第41話 貴女の為の枯れない花を
授業が終わり、私が教室を出る時には既にリュウの姿は無かった。
大方、あのリストに上がっている女子生徒に自分の崇める神の作品の配布を勤しんでいる事だろう。
手紙の内容を追求したかったが、アポイントメントを取ってないのはこちらの不手際だ。間違っても薄情者と責めてはならない。
リュウが薄情でなければ、王子も居ないこんな昼下がり。ランチにでも誘い食堂に行ったが、流石に一人ではあのただの方広い食堂に入る気力も湧いて来ないと言うものだ。
ランティス達と合流しようにも、彼等には自分達から連絡を取るまでは大人しくしろと言われている。
珍しく、今の私は完全に手が空いているのだ。
久々の休日と言ったところだろうか。
この学園に乗り込んでから、随分と立て続けに色々起こったものだ。
あれからまだ数日しか経っていないと言うのが、嘘のように思えて来る。
さて、何をしようかしら。
誰もいない教室で、行儀悪く腕を机につきながら私は目を閉じる。
外は春の陽気だ。
日本ならば梅雨に入る前の貴重な晴れ間。しかし、この国には梅雨と言うものが存在しない。だからこそ、この晴れ間を有り難がる人間は少ないのだ。
言うならば、これはありふれた日常だ。
こんな日ぐらい、ゆっくりとお茶を飲みながら本を読んだりしていたい。
日常を、最後に味わうにはもってこいの日ではないだろうか。
いや、何を腑抜けた考えを持ってるのだ。私は。
この額絵に足を踏み入れると決めた瞬間から、いや。物心ついた瞬間からだ。用意されたエンドロールは覚悟の上だ。休息なんて、必要がない。
この一件がこれで片付けば、晴れて王子はアリス様に惹かれてを取る事だろう。
そうなれば、ゲームの進行通りに進むはずだ。
少しきになるのはアスランの件だが、アリス様に関わりがなければ、どうでもいい。
私は良き隣人ではない。アリス様に関わりのない事柄には自ら首を突っ込むつもりもない。何も問題はない。
春の陽気を窓越しに感じながら、私は静かに席を立つ。
手間持ち無沙汰が、どうにも落ち着かないのだ。
特に意味もなく、私は中庭に出て日陰を歩く。
穏やかな昼下がり。
昨日までの怒涛の柵が、全て嘘みたいに感じられる。
何となく、私の足は中庭の奥へと向いていた。
途中近くを通りかかった食堂からは、なぜか拍手喝采が聞こえたが、何か催し物をしているのだろうか。
騒がしいのは好きじゃない。
ここまでくると、人は死しても変わらぬものなのかと、呆れてくる。
中庭の奥は、まるで皆んなに存在を忘れられたかのように静かで、私だけしかこの世界に居ないような気さえ感じられてた。
大木の下で、制服が汚れるのも厭わず、私は座り込んだ。
異世界に来たら、何をしたいか。
生前だったら、こんな場所で童話のようなお茶会に参加して、摩訶不思議を見つけてみたい。冒険譚を気取ってみたい。夢物語を追いかけたい。まるで、何処かの主人公の様に。
そんな、幼い願いの様な夢を描いていた事だろう。
でも、現実はいつだってシビアで私に微笑んではくれない。まるで、勝利の女神の様だ。
ゆっくりとゆっくりと、木漏れ日から何かを探す様に上を向く。
風が草木を揺らし、春の音を奏でている。
アリス様の為の私だ。アリス様の為の人生だ。
これは罰でも罪でもない。ただの名誉。
貴女の為の、ローラ・マルティスだ。
自分で選んで、自分で決めて、自分で満足して。それだけなのに。
終わりが来る日を心待ちにしていたはずなのに。
何故だろう。
何故、今になって、私は後ろを振り返ろうとしているのだ。
私は……。
「ローラ様」
ふと、私の名を呼ぶ声に私は顔を上げる。
「あら、フィン」
声の主は、私の隣に静かに立っていた。
「こんな所でお休みになると、風邪を引かれますよ」
「大丈夫よ。貴女が、きっと声を掛けてくれると思っていたもの」
私はスカートについた土を払いながら立ち上がると、フィンの手を取る。
「おかえり、フィン」
昨日ぶりねと笑えば、彼女は私を強く抱きしめた。
「ローラ様、ごめんなさいっ! 私は、貴女を守れなかった……っ!」
「良いのよ。私は元気だもの」
「でも、ローラ様の顔がっ! 可愛らしいお顔が……っ!」
フィンは目に涙を溜めながら、彼女の暖かい手が私の頬に触れる。
可愛らしい顔なんて、何処にも無かっただろうに。
でも、そんな無粋な事は言わないでおこう。
「ええ。でも、私も貴女も生きているわ」
今度は私から、彼女を抱きしめる。
暖かい、彼女の身体を。
生きている。
「私も貴女もシャーナ様も、ついでに王子も、無事だもの。作戦は大成功だわ」
「ローラ、様っ」
「引くのも強さよ。引くべき時に引く強さを貴女は持っている。流石私の騎士様だわ」
「ローラ様っ!」
「きゃっ」
彼女が強く抱きしめ返すものだから、私達は体勢を崩してひっくりがえる。
でも、流石騎士様。
下敷きになるのは、貴女なのね。フィン。
「ローラ様もお強いです。一人で、危機をいとも簡単に乗り越えられる」
「年の功だわ。前世を出せば、私は立派なおばさんよ」
「素敵な貴婦人ですね」
涙を零しながら、フィンはにっこりと私に笑う。
童話も冒険譚も夢物語も。
どれも、一人では味気ない。
きっと、素敵な友達と、助け合いながらそれでも前に進んで、宝箱の前で笑い合いたいと思っていた。
こんな風にね。
私にとって、フィンは掛け替えのない友達だ。
騎士でもあり、友でもあり、共犯者でもあり、全てが詰まった私の宝物。
「フィン。良く、無事でいてくれたわ。有難うっ」
白百合の様に美しい私の宝物。
気高い、私の大切な宝物。
貴女が無事で、本当に良かった。
「ローラ様……」
「ふふ。嬉しくて泣けてくるなんて、初めての体験だわ。貴女の強さを信じていたけど、少しだけ心配だったの。怪我はない?」
「はい……」
「良かった。良かったわ。良かった……」
フィンの胸に顔を埋めながら、私は静かに泣いた。
彼女の無事が、これ程までに私の心を喜ばせる。
私の大切なフィン。貴女が無事で良かった。
「ローラ様……」
「御免なさい。まだ、顔を見ないでやって。きっと、今、私は化け物様な醜い顔をしているわ」
「そ、そんな事はないですっ!」
「きゃあっ」
突然、フィンが起き上がり、私の肩を持つ。
涙でぐちゃぐちゃになっている私の顔を見て、フィンは笑った。
「ほら、貴女はいつでも女神の様に美しいんですよ。私の為に泣いてくれてる今も」
「フィン……」
少しだけ、私達は笑い合い、少しだけ、春の風に身体を預け泣きながら抱き合った。
「あのフードの男は強かったの?」
私が問いかけると、彼女ははっとした顔をして、静かにコクリと頷いた。
どうやら、タクトの言った様に、敵前逃亡は彼女の中で大きな傷になっているのだろう。
出来れば、触れたくはないが一つだけ聞かなければならない。
「フードの中は、見えたかしら?」
「いえ。剣を三回ほど、交えただけですので」
フィンの答えは残念なものだったが、その言葉だけであの男がどれ程の実力者なのか分かってしまう。
あのフィンが、三回拳を交えただけで、身の危険を感じる程。
随分と、ロサは厄介な奴を雇ったものだ。
「そう……。それ程までの手練れを良く用意出来たものね。ロサは」
「ロサ?」
そう言えば、フィンは昨日の事件の後から私達と何の接触もないのだったな。
会話で急な新キャラクターの登場で戸惑うのも無理はない。
「あのフードの男と一緒に居た女性の名よ。あの時はここの制服を着ていたと思うけども、正体はこの学園のメイド見習いみたい」
「ロサが、犯人?」
「ええ。でも、本人は今朝自害してしまったの……」
「ロサが?」
繰り返すフィンの言葉に、私はコクリと頷いた。
随分と、言葉少ない彼女の様子を不思議に思い、顔を覗き込めば、その顔は血の気が引いている様に見える。
「どうかしたの?」
「いえ、話が急だったので、つい……」
確かに、彼女の言葉通り全てが急展開だが、真実ならのだから致し方ない。
私でも全ては素直に受け居られない程である。
「そうね。私も驚いているわ」
「ロサ、と言うメイドは、どうして王子を狙ったのですか?」
「詳しくはまだタクト様やランティス様が調べているから分からないのだけど、彼女の遺書にはどうやら王族への不満があった様なの」
「遺書?」
「ええ。彼女の遺体の近くにね」
「誰が書いたのですか?」
「筆跡から見て、彼女自身らしいわよ」
「執筆? ロサが文字を!?」
「え、ええ。何か不思議かしら?」
私が問いかけると、彼女ははっとした顔をして、首を横に振う。
「申し訳ありません。出過ぎた質問でした」
「いえ、いいのよ。けど、何が不思議だったの?」
「あ、いえ、その……。メイド見習い達の多くは文字の読み書きが出来ない者が多いとお聞きします。なのに、彼女は何故かけたのだろうと思いまして。孤児出ならば尚の事、そんな機会はないのではないかと」
「ああ。そうね。どうやら、この学園ではメイド見習いに文字を教えているそうよ。基本的な教養を付けてからの斡旋が前提みたい」
ツテもない平民達を雇うのだ。それなりに何か付加価値がなければ、雇う側の旨味がない。
それ故に、彼女達には一般教養を施し、雇用を促しているのだ。
「そう、なんですか……」
「ええ。今は、ランティス様とタクト様の連絡を待っているのだけど、お二人が戻られたら詳しい事が分かると思うわ」
フィンはもう一度小さな声で、そうなのかと呟くと、私の手を握り立ち上がる。
「では、それまでお時間があるのですね。ローラ様、お昼はどうされましたか?」
「まだよ」
「それは、奇遇だ。私もです」
「あら、それは素敵ね。一度ここの暖かい食事を取りたかったの。食堂までご一緒お願いできるかしら?」
「ええ。勿論。エスコートさせて頂きますよ」
「あら、騎士様ではなく王子様みたいね。よろしくね、フィン王子」
「私は騎士の身分だけで十分ですよ」
二人で手を繋いだまま、中庭を歩くと、フィンがぼそりと小さな声で私を呼ぶ。
「あの、ローラ様」
「何かしら?」
「ローラ様は、私を何で信じてくれたのですか?」
「何でって…」
「敵を前に逃げた私を、何故?」
「そうね。私自身も理由は良くわからないけど……」
ぎゅっと、白百合の騎士の手を強く握る。
「貴女の強さや、色々な事を踏まえるより前に出た言葉は、フィンの事が好きだからかしらね」
信頼関係とは、好意によっても成り立つものもだ。
彼女の余りある実績よりも先に、私はそう考えた。
彼女の事を騎士として、友達として、好きだからこそ、彼女を信じたのだ。
「……嫌いになったら、信じてもらえないのかな」
「まさか。そんな事はないわよ」
私は、彼女の言葉の意味を知らずに笑う。
明日枯れるかもしれないとも、何も知らずに、花に笑いかける様に。
「どんな事があっても、私はフィンを嫌いにならないわ」
枯れぬ花など、ないと言うのに。
_______
次回は7月12日(金)22時頃に更新予定となっております。お楽しみに!
また、閲覧、応援、評価有難うございます。とても励みになります。
後半戦も頑張ります。
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