第98話 貴女の為に黒幕を

 世界は、残酷だ。

 与えられた者には全てを与えられ、奪われる者は全てを奪い取る。

 与えられたものは、分け与える事はない。

 奪われたものは、何一つ手に出来ない。

 家族も、恋人も、幸せも、自由も、未来も。

 与えられる物は『可哀想』。たったその一言のみだ。

 私が何か罪を犯しただろうか。

 私が何か過ちを犯しただろうか。

 人が人として、生きたいと思う気持ちすら、『可哀想』なのか?

 世界は残酷だ。

 世界は、残酷だ。

 こんな世界を誰が作った。

 こんな世界を誰が許した。

 神か?

 悪魔か?

 いや違う。

 そんなもの、何処にもいない。

 悪魔さえ、居るわけがない。

 居るのは愚かな人。

 人間。

 作るのも許すのも全て人だ。

 では、誰に罰を与えればいい?

 奪った奴か?

 作った奴か?

 いや、与えられた人間だ。

 与えられた人間だ。

 与えられた人間を我々は罰せなけばならない。

 彼等は苦しみも悲しみも喜びすら、奪われる人間から取り上げる。

 与えられるのを、そのまま飲み込むのだと、まるで酒を勧める様に肩を叩く。

 私達の様にと、笑いかける。

 私には、何もないのに。

 与えられたものは、何もないのに。

 嘆く私に彼等はまた肩を抱いて口を開くのだ。

 

『可哀想だ』


 そう、口を開くのだ。

 何度も何度も言われた言葉なのに。

 たったその時の一言だけで。

 その時、私も開いてしまった。

 地獄の入り口を。

 私も開いてしまったのだ。

 



 私とフィンが駆けつければ、逃げはずの一般生徒達が未だこんな場所で人垣を作りながら集まっている。

 可笑しい。

 何故こんなにも、こんな場所に人が集まっているんだ?

 皆、命からがら逃げ出して来たと言うのに。

 些か危機感に欠けると言うか、欠けすぎだろう。

 フィンがギヌスを足止めしていたからと言って、いつフィンが負けてもおかしくはない程戦いは熾烈を極め、実力は均等している様子を見ていたと言うのに。

 加えて、ギヌスは先程フィンに背を向け外に飛び出した。

 ここを通った筈だが、その事による混乱を極めている様子はない。

 ギヌスの姿は確かに今はないが、出てきた瞬間は姿を誰か見ていた筈だろうに。

 その事に違和感を抱きつつも、今の問題は目の前にある人垣である。

 私はタクトに誘導を任せたはずだ。

 見たところ、誘導がされていない様に見える。

 タクトだぞ?

 サボってるわけでも、逃げ出したわけでもないだろうに。

 あの男が万能であるとは言わないが、少なくとも、私が知り得る中では真面目で責任感があり、大抵の、いや、運動以外の事は器用にこなす筈だ。

 何故、こんな事になっているんだ?

 何かあったのか。


「何事ですか?」


 一先ず私は、人垣に入れすらしないアリス様とランティスに声をかける。


「ローラっ! フィン! ギヌスは!?」


 私が声をかけると、ランティスが驚いた様子で私達に問いかけてきた。

 可笑しいだろう。

 ギヌスは此方に逃げ出して来たとと言うのに。

 思わず、フィンと共に顔を合わせ私は口を開いた。


「先程、フィンに負けて此方から逃げ出した筈ですよ。見ていませんか?」

「逃げ出した? ギヌスが? おかしいな、俺たちはここを出てから扉の前にいたぞ?」

「え?」


 え?

 どう言う事だ?

 ギヌスは此処から確かに外に出たはずだ。

 なのに、その姿を扉の前にいたランティス達が見ていない?


「この騒ぎで気づかなかったのか? いや、でも、人が出入りすれば気づくと思うんだがな」

「この騒ぎ? ええ、怒号が聞こえたので来たのですが、何かあったのですか?」


 ランティスに問いかけようとすると、アリス様が私を見て口を開いた。


「……ローラ様。私、未だになぜ自分が祈りの場に居たのかすら分からないんですが」


 突然どうしたと言うのか。

 いや、確かにそんな状態であれば誰もが困惑するのも無理はない。

 今は時間は惜しいが、アリス様のフォローをしなくていい理由にはならないだろうに。

 私は説明すべく口を開いた。


「ええ、貴女は薬を使われて催眠状態になって……」


 すると、彼女の手が私の言葉を遮る。

 目には迷いはない。

 困惑している人間の目ではない。

 逆にこれは……。


「私が覚えているのは、昨日の夜、あの人に呼び出された迄なんです」


 恐怖を覚えている人間の目だ。


「アリス様……?」


 一体これは……。


「其方に行くなっ! 寮へ戻れっ!」


 私が戸惑いを覚えていると、またも怒号が聞こえて来た。

 この声は、タクトだ。

 建物の中では声音で個人を特定出来なかったが、外でクリアに聴こえればこれはタクトの声だと言う事がすぐに分かる。


「タクトっ!」


 矢張り、彼は私の言葉通り皆んなを誘導していたのだ。

 でも、人が捌き切れていない。

 言う事を聞かない輩が多いのか?

 いや、でも、あれだけの掌返しを見せた群衆が、今更上位貴族のタクトに歯向かうものか?

 それとも、非日常の状態で混乱をしている?

 一体、何が起こっているんだ?


「皆、此方に来なさい」


 ふと、人垣の中心から声が聞こえる。

 怒鳴り声でもなければ、声を張っている訳でもない。

 凛としたよく通る声が一つ。

 私は目を見張った。

 そして、ゴクリと喉を鳴らす。

 その声の主の事をすっかり私は忘れていたのだ。

 目の前の危機を、ギヌスを回避すべく全ての神経を使ってしまっていた。

 また、やってしまった。

 最大の問題を、私は目の前の問題にカマかけ置き去りにしてしまっていた。


「叔父貴が、出てきた」


 ランティスの言葉を思わず顔を歪ませた。

 大人が、出てきた。

 我々子供の言葉を軽々と翻せる大人が。

 

「学園長は、タクトとは別の場所に生徒達を誘導しようとしてるのっ!」


 後を続けれないランティスに代わり、アリス様が必死に私に現状を伝えてくれる。

 私は顔を歪ませたまま人垣を見た。

 そう言う事か。

 この人垣の理由は。

 何故、生徒達が足を止めざる得なかったのか。


「……ランティス」

「俺達が声をかけた頃で、結果は分かるだろ? タクトを見れば」


 きっと、アリス様もランティスも皆んなを止めようとしてくれていたのだろう。だが、人垣の中にすら入れず締め出されている所を見れば、結果はわかり切っている。


「ここの生徒は、私が守る。さあ、早く私の館に」


 学園長が住む館がこの学園内に存在するのは知っているが、場所はわからない。

 何人かは足早に寮の反対方向へ走っていくのを見ると、校舎よりも門寄りか。

 門寄りになればなるほど、場が悪いのは言うまでもないだろう。

 敵の限りがある兵力は、必ず門付近にある程度配置されている筈だ。

 無駄遣いは出来るわけがない。

 生徒達が全員入れるほどの広い場所なのかと言う疑問よりも、早くこの状態を何とかしなければ。

 今、人垣を作って止まっている奴らは迷っている。

 此方の警告を聞くべきなのか学園長の言い分を聞くべきなのか。

 ここでも浮動票合戦を始めなきゃいけないのかよ。


「ランティス退いて」

「ローラ?」

「フィン」

「はい」

「道を作れる?」

「ローラ様がお望みとあれば」

「望むわ。なるべく早く、開けさせて頂戴。やり方は任せるわ」

「では最短のやり方で」


 フィンは人垣を作る生徒の前に立つと、男子生徒の肩を叩く。

 自分よりも大柄な男相手に何をするつもりだろうか。


「おい」

「何だ?」


 振り向いた生徒にフィンは剣を抜いた。


「斬られたくなかった退け」

「は?」


 成る程、最短だな。

 いつもならば穏便にと言いたいところだが、今は別だ。

 それに、少しぐらいは今後私が動くにあたり恐怖は必要なエッセンスになってくる。

 ここは大人しくフィンに任せよう。


「お前、何を行成……」


 フィン相手に何を。

 と、思うが致し方がない、か。

 人垣でフィンとギヌスが戦っている所を多くの生徒は見れなかった筈だ。

 きっと、彼もその一人だろう。

 無知は罪ではないが、時として罰になる。

 簡単な話、人間誰にでも敬意を払ったほうが安全だと言う事だ。


「退けと言ったんだ。斬られたいか?」

「馬鹿女が何を言ってるんだ! 今はそれどころじゃないだろ!」


 それどころだよ。

 フィンは男子生徒に向かって素早く剣を振るう。

 一瞬の出来事過ぎて、私達も男子生徒も一体何が起こったのか分からなかったぐらいだ。


「え? 何だそれ。素振りか? 俺に当たってすら……」


 男子生徒がフィンの事を小馬鹿にした様に笑おうとした瞬間、彼の上着がハラリと切り落ちた。

 当たって無いわけじゃない。

 当てなかっただけだ。

 うちの騎士を馬鹿にするものも大概にして欲しい。

 彼女は、最高の私の騎士なのだから。


「うわっ! な、なんで……」

「当てて欲しかったのか? では、次は服ではなく首でも斬り落としてやろう」


 再びフィンが剣を男子生徒に向けると、彼は顔色を変えて大声を出す。


「う、うわぁぁぁっ!」


 彼の悲鳴に何事かと数人が後ろを見た。

 確かに、早いな。

 文句の付けようがない。


「退けだ! 皆ローラ様の為に道を開けろっ! 開けぬ者は私が首を斬り落とすっ!」


 剣を抜き、悲鳴と共に尻餅を付いている男子生徒を見て周りの人間が顔色を変えて道を作り始めた。

 モーゼの海割れの様だな。

 道を開ける何人かはフィンがギヌスと剣を交えた事を知っているのか、悲鳴の様な声と焦る様子が聞こえてくる。

 そして、何人かは私を見ているではないか。

 悪くない。

 流石、私の愛おしい騎士様。

 私の名の元に行なっている行為だと、分かりやすい事をしてくれる。


「ローラ、お前何をする気だ?」

「タクトだけでは無理です。私も、加勢に参ります」

「相手は叔父貴だぞ!?」

「ええ、そうですね。だからこそ、私が出ないと」

「ローラ様、あのっ!」

「アリス様?」

「私、記憶がある昨日の夜、ある人に部屋に呼び出されたんです。その人は……」


 アリス様は私の目見て、手を握った。

 まるで、行かないでと言う様に。


「学園長なんです」


 もう、誰も失いたくない。

 気がついたら親友が自分の前で死んでしまった。

 怖かっただろう。

 今も尚、怖いだろう。

 何もわからぬ状態で、そんな事になれば誰だって怖くて仕方がないはずだ。

 混乱を極めるはずだ。

 でも、彼女の目には混乱も迷いもない。

 誰よりも冷静で、誰よりも自分がすべき事をわかっている。

 アリス様。

 私は、そんな貴女だからこそ、好きなのです。

 大好きで大好きで、貴女の様になりたくて、憧れて。

 死んだ後に異世界に来るほどまでに恋い焦がれる程に。


「ええ。知っております」


 そうだ。

 私は全てを知っている。

 ずっと探していた。

 ずっと考えていた。

 誰が、黒幕なのか。

 黒いベールを捲った後も、ずっとずっと探して考えた。

 本当に彼が犯人なのかと。

 でも、彼以外にこんな事を出来る人間はいない。

 アリス様をこの学園に来る様に仕向け、彼女を事件に巻き込み、あの指輪の秘密を知っていて、ロサの指輪を回収出来る人間。

 それは……。


「学園長は、敵です。この国を、革命なんかじゃない。陥れる為だけに、彼は貴女を利用していた」


 学園長。

 学園長しかいないのだ。


「ローラ様っ! 危険ですっ! わかっているなら何故!?」

「アリス様が、好きだから」

「……え?」


 私は優しくアリス様の手を離す。

 わかっている。

 きっと、何一つアリス様は分からない事ぐらい。

 でも、私にとっては全ての答えなんだ。

 アリス様が好き。

 ただそれだけで、どれだけ危険な事だろうが、どれほど辛い事だろうが、どんな事にも耐え得るだけの理由なんだ。

 ずっとずっと、好きだった。

 死ぬ瞬間すら、貴女の事が好きだった。

 そして、この世界に生まれてくる瞬間すら、私はきっと貴女の事を思って産まれてきた。

 貴女が好きだから、貴女には笑ってほしい。

 幸せになってくれとか、何か見返りが欲しいとか、感謝をして欲しいとか、そんな気持ちはない。

 ただ、ただ笑ってくれたらいい。

 私の事じゃなくても。

 何にでも。

 貴女が心から笑っていれば、それでいい。

 それでいいんだ。

 だから、分からないままで良い。


「心配してくれてありがとう。でも、これは私にしか出来ない事だから」


 するりとアリス様の指の隙間から、私の指が滴の様に滑り落ちる。

 そして、私は一歩と前に出た。


「ローラ様、道が出来ました」

「ありがとう、フィン。随分と歩きやすくなって助かるわ」


 私はフィンの前にも止まらず、真っ直ぐに歩き出す。

 タクトと学園長の前に立つまで、私は止まらずに。

 振り返らずに。

 

「ローラ・マルティス……」

「これは、マルティス嬢。貴女はまだ医務室に居なければならないのでは?」

「ええ。ですが、そんな場合ではございませんでしょうに」


 目の前にいる敵は、全ての黒幕である学園長。

 その事を知る人間は、私達しかいない。

 こちらの手札は何も無い。

 けど、相手の手札はジョーカーばかり。

 こんな状況で、私に出来る事なんて何がある?


「貴方こそ、此処におられても良いのですか? 学園長。砂漠の国の兵の配置は完了したと言うのでしょうか?」


 けど、勝てぬ戦いに挑むのは、嫌いじゃないんだ。





_______


次回は1月14日(火)23時頃に更新予定となっております。お楽しみに!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る