語られる 深見大蛇の山

桐生文香

むかしむかし

 むかしむかし、ある山に泉があったそうだ。その泉には深見大蛇というのが住んでおったという。そのため、その山を深見山と呼んだそうだ。大蛇は水を操るのが得意で大雨を降らし雷雨を呼び山の地面を崩すことが出来た。麓の村に災いが訪れると人々は深見大蛇が怒っていると大層恐れておった。村の人たちは日頃から大蛇が怒っていないかと山を見て天気を見て気にしていたとか。

 



「大蛇の怒りだ」

 誰かの声がした。

 その晩、深見山の麓にある村が火に包まれた。屋根を燃やす火は風に乗った。隣、そのまた隣の家へと飛び移っていく。

 寝静まっていた家の者たちは驚いて飛び起きる。まだ横になっている家族の体を揺さぶり起こそうとする者、動揺して動けない家族の手を無理やり引っ張り外へ逃げようとする者がいた。反対に家族を忘れて逃げ出す者、助けを求める家族を蹴飛ばし我先にと逃げ出す者もいた。

「大蛇…」

 松之介の口から漏れた。誰かが「大蛇の怒り」と叫んでいる。火の粉が空を舞う。彼は妻子と共に燃えさかる家から飛び出してきた所だった。今外を見て立ち尽くした。自分たちの家だけでなかった。周りの家も燃えている。村人たちが悲鳴と奇声を上げ逃げ惑っている。

 目に見える光景に言葉を失った。力が体から抜けていく。一歩も踏み出せない。「あんた!」

妻の小夜が松之介の手を引っ張る。彼女のもう片方の腕には赤ん坊の娘をしっかりと抱いている。

「何してるの。早く逃げないと」

張りつめた声で夫に言う。彼女の吊り上がる眉尻が緊張を誘う。

「早く動いて。でないと火だるまになっちまうよ。」

 松之介はゆっくりと妻へと顔を向けた。

「逃げるの。早くしないと。あんた医者でしょ。医者が立ち往生してどうするの。怪我してる人たちがいたら助けないといけないでしょ」

「ああ…」

 やっと体が動き出した。「自分は医者だ。今動かなければ。」松之介はそう自分に言い聞かせた。

「深見大蛇が怒っているんだ」

 誰かの台詞がまた聞こえてくる。



 村人たちが列を作った。小夜は真ん中より少し前に並んでいた。すぐ前には夫が並んでいる。皆顔が暗く気が沈み黙り込んでいる。列の先頭の前で庄屋が向かい合うようにして立っている。

 庄屋である徳左衛門の手にはたくさんの棒が入った筒が握られていた。徳左衛門は村人たちを見回した。この静かすぎる場で喋りだした。

「これよりくじ引きを始める。先頭から順に取るように。」

 人々に緊張が走る。先頭に立っていた無精髭を生やした中年男が怯えながらゆっくりと前に出た。無数のくじの中から慎重に一本を選んでつまみ取り出した。

 棒には何の印も無かった。

「外れだな。」

 庄屋の言葉に男は少しだけ安堵を見せた。

 次に白髪交じりの老婆が前に出た。無表情に近づき一本つまみだした。何の印も無い。老婆はそれを庄屋に見せると列から離れた。

 三番目はまだ二十歳にならない若者だった。若者はおどおどしながら手を伸ばす。左右に小刻みに揺れる。震える手で一本掴んだ。印はついてない。若者は小さくほっと溜息をついた。

 四番目、五番目と列が進んでいく。皆くじを引いては少し安心した様子を見せている。外れを引いた―表情がそう教えていた。

 小夜の心臓はいつもより早く動いているように感じた。それは松之介も村人も同じだろう。

 人身御供を選ぶくじ引き。

 あの火事の中、小夜も松之介も娘のよもぎも生き延びた。だが死人と怪我人はたくさんだった。住んでいた家は焼け落ちた。

(大蛇の怒りだ)

 火事の中、誰かが何度も言い続けた台詞は村人たちの脳裏に焼き付いた。 

 火事が治まった頃だった。

(大蛇は怒っているんだ。だから村を燃やしたんだ)

(あの火事は深見大蛇が起こしたんだ) 

(大蛇を退治するんだ)

(馬鹿いうな!どうやって退治するんだ)

(それよりも大蛇が怒っているなら何が原因なんだ)

(大蛇の怒りを解かないと)

 村人たちは同意を示し騒ぎ始めた。

(人身御供を立てよう)

 誰が言い出したのかは分からない。しかし、その意見に賛成を唱える者が多くいた。だが小夜は同意ができなかった。彼女の他にも松之介も徳左衛門も、その案に反対した。他の村人にも小夜と同意見の者がいたが結局は大多数の勢いに負けてしまった。

 徳左衛門も妻のたえの「大蛇の怒りを解かないで同じことが起きたらどうするの」と説得に何も言えなかった。

「次」

 徳左衛門の声が響く。

 気が付くといつのまにか夫の番になっていた。松之介はそろりと手を出す。小夜はじっくりと見つめた。

 夫が選ばれたらと思うと意識が途切れそうになる。夫でなく自分が選ばれるかもしれない。いや自分たち夫婦が選ばれなくても村の自分の知っている誰かが必ずしも選ばれるのだ。そう思うと心が張り裂けそうになる。

 松之介が列を外れた。

「次」

 彼女の夫は外れを引いたようだ。小夜は前へ進む。

 くじに手を伸ばす前にちらりと後ろを見た。列の末尾よりも後ろに離れた所で赤子と幼子が集められている。よもぎもその中にいた。

 幼い子どもは人身御供に選ばない。くじ引きを始める時、そう取り決めをしたのだ。くじの番がまだの者、もうくじを済ませた者が交代であやしている。小夜にとって唯一の救いであった。

 くじに手を伸ばす。ゆっくり引いていく。くじの棒の先を見た。

 先が赤く塗られている。

 小夜は目を見開き愕然とした。くじを握ったまま動けず凍り付いた。蛇に睨まれた蛙となった。

「当たり…とうとう当たりが出た」

 徳左衛門が声をかすらせながら言う。

「小夜」

 松之介が駆け寄る。妻の手からくじを取り上げ赤く塗られた先っぽを自分の眼に近づけまじまじと見つめた。

「何度…見ても…変わらないから…」

 途切れ途切れに声を出す。小夜は出来る限り体中の力を振り絞り声を出した。それでも一続きの台詞にはならなかった。

「よもぎを…お願いね…今まで…ありがとう…」

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