第3話 見たこともない世界

【3】

 土の匂いが鼻腔を穏やかに刺激する。半覚醒の中、自分がどこか硬い地面に横たわっているのがわかった。

 なぜこんなことになっている? たしか屋上で彩奈と結衣の会話を聞いていて‥‥‥

 そこまで思い出したところで一気に意識が戻ってくる。

 起き上がると俺は一人、荒野にいた。今までに見たこともない、ただひたすらに茶色やオレンジのグラデーションで覆われた世界。

 周りを見回してみても、彩奈や結衣はもちろん、人が地形に手をつけた痕跡さえ見当たらない。困惑とともに、俺が異常な状況下にあることを悟る。

 少なくとも俺の家や学校の近くではない。こんないわゆるメサと呼ばれるような地形が近所にあるなんて聞いたことがない。

 どこか遠くの場所に連れてこられた? はるか大昔にタイムスリップ? もしや世界が滅びてしまった? 様々な疑惑が頭の中をぐるんぐるんと駆け回る。

 だが一つだけ確証を持てるのが、現在の状況が転校生、さかき結衣ゆいの仕業によるものだということだ。屋上で結衣が放った白い光、あの光が原因と見てまず間違いないだろう。

 あいつは一体何者なんだ?



 とりあえず今後どうするかを考えなくてはならない。状況把握はまったく進んでいないが、この人気ひとけどころか生き物の気配さえ感じられない場所に留まるのが得策だとは言えないだろう。野垂れ死ぬ未来が嫌でも頭に浮かぶ。

 さて‥‥‥どうしたものか。

 考え始めたその時だった。


 ゴゴゴゴオォォォォォォ‥‥‥


 後方で低く不気味な地鳴りのような音がした。生き物の気配がなく、風の音のみを聞いていた俺は、謎の恐怖感に駆られる。

 その音は俺の背後にそびえ立つ岩山の裏側から聞こえた。

 一体なんだ? 

 恐怖はあったものの気になったため、様子を見に行ってみることにした。

 岩山の裏側に回り、恐る恐る地鳴りの発信源と思われる場所を確認するため、岩から顔を覗かせようとしたその時。


 ドゴオオオオオォォォォォン‼︎


 爆発音とともに目の前に何か白い巨大なものが落ちてきた。同時に衝撃で舞い上がった砂けむりが辺り一面を覆い隠す。

 逃げ出そうにも、周りが見えない。俺はいち早く目の前の状況を確認することへと意識を切り替え、落ちてきたものの正体を探るべく目をこらす。


 広がったもやが濃度を薄めていき、前方の物体の解像度が上がっていった。だがその物体の正体を確認する前に、俺は背筋が凍らせることとなる。

 その物体には青い大きな瞳が確認でき、その視線ははっきりと俺のことをロックオンしていた。当然、それを視認する際、俺自身もその大きな目を見ている。つまり目が合った状況が生まれてしまったのだ。

 知らない場所に来て、今までに見たこともない巨大な生物と目を合わせて、身動きが取れる者がいるだろうか? 少なくとも俺はそんな鋼メンタルの持ち主ではない。

 この後一体どんな結末を迎えるのか。この謎の巨大生物に食い殺されてしまうのだろうか。そんな恐怖からか目を合わせている時間が永遠のようにも感じられた。

 時間にすれば五秒もないであろうその恐怖の時間は、しかし唐突に終わりを迎える。

 その巨大生物が目を逸らし、俺とは反対方向に向かって動きだしたのだ。ホッとした気持ちと共に、膠着状態が解けたことによって謎の巨大生物の全体像を確認することができるようになった。


 ドラゴンだった。


 大きさは俺の背丈の三倍はあるだろうか。綺麗な白い体を屈強な二本の足で支え、背中には先端が青みがかった立派な翼が二つ。頭には二本のきれいな金色をした角がある。手に生えている鋭い爪で引っ掻かれでもしたら俺は簡単に逝ってしまうだろう。

 そんな現世では存在しないはずの生物に目を奪われていると再び視界が砂けむりに覆われた。


 ドオオオォォォォォォン‼︎


 今度は一体なんだ⁈ 

 砂けむりの中を注視すると白いドラゴンの影の他にもう一つ動く影が確認できる。どうやら二つの影は戦っているようだ。

 砂けむりが晴れていき、もう一つの影の正体が露わになる。


 もう一つの影、それもドラゴンだった。


 色は茶色、大きさは白いドラゴンよりも一回り程度大きいだろうか。口からは火を吐き、白いドラゴンに対し強大な敵意を見せている。

 いやいや、おかしいだろ。ここは現実か? 俺は夢でも見ているのか?

 目の前の状況に自分でもわけのわからない思考に陥りながら戦況を見ている。すると二体の行動には決定的な違いがあることに気づいた。

 茶色いドラゴンはとにもかくにも狂ったように攻撃を繰り返している。その姿は殺人マシーンすら連想するほどだ。だが対照的に白いドラゴンは自らの身を守るために時々反撃はしているものの、茶色いドラゴンを攻撃しようとする意思はあまり感じられない。

 これはなんだ? ドラゴン界の‥‥‥イジメ?

 ほんの僅かに余裕が生まれ、そんなようなことを考えていた矢先、俺はもう一度背筋を凍らせることになる。

 白いドラゴンが弾き飛ばされ俺の目の前に落ちてきたのだ。ふと上を向けば茶色いドラゴンがこちらに向かって弾丸のような勢いで突進を開始している。

 顔から血の気が引くのが自分自身でもわかりそうだ。

 ヤバイ。これは本当にヤバイ。あの巨体に押しつぶされでもしたら間違いなく死ぬ。何か、何か今の俺に巻き添えを食らわない方法は──

 考えている間に茶色いドラゴンはもう目の前だ。数秒後の死がほぼ確定事項となりつつある。


 ──ダメだ──


 そう思い俺は目を閉じ、とっさに防御体制を取る。

 その時、体から何か不思議なものが溢れ出るような感覚を俺は感じた──

 十秒はたっただろうか。来るはずのドラゴンの攻撃による衝撃は未だに感じられない。恐る恐る目を開けて見るとそこには再び、信じられない光景が広がっていた。

 見たこともない青みがかった半透明のドームの中に俺はいた。ドームの直径は十メートルといったところだろうか。ドームの中には俺と俺のすぐ近くにいた白いドラゴンがいる。そして外側では茶色いドラゴンが俺たちに向かって何度も突進攻撃仕掛けようとしているが、そのたびにドームの壁に弾かれている。


 ──????


 茶色いドラゴンの攻撃を回避できたことに僅かな安堵を感じながらも、俺は目の前の状況にクエスチョンマークを頭の上に飛ばす以外の行動ができない。

 呆然としている俺の横で、白いドラゴンは動くこともなく、じっとその場で俺のことを見つめていた。


 やがて茶色いドラゴンはドームの壁にいくら攻撃を仕掛けても破れないのを悟ったのか、どこかへ去っていった。

 がしかし、俺にとって危険はまだ去ってはいない。

 今度は直径十メートルのドームの中に白いドラゴンと二人(一人と一匹?)という状況が生まれている。先程、白いドラゴンと向き合ったときには何もされなかったが、今度もそうだとは限らない。

 再び白いドラゴンの青い瞳と目が合い、緊張が走る。

 だが、やはり白いドラゴンは先程と同じように体を翻し、そして堂々とドームの壁をすり抜け、空の彼方へ飛んでいってしまった。相変わらず俺は何が起こったのか全く理解ができていないが、怒涛のような出来事が終わり俺は力なくその場に座り込んだ。


 後々調べてみてわかったことだが、このドームは外側からは壁の役割を果たしているが、内側からはなんの抵抗もなくすり抜けられるような構造になっていた。現代にこんな非科学的な物質は存在しただろうか?

 とにかく、目の前で起こった信じられない出来事が終わりを告げ、緊張から解放されてどっと疲れが押し寄せてくる。

 まず何から考え始めればいいのやら‥‥‥

 とりあえず今までの出来事から一つの大きな疑問にたどり着く。

 ここは本当に現実世界なのか? 

 少なくとも現世において伝説や神話の類でしかなかったドラゴンをもうすでに二体も見てしまっている。それにあの青みがかったドーム型の壁、ファンタジーゲームにあるバリアのようにも見えた。これら二つだけでもここが本当に現実世界かを疑うには十分過ぎる理由だった。

 現実でない場合、ここは夢か? それともどこかの異世界? 

 などと考えてみたが再び一人となってしまったこの状況では俺にわかることは一つもない。それ以前にドラゴンの恐怖は去ったが、野垂れ死ぬかもしれないという状況は何も変わっていない。

 とりあえず、どこか街を探さなければ。

 今一番に確保するべきは食料と寝る場所だ。それに情報も欲しい。一体ここがどこなのか。一緒にいたはずの彩奈、結衣も近くにいるのか。そういったことも気になる。

 ここがどこなのかはわからない以上、これから始めるのは冒険という言葉が一番しっくりくる。頭の中でたどり着いた『冒険』という言葉にわずかな興奮が生まれてくる。だがそんな興奮をないものと等しく感じてしまうほどの不安。その不安が俺の視線を地平線から足元へ落とした。

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