第7話 シクシク

 赤い空の下、舗装された道の上。

 真っ二つに割れたガラスの瓶と、砂ぼこりにまみれたバッタの形をした飴が転がっている。

 その様子を見て、薄い茶トラ模様の仔猫モロコシが、耳を伏せてヒゲと尻尾を力なく垂らしながら、小さく呟いた。


「バッタさんのアメが……」


 モロコシのボタンのように丸い緑色をした目は、涙で潤んでいる。


「お父さんと、お母さんにもあげようと思ってたのに……」


 そう言うとモロコシは、白いフカフカとした手で顔を覆い、シクシクと泣きだしてしまった。その隣で、サバトラ模様の仔猫シーマが、申し訳なさそうに耳を伏せて頭を下げた。


「ゴメンなモロコシ……ボクがぶつかってしまったから……」


 シーマがそう言うと、モロコシはフカフカの手で目をこすりながら首を横に振った。


「ううん……ぼくが……ちゃんと持ってなかったからいけなかったんだよ……」


 ションボリとした表情で涙を流し続けるモロコシを見て、忠一と忠二が顔を見合わせて頷くと、スルスルとチョロの肩から降りた。そして、モロコシに駆け寄ると、丸みを帯びた小さな耳の側までスルスルと登り、小さな手でフカフカとした頭を撫でた。


「モロコシー、泣かないでー」

「モロコシィ、いい子いい子ぉ」


 二人に頭を撫でられて、モロコシはフカフカの手で涙を拭いながら、ニッコリと笑った。


「ありがとう……うん、もう大丈夫だよ」


 忠一と忠二は再び顔を見合わせると、タイミングを揃えて頷いてから、なだめるようにモロコシのフカフカの頭をポンポンと叩いた。


「モロコシ、えらい子ー!」

「モロコシ、つよい子ぉ!」


 そう言うと、二人はスルスルとモロコシの頭から降り、再びチョロに駆け寄ってその肩に乗った。

 まだ涙は止まりきっていないが、笑顔が戻ったモロコシに対して、全員が安堵のため息を漏らす。


「モロコシちゃん、泣き止んでえらかったねぇ。大丈夫!アメは洗えばまだ食えるだぁよ!」


「ずいぶんと野生的な発言だな……まあ、モロコシが泣き止んでくれてよかったよ。でも、砂糖石の方はどうしようかな……」


 モロコシの頭を撫でながら優しく微笑むはつ江を横目に、シーマが嘆息を吐きながら肩を落とした。


「盗みを黙って見過ごすのは、仁義に反するわよね……でも、今から追いかけて追いつくかしら……」


 切れ込みの入った片耳と毛羽立った尻尾をパタパタと動かしながら、眉間にしわを寄せてクロが呟くと、その隣でチョロがウロコに覆われた長い指で頬を掻きながらため息を漏らす。


「アッシも素早さには自信が有りやすが、あんまし長くは走れねぇですし……」


 チョロが呟くと、右肩と左肩の上に乗った忠一と忠二がピョンピョンと跳ねながら抗議する。


「でも、ドロボー放っておいたらダメー!」

「モロコシ泣かしたヤツ放っておいたらダメェ!」


「コラ!忠一も忠二も肩で暴れんな!落ちたらケガすんぞ!…………うわっ!?」


 チョロが二人を注意していると、それまで檻のなかでおとなしくしていたヴィヴィアンが、俄かにバサバサと音を立てながら、翅を広げだした。シーマはその音に跳び上がって驚いたが、耳を伏せて顔を洗う仕草をしてからヴィヴィアンの方に振り返り、はつ江とモロコシをかばうように両手を広げた。


「も、モロコシ、なんかまた怒っているみたいだけど、今度はどうしたんだ!?」


 耳を伏せたままうわずった声でシーマが問いかけると、モロコシは涙を拭ってからヴィヴィアンに向かって首を傾げた。


「ヴィヴィアンさん、どうしたの?……え?本当に良いの!?ありがとう!」


「モロコシちゃん、ベベちゃんはどうしたんだい?」


 尻尾を立てて驚きの表情を浮かべるモロコシに、はつ江がキョトンとした表情を向けながら問いかけた。モロコシはフカフカの手を上下に振りながら小さなピンク色の鼻をピスピス鳴らし、はつ江の顔を見上げて興奮気味に口を開いた。


「あのね、あのね!ヴィヴィアンさんがボク達を連れて、さっきの人のところまで飛んでいってくれるんだって!」


「本当か!?」


 モロコシの言葉を受けて、シーマは尻尾を立てて目を輝かせた。


「よかっただぁね、シマちゃん。じゃあ、べべちゃんに頼んで、さっきの人から荷物を返してもらいに行こうかね」


「素直に返してもらえるかは分からないけど……とにかく行ってみよう!」


 はつ江に頭を撫でられたシーマは、決意に満ちた表情でフカフカの白い手を胸の辺りできつく握りしめた。


「うん!じゃあ殿下、ヴィヴィアンさんを檻から出してあげて!」


「よし!分かった!!」


 モロコシの言葉を受けて、シーマがヴィヴィアンの方へ手を差し伸べて口をむにゃむにゃと動かす。すると、光の檻は天井の方から、キラキラとした光の粉になり風に吹かれて消えていった。光の檻が全て消え去ると、ヴィヴィアンはバサバサと翅を動かしてから、左右に首を傾げた。その様子を見たモロコシが、ヴィヴィアンに向かってぺこりと頭を下げる。


「いえいえ、どういたしましてー。こちらこそ、よろしくねー」


 モロコシが頭を上げてそう言うと、ヴィヴィアンはバサバサと翅を動かしながら、後脚に力をこめて2本足で立ち上がった。その身長は、はつ江を見下ろすほどの高さになっている。


「や、やっぱりオオイナゴってだけあって、ちょっとだけ大きいな……」


「殿下、はつ江おばあちゃん!すごいよ!ムラサキダンダラオオイナゴさんが立ち上がるところは、滅多に見られないんだよ!」


「そうかいそうかい!それは珍しいもんが見られてよかっただぁよ!」


 ヴィヴィアンの大きさに、シーマは耳を伏せながらも不敵な笑みを精一杯浮かべ、モロコシは目を輝かせ、はつ江はカラカラと笑っている。しかし、逃げ出そうとする気配は全くない。

 そんな三人を見て、クロが感心したように、ふぅ、とため息を漏らした。


「三人とも、大丈夫ならウチにスカウトしたいわね」


 クロの言葉に、他の三人もうんうんと頷いた。


「しかし、殿下はご公務がありやすし、モロコシの坊ちゃんはまだ小さいですし、はつ江婆様もご年齢的に無理がありやすでしょうしね」


 チョロがそう言うと、忠一と忠二が再び肩の上でピョンピョンと跳ねて抗議をした。


「小ちゃくても平気!チョロ失礼ー!」

「チョロ失礼ぃ!」


「だから危ねぇから肩で暴れんな!あと、身体の大きさの事を言ってんじゃねぇよ!」


 イザコザする三人にクロはジロリと鋭い視線を送り黙った事を確認すると、コホンと咳払いをしてシーマ達に笑いかけた。


「ウチの若い衆達が、騒がしくてごめんなさいね。アタシ達は荷馬車の修理とお店の片付けがあるから、盗っ人の事はお任せしても良いかしら?」


 クロが首を傾げると、シーマとモロコシとはつ江が同時にコクリ頷く。


「すまないが、ちょっとヴィヴィアンをお借りするよ」


「泥棒さんに荷物を返してもらったら、帰ってくるねー」


「じゃあ、行ってくるよ!」


 はつ江の言葉を皮切りに、ヴィヴィアンは前肢と中肢で三人を抱え込み、後脚を折り曲げてから力一杯跳ね上がった。そして馬車道を囲む林のはるか上空で翅を開き、バサバサと音を立てながら猛スピードで赤い空を飛んでいった。その様子を見上げ、バッタ屋さんの面々が手を振る。


「行ってらっしゃい!」


「お気をつけてなすって!」


「頑張ってねー!」

「頑張ってねぇ!」


 シーマ達の姿が見えなくなると、クロは首を下げて他の三人に向き直った。


「さてと、殿下達とヴィヴィアンが帰って来るまでに、荷馬車の修理とお店の片付けをするわよ!」


「かしこまりやした親方!」


「了解!親方ー!」

「了解!親方ぁ!」


「だからアンタ達!マダムと言ってちょうだいって言ってるでしょ!」


 クロは相変わらずな面々に対して、耳を後ろに反らして尻尾を縦に大きく振って抗議した。そして小さくため息を吐くと、力なくうな垂れて荷馬車の修理に取り掛かった。

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