第2話 フカフカ

 赤墨色の雲が空を覆い、雷鳴が轟き、暗緑色の木々が埋め尽くす森には、絶えず叫喚に似た鳥達の声が響き渡る。


 ここは、魔のモノ達が住む世界。

 

 その一角に聳える城の城門には、漆黒の服と外套を纏った赤銅色の瞳の青年が、物憂げな表情で立っていた。

 

 瞳と同じ色の長い髪。

 

 くすんだ金色の冠。

 

 側頭部から生える堅牢な二本の角。



 彼こそがこの魔の世界を統べる魔王。


 

 その魔王の目に映るのは……


「それでは、魔王様、殿下、はつ江殿。私はバカンスへと旅立って参ります!」


 ……キャリーバッグを片手に、楽しげに手を振る、燕尾服を着た骸骨、リッチー・徒野


「はいよ!気ぃつけて行ってらっしゃい!」


 クラシカルなロングスカートのメイド服に身を包んだ、パーマをかけた短髪の白髪頭がチャーミングな老女、森山はつ江


「お土産は絶対忘れるなよ!」


 フカフカのサバトラ模様の毛並み。


 生意気そうな大きな空色の目。


 ピンク色の小さな鼻。


 体の割りに大きなフカフカな手。

 

 柔らかなピンク色の肉球。


 シマシマな尻尾。


 その他のキュートな魅力満載の仔猫、シーマ十四世殿下の三名だった。

 今日のシーマは、襟と袖口にフリルがつけられたシャツを着て、サスペンダーで吊った黒いバミューダパンツを履き、背には魔王と同じ型の外套を羽織っている。

 そんなおしゃまな格好をしたシーマの隣で、魔王が、どうしてこうなった、と呟いてからため息をついた。

 彼の思惑では、なんだかんだではつ江が依頼を断り、弟の世話はいつも通り勝手をよく知っているリッチーが続ける、はずだった。


「魔王様、そうお気を落とさずに。はつ江殿は気さくな方なので、人見知り明主、の異名をもつ魔王様ともきっと上手くやっていけますよ!」


 リッチーの言葉に魔王は、黙れ、とばかりに鋭い視線を向けた。


「あれまぁよ、ヤギさんは人見知りなのかね?親切でハンサムさんなんだから、堂々としてればいいのによぅ」


 カラカラと笑いながらそう言うはつ江に対して、魔王は小さくため息をつくと、放っておけ、と小さくぶっきらぼうに答えた。そんな兄の姿を横目に、シーマがあきれた表情で、はつ江に事情を説明した。


「はつ江、そう言ってやるな。確かにこの馬鹿兄貴は極度の人見知りが高じて、国民への演説は魔力で作った分身に任せて引きこもる、領主との打ち合わせはリッチーとボクに任せて引きこもる、城内の全設備を魔力でオートメイション化してリッチー以外の従者に別の職を紹介してクビにする、魔王としての威厳も何もあったもんじゃない奴だ。それでも、民のためを思って政策を立案する才能だとか、魔術の知識と探求心だとか、魔力の高さとかは抜群だから、民からの信頼も篤い明主でもあるんだ」


 シーマのフォローのような止めのような言葉に、魔王は複雑な表情をしてからため息をつき、執務に戻る、とだけ呟いてから、踵を返した。そして、後ろ姿でリッチーに向かって手だけ振ると、赤い霧となってどこかへ消えてしまった。


「それでは、私もこれで!」


 魔王の姿を見送ると、リッチーは頭を下げてからキャリーバッグをガラガラと引き、暗い森へ続く小道を進んでいった。リッチーの姿が見えなくなると、シーマははつ江を見上げて得意げな表情を浮かべてから口を開いた。


「はつ江!今日は特別にこのボクの、市井の見回りに連れて行ってやる!ついでに、馬鹿兄貴の魔術の研究で使う材料を揃えに行くぞ!」


「はいよ、シマちゃん!お散歩のついでにお使いをしてあげるなんて、お利口さんだね!」


 はつ江がそう言ってフカフカの頬をなでてやると、シーマは目を細めて喉を鳴らした後、はっと目を見開いた。そして、耳を後ろに反らして、尻尾を縦に大きく一度振ってから、抗議の声を上げる。


「ちーがーうー!これはボクの重要な任務なんだ!ともかく、グズグズしていると置いていくからな!」


 シーマはフカフカの頬を膨らませてから、森の方へ手を伸ばし、空に文字を書くしぐさをしながら呪文を唱えた。すると、シーマの目の前に扉が現れる。はつ江はそれを見て、つぶらな目を見開いて驚いた。


「あれまぁよ!シマちゃん魔法が使えるのかね!?すごいじゃないかい!」


 シーマは得意げにフフンと鼻を鳴らしてから答えた。


「まあ、馬鹿兄貴ほどじゃないけど、ボクにかかればこんなもんだね。ここを抜けると、市場のある街まですぐだから、さっさと行くぞ!」


 そう言って扉を開けて進むシーマに、はいよ、と元気のよい返事を返してはつ江が続いた。


 扉を抜けると、二人は石畳に屋台や露店が所せましと立ち並ぶ広場にでた。広場の周りには、石造りの建物が立ち並んでいる。一見、古い町並みを再現した観光地のようにも見えるが、そこに集まる人々は、猫の姿をしていたり、犬の姿をしていたり、額に角が生えていたり、鋭い牙と鱗があったりと様々な外見をしているため、人間の世界とは別の場所だということが分かる。はつ江は感心したように、ほー、と短く言葉を発したが、特に動じる様子はなかった。


「今日はちょうど、各地を巡っている行商人達が広場で市を開く日なんだ!珍しいものも見れるかもしれないぞ!」


 尻尾をピンと立てて上機嫌にそう言うシーマは、市井の見回りという口実を忘れて、市を楽しむ気でいっぱいという表情をしている。


「へー!なんだか闇市を思い出してワクワクするねぇ!」


 はつ江から繰り出された単語に、シーマがぎょっとした表情を浮かべる。


「闇市!?なんだその物騒な催しものは!?」


「焼け跡にこんな感じで集まって、食べ物やら日用品やらを売ったり買ったりしてただぁよ!」


 焼け跡、という言葉にシーマがさらに驚いて言葉に詰まっていると、二人の後方からペタペタと足音が向かってきた。


「あー、やっぱり殿下だー」


 二人が振り返ると、そこには緑色をした麻のチュニックを着て、膝にバッタンのアップリケが縫い付けられている黒いズボンを履いた、薄い茶トラ模様の仔猫が駆け寄ってきていた。

 緑色をしたボタンのように丸い目と、先端に白い飾り毛がついたシーマよりも若干丸みをおびた小さな耳が可愛らしい仔猫は、二人のもとにたどり着くと、はつ江を見上げて首を傾げた。


「殿下ー、そのおばあちゃんはだぁれ?」


 仔猫がゆっくりとした口調でそう聞くと、はつ江は相変わらずの元気のいい声で答える。


「私は、森山はつ江だよ!徒野さんの代わりに、シマちゃんのお世話係にきてるだぁよ!」


「へーそうなんだー」


 茶トラ模様の仔猫は、興味津々とばかりにふんふんと鼻を鳴らしながら、はつ江の周囲をくるくると周り歩いていた。


「こら、ウチの臨時職員が珍しいからといって、そんなにジロジロと見るのは失礼だろ」

 

 シーマが諭すようにそう言うと、茶トラの仔猫は丸い耳を下に伏せて、しゅんとした表情を浮かべ立ち止まった。そして、はつ江に向かってゆっくりと頭を下げた。


「そうだね。はつ江おばぁちゃん、ごめんなさい」


 はつ江は特に気分を害することもなく、カラカラと笑いながら仔猫の頭をなでてやった。


「構わねぇだぁよ!それより、猫ちゃんはなんてお名前なんだい?」


 はつ江が頭をなでてやると、茶トラの仔猫は目を細めて喉を鳴らしてから、ゆっくりと頭を上げた。


「ぼくはモロコシだよー。殿下のお友達なんだー」


「そうかいそうかい!シマちゃんのお友達だったかい!」


 二人のやり取りを見て、シーマは小さくため息をついてから、頬を掻いた。


「友人というか、世話の焼ける弟分というか……ところで、モロコシは何しに来たんだ?」


「うん、今日は市の日だから、珍しいバッタさんを売ってないか見に来たんだー。殿下とはつ江おばあちゃんも一緒に行かない?」


 シーマは腕を組んで、うーん、と呟いて尻尾をゆらゆらと横に振りながらはつ江の顔を見上げた。はつ江はその視線に気付くと、カラカラと笑って、シーマの頭をなでた。


「私はそれで構わねぇよ!シマちゃん、モロコシちゃん、案内しておくれ!」


 はつ江の返事に、モロコシは笑顔になり、シーマもゆらゆらしていた尻尾を止めた。


「うん!任せてー!」


「ふん!二人とも迷子になるなよ!」


 はつ江は二人の様子に、満足そうに笑んで頷いた。

 こうして、フカフカ度が上がった一行は、市を巡ることになったのだった。

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