第6話 ドタバタ
赤い空の下、整備された馬車道の上、光でできた檻の中。
全身紫色で、前翅と後脚に黒いダンダラ模様のある大きなイナゴがしきりに首を傾げている。
「そうだったんだねー。それじゃあ、暴れちゃうね」
その前で、緑色のボタンのように丸い目を輝かせて飾り毛のある小さな耳をピコピコ動かす、プリティーな薄い茶トラ模様の仔猫、モロコシが飴の入った瓶を大事そうに抱えて、何度も頷いている。
「モロコシちゃん、何か分かったのかね?」
そんなモロコシの様子を、パーマをかけた白髪の短髪とえくぼがチャーミングなクラシカルなメイド服の老女、森山はつ江が腰を屈めて覗き込む。
「何かの病気だったら、バカ兄貴に連絡して薬を用意するぞ?」
はつ江の隣で尖った大きな耳と青いアーモンド型の目がキュートなフカフカのサバトラ模様の仔猫、シーマ十四世殿下が尻尾をユラユラと左右に揺らした。
「ううん、大丈夫だよ殿下。具合が悪いから暴れてたんじゃないんだって」
シーマの質問に、モロコシは首を横に振って応えた。そこに、片方の先端が細く欠けた厚い耳と目尻の上がった金色の半月型の目と口元から溢れる牙がダンディな黒猫、マダム・クロが短くケバ立った尻尾をピンと立てながら駆け寄る。
「お疲れ様、モロコシちゃん。それで、この子は何て?」
「うん、えーとね」
やや離れたところから、白い毛並みに赤い目をした尻尾の長いハツカネズミ忠一と、茶色の毛並みに黒い目をした尻尾の短いハツカネズミ忠二と、その二人を肩に乗せたスラリとしたカナヘビのチョロが固唾を飲んで、モロコシの話に耳を傾ける。
「アタクシ……」
「ちょっと待て、急にどうしたんだその一人称は?」
シーマが尻尾をダラリと垂らして脱力気味に尋ねると、モロコシは尻尾の先をピコピコと動かしてキョトンとした表情を浮かべ首を傾げた。
「イナゴさんの言葉を通訳しただけだよ?」
モロコシがそう言うと、はつ江が目を丸くして驚いた。
「あれまぁよ!じゃあこのイナゴは女の子だったのかい!?」
「うん、可愛い女の子だよ」
可愛いという言葉に、ムラサキダンダラオオイナゴの紫色がほんのりと赤みを帯びる。
「……
「チョロに言われたくなーい!」
「言われたくなぁい!」
「そんな!?」
本筋から逸れた雑談をするバッタ屋さんの面々に向かって、クロが振り返り尻尾を大きく縦に振ってギロリと睨みつける。すると、三人はピタリと雑談を止めた。
「ごめんなさいね、モロコシちゃん。この子の話を続けてちょうだい?」
コホンと咳払いをしてからクロが微笑みかけると、モロコシは、うん、と言って頷いてから、ムラサキダンダラオオイナゴから聞いた話を再開した。
「アタクシ達ムラサキダンダラオオイナゴは、己が肉体を日々研鑽し、気高く孤高なる精神をもって生きています。ただし、それをも凌駕する強さを持つ方々に対しては、己が主人と認め、敬意を持ってお仕えするのが習わしです」
「どうしよう……モロコシが小難しい言葉を使ってる……」
黒目を大きくして動揺するシーマに、モロコシがフカフカとした鼻の下を膨らませ、尻尾を左右に大きく振りながら、プンスカと抗議する。
「もー、お話を止めないでよ、殿下」
「すまなかった。続けてくれ、モロコシ」
耳を伏せてションボリとした表情をしながら謝ると、モロコシは笑顔で、分かったー、と言ってから話の続きを始めた。
「さしあたって、そちらにいらっしゃるバッタ屋さんの方々は、マダムを筆頭に、身体能力の素晴らしく、各々の特性を活かし且つ各々の弱みを補い合い、このアタクシを捕らえた
「そうかい、そうかい。イナゴさんは仲間外れにされたと思って寂しかったんだね」
「はつ江、ちょっと違う気もするぞ……」
モロコシの言葉にはつ江が感慨深そうに頷き、シーマが尻尾をゆらしながら首を傾げる。
目をつむり腕を組みながら、黙ってモロコシの話を聞いていたクロが、小さくため息を漏らして口を開いた。
「そこまでアタシ達のことを評価くれる子に向かって、どこかに行けと言うのは仁義に反するわね」
そして、片目だけを開いて視線をムラサキダンダラオオイナゴに向けた。
「ちょうどウマも逃げちゃったし、まずは荷物運びから手伝ってもらおうかしら?ヴィヴィアン」
クロがそう言うと、チョロと忠一と忠二が驚きの表情を浮かべる。
「おお……滅多に新入りを入れないマダムが、名前をつけてくだすった……と言うことは!」
「やったー!仲間が増えたー!」
「やったぁ!五人になったぁ!」
三人の歓声を背に、モロコシがニッコリとヴィヴィアンに笑いかける。
「ヴィヴィアンさん、良かったねー」
はつ江もカラカラと笑いながらそれに続く。
「良かっただぁね、べべちゃん!」
はつ江の発言に、シーマが脱力気味に尻尾を揺らしながらため息を吐く。
「べべちゃんじゃなくて、ヴィヴィアンだ。ともかく、怪我人も出なかったし、街が大騒ぎなることもなかったから良かったよ」
その様子を見てクロが目を細めて、うふふ、と笑った。
「殿下達にお手伝いしていただいたおかげね。何かお礼をしないと、いけないわね……今日の売上の何割かで足りると良いんだけど」
クロがそう言うと、シーマが静かに首を横に振って応えた。
「いや、市井の安全を守るのがボクの任務だから、必要ないよ」
「ボクもムラサキダンダラオオイナゴさんとお話ができて楽しかったし、別に大丈夫だよー」
「私も特に大丈夫だぁよ!それよりも、べべちゃんとチョロちゃん達をいたわってやんな!」
三人が揃ってお礼を辞退したため、クロは黒目を大きくして面食らった顔をしたが、すぐに目を細めて笑った。
「ふふふ。三人ともありがとうね。でも、恩にはちゃんと報いないといけないから……」
そう言ってクロは、着ていた赤いベストの胸元に手を入れて、内ポケットを漁ると、ペラペラとした何かを3枚取り出した。
「バッタ屋さんの特製ワッペン!これを進呈するわ」
クロは高らかに宣言すると、光沢のある緑色の糸でバッタの刺繍がほどこされ、縁が金糸でかがられている丸いワッペンを三人に差し出した。
途端にシーマとモロコシは耳と尻尾を立てて、目を輝かせた。
「わー!カッコイイ!バッタ屋さんありがとう!」
モロコシはピョコピョコとクロに駆け寄り、ワッペンを受け取った。一方のシーマは一旦顔を洗う仕草をしてから、コホンと咳払いをし、落ち着いた足取りでクロに近寄った。
「かたじけない、マダム。大切にさせてもらうよ」
そして、気取った口調でそう言うと、ゆっくりとワッペンを受け取った。ワッペンを手にして喜ぶ二人を見て、はつ江もニッコリと笑う。
「二人とも、良かっただぁね」
「あら、はつ江さん。貴女の分もあるわよ」
「あれまぁよ!本当かい!?」
ワッペンを差し出すクロに向かって、はつ江は大げさな身ぶりで驚いた。
「ありがとうね!黒さん!」
そしてニッコリと笑ってワッペンを受け取りエプロンについたポケットに大事そうにしまうと、クロの頬に手をのばして優しく撫でた。はつ江に撫でられたクロは目を見開いて驚いたが、徐々に首を前方にのばしながら、半月型の目を細めてゴロゴロ喉を鳴らす。
その様子に、バッタ屋さんの面々が再び固唾を飲んだ。
「あのマダムなゴロゴロするなんて……」
「ばーちゃんすごーい!」
「ばぁちゃんすごぉい!」
クロは三人の言葉を耳にすると、ハッと目を見開いた。そして、はつ江の手を両手でそっと掴んで外し、コホンと咳払いをしながら短い尻尾を左右に振った。
「失礼したわ。じゃあ、アタシ達は荷馬車の片付けをしてから市に戻るわ。殿下、申し訳ないけどヴィヴィアンを檻から出してあげてくださる?」
クロがそう問いかけると、シーマは気まずそうに耳をピコピコ動かして苦笑した。
「ああ、分かったよ。じゃあ、解除の呪文を……」
「待たれよ!!」
シーマが檻の魔法を解く呪文を唱えようとしたその時、突然ガサガサと音を立て林の中から人影が現れた。ヴィヴィアンを含めた全員は驚いて、一斉にその方向に顔を向ける。
そこには、はつ江と同じくらいの背丈をして、耳の形に尖った黒い頭巾を被り、鼻先と口元を同じ色のマスクで覆い、更に同じ色の手甲と忍び装束に身を包んだ人物が立っていた。耳の形はシーマ達と似ているが、鼻先と口先がシーマ達より尖り、外側にクルンと巻いた重厚な毛並みをした小麦色の尻尾から、シーマ達とは違う種族だろうということが見てとれる。
頭巾をかぶった人物は呆然としている一同に向かって、ズンズンと歩みを進めた。
「そちらの少年。先ほど砂糖石を購入していたな?」
そして、シーマの目の前で立ち止まると、肩に下げた紙袋を指差して、マスクのせいで少しくぐもった声でそう聞いた。
「そうだけど……」
怪訝そうに耳を伏せて答えるシーマに向かって、ふむ、と呟くと軽く頷いた。そして、急に紙袋の持ち手を掴むと、めいっぱいの力を込めて引ったくった。
「御免!」
「うわぁ!?」
その勢いにシーマがよろめき、モロコシにぶつかる。
「わぁ!?」
そして、シーマにぶつかられたモロコシがバランスを崩して倒れこみ、その勢いで飴の入った瓶を投げ出してしまう。
「シマちゃん!?モロコシちゃん!?大丈夫かい!?」
尻餅をつく二人に、はつ江が慌てて手を伸ばす。そんな様子に構うことなく、頭巾の人物は走り去って行く。
「ちょっと!待ちなさい!!」
「何しやがんだ!」
「ドロボー!」
「ドロボォ!」
バッタ屋さんの面々も声を荒げるが、頭巾の人物は猛スピードで駆けて行き、後ろ姿はもう豆粒ほどになっていた。
「痛たた。何なんだよいきなり」
シーマがぶつくさ言いながら、はつ江の手を取って立ち上がる。
「びっくりしたー」
モロコシもはつ江の反対の手を取って立ち上がる。
「二人とも、ケガはないかい?」
心配そうな顔をするはつ江に、シーマはバミューダパンツについたホコリを払いながら答える。
「ああ。大丈夫だよ」
モロコシもスボンについたホコリをはらいながら、のんびりと答える。
「ぼくも大丈夫だよー」
しかし、モロコシは地面に目を落とすと、緑色のボタンのような目を更に丸くして驚いた。
「あー!?」
「どうしたんだい!?モロコシちゃん!?」
はつ江が慌てて背中をさすると、モロコシは震えながら地面を指差した。
フカフカとした手が指差した先には、小石にぶつかり綺麗に真っ二つに割れた飴のビンが転がっていた。そして、キラキラと緑色に光っていたバッタの飴も瓶から溢れて、ホコリにまみれていた。
「バッタさんのアメが……」
一同がオロオロと見まもる中、悲しそうなモロコシの声が赤い空の下に響いた。
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