第三章 村人の証言2
「全く何だってうちらまで巻き込まれることになるのかね。」
つるの眉間の皺が一層深くなった。彼女の持つ鍬は動きを増し、耕す度に畑の土に食い込んでいる。
「確かになあ…」
横で耕していた亭主の与五郎も溜息のように同意した。
夫婦が耕す畑はのだかな農村の風景の一部を作り出していた。しかし村に戻れば余所から来た足軽どもが居座っている。今が領主の戦の最中であることを嫌でも感じさせる。
「怪我した足軽の世話をしてくれと言っても…」
「普通に歩き回っている奴まで村に来るからなあ。俺みたいに。」
二人はぎょっとして畦道の方を見た。
「おまけに何かとうるさい頭が来るしな。」
「あんた、人をからかうの控えたら。」
笑みを浮かべながら、つると与五郎を眺める鷹助をよもぎは注意した。
与五郎は慌てて言い訳を述べようとした。
「いっ、いや別にあんたらに不満があるわけじゃなくて…」
「自分で引き起こした戦でも何でもないのに手伝わされたり命令されたりするからな無理もないよな。」
「やめたら鷹助。」
よもぎは鷹助の腕を引っ張り、彼の口を閉じ込めようとした。鷹助はやめなかった。
「まあ、俺ら足軽も巻き込まれた側だしな。いろいろ言いたくなるのも分かるさ。」
「えっ…」
つると与五郎は驚いて鷹助を見た。
「だから、俺らも野良仕事があるっていうのに足軽に駆り出されてさあ…。」
急にしみじみと話し出した。
「あんた急にどうしたの。」
二人にばれないように小声で尋ねた。
(こいつは今度は何を企んでいるのか。)
よもぎは疑った。
「正直言って殿様が誰になろうと俺たち下々の人間が無事なら誰でもいいよな。八木の領民に生まれたから八木様の足軽になったわけだし。」
「…」
「確かに八木様への忠誠だとか言って足軽になった奴もいるけどさ。大抵は世の中が世の中だから足軽になったわけなんだよ。殿様の命が出たから従っているという点ではあんたらと変わりはないんだ。」
全て言い終えるとそっと畦道に座り込んだ。そんな彼の様子をよもぎは静かに見た。
「ところで…俺さ皆に聞きまわっているんだけど…」
つると与五郎がはっとしたように鷹助を見た。
「たえさんは本当に落ちて死んだんだと思うか?」
「えっそれはどういう事なんだい…?」
つるは質問の意味と意図が分からないという顔をしたが、すぐに思い当たることがあったようだ。
「そういや万兵衛様が騒いでいたとか。」
「そう、それそれ。でっ、どう思うんだ。」
つるは困ったような考え込むような顔をして見えた。代わりに答えたのが与五郎だった。
「どうって言われても不幸な事故じゃないのか。ぬかるんだ道だから気抜いてると滑っちまうよ。」
「それなんだけど何て言うか…」
鷹助は困った顔をして言葉を詰まらせた。よもぎにはその顔がわざとらしく見えた。
「疑っているやつがいるんだよ。庄屋さんを…」
「庄屋さんを‼」
つると与五郎は夫婦仲良く同時に大口開けて驚いた。つるの方はすぐに口を滑らした。
「確かに庄屋さんは深見山の中にいたって聞いたし…。庄屋さんとたえさんは仲良さそうに見えても…」
「つる」
与五郎が制する。
「めったな事を言うな。庄屋さんが近くで聞いていたら村に住めなくなる。」
「けど…。あんた…。」
彼女はまだ何か言いたげであった。
「つるじゃないの。何だい皆集まって。」
老婆の声がした。
見ると畦道の向こうから白髪交じりの老婆が籠を背負いやって来た。腰が少し曲がった彼女が大きな籠を背負う姿は籠に押しつぶされているように見せた。
「きよさんか。今、話を聞かれてるんだよ。」
「何をだい?」
きよと呼ばれた老婆はそのまま一同に近づいていく。
「昨日のたえさんが崖から落ちたことだよ。庄屋さんがやったんじゃないかってね。」
「庄屋さんが…。めったに人を悪く言うんじゃないよ…」
きよは注意するように言った。
「私はね…大蛇が…」
きよは途中でよもぎを見て慌てて口を閉じた。
「私の事は気にしないで。」
よもぎは涼しい顔をした。そして、きよに会話を続けるように目で促した。きよは悪い事をしたとすまなさそうに話す。
「大蛇…深見大蛇がたえさんに怒ったんじゃないかと思ってね…」
「婆さん。そりゃ、あの山が大蛇の物だからって言うのか?」
与五郎は呆れながら言う。きよはむっとして言い返す。
「大雨が降ったじゃないか。庄屋さんが『大蛇の仕業』って言った途端に降り始めたって私は聞いたよ。」
一同は黙り込んだ。
「大蛇は水の神でもあるからね。」
きよの口調は強めだ。
「大蛇が雨を降らしたって言うの。」
よもぎが尋ねる。
「ああそうだよ。大蛇は不思議な力を持っていてね。日照りの時、雨を呼んでくれた。小さい頃に親にいろんな話を聞かされてきたよ。泉の中で眷属に囲まれて暮らしているって話。時々人に化けてどこか遠くへ旅に出たりするっていう話も。でも村の者が大蛇に無礼を働いたり、山や泉を汚したりしたら怒りを買ったよ。」
きよの顔は真剣だった。これまで彼女が体験してきた事への重みを感じる。
「たえさんったら、弟を亡くしたことの恨み言でも言ったんだろ。それを大蛇が聞いていたとしたら…」
「たくさん知ってるんだね。」
よもぎが静かな声できよに言った。
「私は長い事、大蛇の怒りを見てきたよ。大雨に土砂崩れ、それに…か…」
きよは急に口の動きを止めた。「か…」は恐らく、よもぎの母が人柱に建てられることとなった要因の火事の「か」なのであろう
「だから別にいいって。」
よもぎは笑いながら言った。この場を和ませるための笑みを必死で浮かべる。
「…か…かなりの水が押し寄せたんだよ。」
結局、火事という言葉は出なかった。よもぎから大蛇の話をするのは許された。それでも火事の話は避けようとしたのだろう。つると与五郎を見れば引きつった顔をしている。
「そうか、それは大変だったな。」
鷹助が眉尻を下げ同情した風な口をした。
「その度に村は、いくつもの災いを乗り越えてきたんだな。」
「…ああ…そうなんじゃよ…」
きよは静かに頷く。
「庄屋さんも村のために苦労してるんだな。今も昔も身を粉にしてきたんだなろう。」
鷹助の言葉につるの耳が反応した途端。勢いよく喋りだした。
「いや、そんなことはないよ。口では立派なことを言ってるけど皆気づいてるんだよ。己の身の安全ばかり気にしてるって。」
「つる。」
与五郎は声を張り上げて注意した。つるは口を尖らせる。
「じゃあ庄屋さんは実際に私たちに何かあったら、我が身を犠牲にしてまで守ってくれるっていうの。むしろ我が身可愛さに見捨てるんじゃないの。」
「庄屋さんの耳に入ったらお前はどうするつもりなんだ。」
「あんたらやめなさい。」
きよが仲裁に入った。
鷹助は三人に気づかれないように小声でよもぎに言った。
「なあ…庄屋さんって…あんま慕われてないんだな…。」
「まあ…陰口になると皆『庄屋さん。庄屋さん。』って話題にするからね。」
目の前の言い争いは長引きそうだ。つるは庄屋の怠慢について、あれこれ思い出しては述べる。与五郎は彼女を止めようと声を張るが庄屋をかばう言葉は無い。二人をなだめようとするきよも庄屋をかばう様子は無い。
鷹助は茫然として見るだけだった。
「ちょっと二人とも一回黙って、きよさんの話聞いて。」
気が付けばよもぎまで、きよの加勢に入っていた。鷹助の方を向いて言った。
「あんたも止めてよ。あんたの言い出したことが原因なんだから。」
「おう…」
鷹助は黙って従った。
「それと…つるさんと与五郎さんを止めたら大蛇の泉まで案内するから。」
よもぎはボソッと呟いた。
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