ウッドデッキがくれた世界

中川 弘

第1話 いつだって遅いなんてことはないさ


買ってから一度も使わずに、長い年月、置きっ放しになっていたというものがあります。

 一つは、畑を耕す鍬で、いま一つは手斧です。


 なんでそんなもの買ったのって、実は、自分でもよくわからなくなってしまっているのです。


 きっと、つくばに家を建てた頃、近くにあった菜園のひと区画を借りて、農作業でもやろうと思っていたのかも知れません。それに、周りは雑木林ですから焚き火用の枝でも斧で叩き割ろうとしていたのかも知れません。


 買ったことなどすっかりと忘れて、これらの道具は、ガレージの隅の薄暗いところに放置されたままになっていたのです。


 日曜日も学校に出かけるほどに、どっぷりと教師生活を送っていたのですから、畑作業など到底できるはずもないのですが、鍬や手斧を買ったのには、きっと、自然と接するそうした生活への憧れがあったのではないかと、いや、きっと、そうに違いないと、私はその二つの道具を見つけて、思ったのです。


 私は、ある種の男たちがそうであるように、まず、形から入る傾向が強い人間です。

 何かを始める時、形って大切だと考え、ともかく、一丁前の格好をして見せるのです。


 ロードバイクであれば、自転車を乗るにあたり、それなりの格好を整えます。

 お尻にパットの入ったぴったりと足にフィットするタイツも、派手なサイクルウエアも、そして、手袋に、ヘルメット。

 そうしないと、ロードバイクに乗っても、思い切り走れないのです。


 卓球でも、港に泊めてある船でも、それは同じです。

 なぜなら、服装とか備品というのは、それをするに、最適の恰好を示しているからです。


 ジーンズで自転車に乗っても、なんら差し支えありませんし、ジャケットとニッカポッカを履いて自転車に乗れば、まるでイギリス人になったかのです。

 ジャージで卓球台の前に立ったって、何もプロの選手ではないのですから、構うことありません。

 まさか、浴衣でとは洒落が過ぎますが、でも、私は、それなりのユニフォームを好むのです。


 そんなことを考えると、船はどうかといえば、例えば、濡れても滑らず、気持ちも悪くならないシューズを履いていますし、ズボンもお尻の部分が少々厚めに縫われた、そして、濡れてもすぐ乾く、いつまでもオシメをしているような感覚にならない、さっぱりしたものを用意しているのです。


 滅多に沖に出ることもない、私のボート生活ですが、形はヨットマンそのものなのです。


 でも、恰好ばかりを気にしているのではなく、明らかに、そこには、合理性があって、それをするに適したものをつけて、もっと、楽しみたいという気持ちが作用していることがわかるのです。


 零下の朝の気温も影を潜め、昼間など、ウッドデッキには陽が差し込み暖かいくらいの天気になり、デッキの上に覆いかぶさっている紅梅も花を咲かせた日に、私、片隅に置かれたままになっていた鍬と手斧をウッドデッキに持ってきて、しばし、思案に明け暮れていました。

 

 両方とも、錆が出て、あかくなっています。

 おまけに、柄もブカブカです。

 鍬など、刃がスルスルと取っ手に入ってしまいます。これでは使い物になりません。

 手斧だって同様です。

 あまりの錆ように、申し訳なる程です。


 さて、錆を落として、柄をはめこまなくてなりません。


 おいおい、何をする気かと、そんなことを考える自分に、私、問うたのです。

 何をするって、せっかく、鍬があるんだから、この春、庭のひと隅を使って畑を作るというのだから、そこに使ってやるんだ。

 それに裏にほったらかしてある、あれ、そう、暖炉の薪にと、落葉樹の枝を集めてあるあれ、あれをこの手斧でぶった切るんだ。


 電鋸でやればいいのに、その方が絶対に早いって思うんですが、せっかくある手斧だから、使ってやるんだと、私の答えが、私に戻ってくるんです。

 

 しかし、この手斧、ごくごく一般に見る斧とは違って、よく見ると西部劇に出てくるインディアンが使う手斧に似ているぞ。

 もしかしたら、どこかに行って買ってきた土産かも知れないなぁ、なんて考えもするのですが、記憶が曖昧で確としたことはわかりません。


 ガレージから、錆を落とす道具の数々を取り出します。

 金ブラシに、金属磨き、それに砥石と、我が宅の道具置き場には、意外にも、それなりのものが揃っているんだと驚きます。

 そして、それらを使って、せっせと磨きをかけます。

 すると、それなりの輝きを取り戻すのですから大したものです。

 そして、そこにくさびを打ち込みます。


 二時間ばかりで、私は、かつて、理由もわからずに買った二つの道具をいつもで使えるように修繕を完了させたのです。


 そして、ウッドデッキにそれらを置いて、私はデッキアンブレラの下に座って、眺めていました。自分で言うのもなんですが、修理の出来の素晴らしさに惚れ惚れとしていたのです。

 そうしていますと、そうだって、あることに気がついたのです。


 私の書架にある、書籍のことです。

 あれらの本のうち、いまだに読んでいない本が幾冊か、いや、幾十冊かあることにです。


 学生時代、アルバイトしていただいた賃金を注ぎ込んで買い溜めた、中国関連の史書であり、中国社会科学院の専門書です。


 ついぞ読んでいないなぁって、それに早稲田の中国文学会から送られてくる論文集も積み重なったままです。


 いつか、これは役に立つとあの時は思って買ったはずです。

 しかし、人生はままならぬもので、まるで、時代に流されるように、私は違う方へと、あらぬ方へと行ってしまったのです。


 だったら、今こそ、自分の行く道を修正することができると、そう気がつくのです。

 いつだって遅いなんてことはないさって、私の前の鍬と手斧が、そう囁いていたのです。

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