐き気がすると言いながらドーナツを3つも食べて、結局吐き戻したのは「悪魔的」ではあったが。


「恐らくもういない。いないけれど、経過観察が必要だ」


 祖父はそう言った。確かにうちの教会には悪魔を祓うため何年も通っている人も多い。教皇の言葉を借りれば「悪魔との戦いは今も続いている」という結末なのだろう。

 悪魔の一部を封じ込めた絵も山岡家の庭で燃やした。それからもう、恐ろしいことは起こっていない。


 山岡幸太郎は助からなかった。死んだわけではない。何を話しかけてもずっと幸せそうに微笑んでいるだけなのだという。山岡夫妻は今も歯科医院を続けている。だいたいのあらましを聞いた後だと本人には全く同情できなかったが、夫妻のことを思うと心が痛んだ。

 敏彦さんはなぜ大丈夫だったのだろう、そう言うと斎藤先生は「道通様のおかげかもしれないね」と言った。敏彦さんは東都大学歯学部の学生に色々聞いて回った時に、松田という女子生徒から例の家の主からお守りをもらったという情報を得た。女子生徒は快くそれを譲ってくれたらしい。

 様々な信仰があって、僕はプロテスタントだけれども、選り好みせず何かに縋る、という姿勢も案外大事なのかもしれない。僕だって正月にはお神籤を引いたりもするのだ。


 それにしても。僕はどうしても須田真理恵に同情してしまう。

 写真を見せてもらったが、確かに不美人だった。しかし、人生を悲観するほどではない。そもそも僕は悲観するほどの不美人などこの世にはいないと思う。

 ひたすら周りの環境が悪かったのだ。斎藤先生には言えないが、彼の娘は最低の人間だ。もちろん山岡幸太郎も。

 あんなふうに美に執着してしまうなんて。僕の憶測だが、恐らく須田真理恵は自分のされたことを「ブスだから攻撃されている」と思い込んだ。「美人はブスを攻撃する権利がある」とも。その異常なコンプレックスが、心の闇が、結果的に悪魔を引き寄せてしまった。ブスをこの世から消したかった、のブスは彼女自身も含まれていたということなんだろう。悲しすぎる言葉だ。そんなもので人間の価値は決まらないというのに。

 僕はあの日から毎日、須田真理恵が天国に行けるよう神に祈っている。

 東都大学の裏の土地にあった「かがせおさま」と呼ばれる悪魔の本体。あれは何故かどこからも発見されなかった。家と一緒に燃えたのかもしれない。


 変わり者だと思って少し敬遠していた佐々木るみ先輩とは事件以降ぐっと距離が縮まったように思う。絡みつく髪に邪魔されながらも僕と笠嶋を助けに入ってきた彼女は天使どころか神にさえ見えた。彼女はとても強くて優しい、素敵な女性だ。

 そのまま助教として斎藤先生の元で働きたい、そう言って先輩は微笑んだ。笑うとおもちのような丸い顔が横に広がってとても可愛らしい。僕は佐々木先輩の笑顔をずっと見ていたいかもしれない、と思った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る