第116話 のんびりな一日・その二

 赤く染まった空。


 奇っ怪な枝振りの木々が生い茂る大地。


 血のように赤い水が悠然と流れる大河。


 ここは魔界。

 魔のモノたちが住まう禁断の土地。


 そんな魔界の一角には、険しい岩山が聳えている。そして、その山頂に築かれた白亜の城の中では――



「はつ江! スナップエンドウの筋、全部取れたぞ!」


「ありがとうね、シマちゃん! じゃあ、今からゆでるだぁよ!」



 ――老女と仔猫が、地味に手の込んだ朝食の支度をしていた。


「シマちゃんが手伝ってくれたおかげで、すごく助かるだぁよ」


 ニッコリと微笑む老女の名は、森山はつ江。パーマのかかった白髪頭がチャーミングな、御年米寿のハツラツばあさんだ。


「ふふん! これくらいのこと、ボクにかかれば朝飯前だからな! いつでも頼ってくれ!」


 得意げに胸を張る仔猫の名は、シーマ十四世殿下。ピンク色の小さな鼻がキュートな、サバトラ模様のフカフカな仔猫だ。


 二人が楽しげに朝食を作っていると、台所の扉がギィっと音を立てて開き――


「ふぁあ。二人とも、おはよう」


 ――黒尽くめの服を着た、角の生えた青年が入ってきた。

 

 欠伸をする彼は、この魔界を統べる王。赤銅色の長い髪と同じ色の瞳が特徴的な、見目麗しい人見知り魔王だ。


 シーマは魔王の方々に跳びはねた髪の毛を見て、耳を反らして尻尾をパシパシと縦に振った。

 

「兄貴、寝癖ぐらい直してこいよ」


 シーマの言葉に、魔王はシュンとした表情を浮かべた。


「いいじゃないか……、今日は休日なんだから」


「そうだけど、急に来客があったら、どうするんだよ?」


「そうしたら、ほら……、『兄は、今いないって言っておいて、って言ってました』って伝えてもらえらば……」


「居留守を使うにしても、その言い方だとバレちゃうだろ!」


「あ……、それもそうか……」


 シーマが尻尾をバンっと縦に大きく振ると、魔王は再びシュンとした表情を浮かべる。

 そんな二人のやり取りを見て、はつ江はニコリと微笑んだ。


「まあまあ、シマちゃんや、ヤギさんはいつも忙しいんだから、お休みの日はゆっくりさせておあげ」


 はつ江が声をかけると、シーマは腕を組んで、尻尾の先をピコピコと動かした。


「ふん、はつ江がそう言うなら、今日は特別に見逃してやる」


 シーマが答えると、はつ江はニコリと微笑んだ。そして、魔王へ顔を向けた。


「ヤギさんも、寝癖が直らなくても、髪の毛は梳かした方がいいだぁよ。長い髪なんだから、絡まっちまったら痛いだぁよ」


 はつ江の言葉に、魔王は頬を掻きながらコクリと頷いた。


「ああ……、それもそうだな」


 魔王の返事を聞いて、はつ江は笑顔でコクコクと頷いた。


「そんじゃあ、あとちょっとで朝ご飯ができるから、お席で待ってておくれ。そうそう、今日はシマちゃんもお手伝いしてくれただぁよ!」


「え、シーマも手伝った?」


 魔王が問い返すと、シーマは得意げな表情で、ふふん、と鼻を鳴らした。


「そうだぞ、兄貴! ありがたく思え!」


「ああ……、シーマが作ったご飯を食べられるなんて……、俺は幸せ者だ……」


「いや、そこまで感動しろとは、言ってないんだけど……」


 目頭を押さえてうつむく魔王を見て、シーマはヒゲと尻尾をダラリと垂らして脱力した。そんな二人を見て、はつ江はニッコリと笑った。


「子供の成長を見ると、大人はうれしくなるもんだからねぇ」


 はつ江の発言に、シーマは鼻の下をぷくっと膨らませて、尻尾を縦にバンっと振った。


「もう! はつ江! 子供扱いするなって、いつも言ってるだろ!」


「わはははは! 悪かっただぁよ!」


 カラカラと笑いながら謝るはつ江に、シーマは尻尾をパシパシ振りながら、もう、と呟いた。そんなシーマの頭をはつ江は膝を屈めて、ポフポフとなでた。


「そんじゃあ、シマちゃんもお席で待ってておくれ」


「ん? もう、お手伝いは大丈夫なのか?」


「うんうん、シマちゃんが頑張ってくれたおかげで、もうちょっとでご飯ができるかね」


「そうか! なら、そうしよう!」


 シーマはそう言うと、尻尾をピンと立ててトコトコと席へ向かった。はつ江はその姿を見るてニコリと微笑み、作業台に置かれたスナップエンドウを持ってコンロへ向かった。


 それから程なくして朝食はできあがり、いつものように三人の朝食が始まった。


「いただきます!」

「いただきます……」


「どうぞぞうぞ、めしあがれ!」


 それから、いつものように、三人は黙々と食事を続けたが、不意にはつ江がスナップエンドの塩ゆでを取る箸を止めた。


「そういや、今日はどこかにお出かけしたり、お客さんが来たりってことはないのかい?」


 はつ江が尋ねると、魔王がニンジンの甘酢漬けを飲み込んだ。それから、魔王は開始を取り出して口元を拭き、コクリと頷いた。


「ああ、俺の方は、特にそういう予定はないな。シーマは、どうだ?」


 魔王が尋ねると、シーマは焼きサバの骨を取る箸を止めて、片耳をパタパタと動かした。


「ボクの方も、今日は仕事もないし、モロコシもムギアキリンゴの収穫のお手伝いがあるって言ってたから、外出の予定も来客の予定もないよ」


 二人の言葉を聞いて、はつ江は、ほうほう、と声を漏らしながら、コクコクと頷いた。


「そんなら、ご飯の材料もまだまだあるし、今日はお家でのんびりだぁね」


「ああ、そうだな……あ、そうだ!」


 シーマが何かをひらめいた表情を浮かべると、はつ江はキョトンとした表情で首を傾げた。


「シマちゃんや、どうしたんだい?」


「はつ江! せっかくだから、城の中をゆっくり案内するぞ!」


 シーマがそう言うと、はつ江はニッコリと笑った。


「そうかいそうかい! それは、うれしいねぇ」


 はつ江がそう言うと、魔王はコクリと頷いた。


「ふむ、シーマなら危険な場所も分かっているし、安心して案内を任せられるな。まだ見てない場所も多いだろうから、楽しんでくるといい」


「ありがとうね、ヤギさん! そんじゃあ、ご飯の片付けとお洗濯が終わったら、シマちゃんに案内してもらおうかねぇ」


「ああ、任せろ!」


 そんなやり取りをしながら、三人は朝食を続けた。

 しかし、不意にシーマとはつ江が、魔王をジッと見つめだした。魔王は二人の視線に気づくと、ギョッとした表情を浮かべて、冷や奴を切る箸を止めた。それから、二人の視線の意図するところに気づき、ワタワタと辺りを見渡した。


「あ、えーと、うーんと……」


 魔王が焦っていると、シーマとはつ江はハッとした表情を浮かべた。


「あ、兄貴、悪い! 別に、無理してダジャレを考えることはないんだぞ!」


「そうだぁよ、ヤギさん! 無理することは、ねぇだぁよ!」


 二人が慌ててフォローを入れると、魔王は、そうか、と呟いた。しかし、すぐに何かを思い着いた表情を浮かべると、箸を置いて胸の辺りで手をポンと打った。


 そして……



「この間、なくしてたと思っていたカッターが、今朝見つかったー」



 相変わらずの微妙なダジャレを言い……



「ふーん、それなら良かったー」


 

 ……シーマもそれに乗っかって、微妙なダジャレを返した。


「……」

「……」

「……」


 当然のことながら、いつも通り一同の間には気まずい沈黙が訪れた。



「あ、兄貴! 変なこと言うから、微妙な空気になっちゃっただろ!」



 沈黙を打ち破ったのは、シーマの言いがかりのような言葉だった。


「ご、ごめん、シーマ……、お兄ちゃんが悪かった……」


 重度の猫好きの魔王は、言いがかりに抗議することもなく、シュンとした表情でうつむいた。その様子を見て、はつ江がカラカラと笑いだした。


「わははははは! 二人とも、お茶目さんだぁね!」


 はつ江の言葉を受けて、シーマはヒゲと尻尾をダラリと垂らして脱力した。


「はつ江、頼むから今日の発言は、モロコシやミミたちには内緒にしていてくれ……」


「分かっただぁよ!」


 シーマの力ない呟きに、はつ江は元気良く返事をした。


 かくして、仔猫殿下とはつ江ばあさんの、のんびりした一日が始まりを告げた。

 そして、百十八話目くらいにしてはじめて、魔王城の全貌が明かされることになったのだった。

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