第126話 仔猫と、はつ江さん・その三
無数の星がまたたく夜空。
窓から控えめな明かりをこぼすレトロな木造住宅。
静かな波音を立てる真っ暗な海。
ここは海の近い大きな街。
そんな街のとあるレトロな木造住宅の中で、少女と仔猫がぬいぐるみで遊んでいた。
「縞ちゃん、そのぬいぐるみ、気に入った?」
そう言いながら、首を傾げて長い黒髪を揺らすのは、深川はつ江。
天真爛漫、元気溌剌、じつはお裁縫とかお花が得意な十四歳の女学生だ。
「に! ににににー!」
そう鳴きながら、ネズミのぬいぐるみにじゃれつくのは、縞。
元気いっぱい、遊びたい盛りの、フカフカでシマシマなサバトラの仔猫だ。
「うんうん、それはよかった!」
はつ江はそう言うと、ぬいぐるみにしがみつく縞の頭を、コショコショとなでた。すると、縞はぬいぐるみにしがみつきながらも、目を細めて喉をゴロゴロと鳴らした。
「ふふふ、縞ちゃんは可愛いね」
「にー!」
はつ江と縞がそうこうしながら遊んでいると、ペタペタという足音が近づいて来た。それから、部屋の襖ががらりと開いて、はつ江の母親が姿を見せた。
「はつ江、いつまで起きてるの!」
母親が厳しい口調で声をかけると、はつ江は肩をビクッと震わせた。それから、苦笑いを浮かべて、ポリポリと頭を掻いた。
「ごめんなさい、縞ちゃんと遊ぶのが楽しくて、つい……」
はつ江が謝ると、母親は深くため息を吐いた。
「まったく、防空電球だからまだいいのかもしれないけど、あんまり遅くまで明かりをつけたら、ご近所様にも迷惑がかかるっていうのに……」
母親がこめかみをおさえながらそう言うと、はつ江は縞を抱き上げて唇を尖らせた。
「ご近所って言ったって、お隣さんもお向かいさんも、このあいだ田舎に引っ越したのに……、心配性なガミガミさんがいるもんだねー」
「にー」
はつ江が文句を言っていると、母親はギロリとした目を向けた。
「はつ江、これ以上ガミガミ言われたいのかしら?」
「いえいえ、めっそーもございません! お代官様!」
「そのお代官様っていうのはやめなさい!」
母親の言葉に、はつ江はつまらなそうに、はーい、と返事をした。それから、縞を畳の上におろして、改めて母親の顔を見上げた。
「ところで、お母さん。うちは、田舎に引っ越さないの?」
はつ江が尋ねると、母親は再び深いため息を吐いた。
「引っ越さないのも何も、お父さんもお母さんもこの町の生まれだし、田舎に親戚なんていないでしょ」
「そっか、そうだよね……」
はつ江はどこか気のない返事をすると、縞の喉元をコショコショとなでた。
「んにー」
縞は耳を軽く伏せ、目を細めて、喉をゴロゴロと鳴らした。
そんな様子を見て、母親は苦笑を浮かべた。
「村田さんのことは、淋しいかもしれないけど、またすぐに会えるようになるわよ」
「うん……」
「だから、しゃんとしなさい! お国を支える若者が、そんな弱気でどうするの!」
「……そうだね」
はつ江は母親に向かって苦笑すると、縞を抱え上げて立ち上がった。
「そんじゃあ、若者は明日に備えてねるとしますかね! 縞ちゃん!」
「んにー! んにー!」
縞ははつ江の腕の中で、ジタバタと動き出した。
「あ、ゴメンゴメン、ネズミちゃんも連れて行かないとね」
はつ江はそう言うと、ネズミのぬいぐるみを拾い上げ、縞のまえに差し出した。
「んに!」
縞はネズミのぬいぐるみを加えて、上機嫌に声をもらした。
「それじゃあ、お母さん、おやすみなさい」
「はいはい、おやすみなさい」
はつ江は茶の間を出ると、縞を抱えたまま寝室へ向かった。
そして――
ジリリリリリリリリリリリリリリ!
――けたたましい目覚まし時計のベルで、目を覚ました。
はつ江が目覚まし時計を止めて辺りを見渡すと、ふわりとしたベッドの天蓋が、朝の陽射しを受けてキラキラと光っていた。
はつ江は穏やかに微笑むと、うーん、と声をもらしながら伸びをした。
「……今日も懐かしい夢を見てた気がするね」
はつ江がそう声をもらすと、トントンとドアをノックする音が聞こえてきた。はつ江は天蓋を開いてベッドから降り、ゆっくりと扉まで足を進めた。
「はいはい、どちらさまですかね」
そう言いながら扉を開けると、そこには黒尽くめの服を着た魔王が立っていた。
「ヤギさんや、おはよう!」
はつ江がニッコリと笑って声をかけると、魔王もニコリと微笑んだ。
「ああ、おはよう。はつ江」
「今日は、ヤギさんも早起きなんだぁね!」
「そうだな、なぜか目が覚めてしまって。それで、よかったら、今日は朝食作りを手伝おうかと思って」
「あれまぁよ! 今日はお仕事もあるのに、大丈夫なのかい!?」
「ああ、ほら、仕事があるのははつ江も同じだろ? だから、任せっぱなしも悪いかな、と思って……」
魔王がそう言うと、はつ江はニッコリと微笑んだ。
「なんも悪いことはねぇけど、そう言ってもらえるのは、すっごく助かるだぁよ!」
「そうか……」
「そうそう! ありがとうね、ヤギさん!」
「いや、気にしないでくれ」
魔王も、はつ江に向かってニッコリと微笑んだ。
「そんじゃあ、ヤギさんが手伝ってくれるなら、なにか洋風なご飯をつくろうかね……」
「ああ、任せてくれ。はつ江の世界の『洋食』についても、書籍でバッチリと勉強済みだから」
「それは頼もしいだぁよ! じゃあ、お着替えするから、ヤギさんは台所で待っていておくれ!」
「ああ、分かった」
そんなこんなで、魔王は台所へ向かい、はつ江はクローゼットへ向かった。
かくして、朝ご飯がはじめての洋食になる予感を匂わせながらも、仔猫殿下とはつ江ばあさんの一日が、今日も始まるのだった。
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