ゲームの中にしか危険が無いっていうのが危険
人間は死んだり壊れたりしたら帰ってこない。向こう側の住人になるのだ。そしてそのことは、自分にとって大事な人が「いなくなる」という経験なしには、身に沁みて実感することが出来ない。そして実感したからといって、「勉強になりました」とはなかなか言えない程、心に風穴が開くというか、いつまで経っても消えない痛みを感じながら生きることになるのだ。
私は小学生の頃、2年上の近所の悪ガキを自宅にて襲撃した事がある。普段から蹴られていたし、弟が「パシリ(命令を聞く子分)」にされているのも気分が悪かったのだ。まあ、男の子同士の人間関係というのは、有名な不良の子分になる事で自分も偉くなったような気分が味わえたりするので、弟は弟でうまく世渡りをしていたのかもしれない。だけど私は、悪ガキが偉そうにしているのを見るだけで頭に来ていた。そんなわけで、うちの玄関に座って油断している所を、色鉛筆の缶ケースで頭を殴った。「うちに来るんじゃねえよクソ野郎が」って思ったのだ。
そしてその後、仕返しをされたか。いや、近所で一番の悪ガキは、不意を突かれて泣いた。そいつを泣かしたのは、近所では私くらいだ。私は悪ガキから「花の○○(名前)組」と呼ばれた。暴力的な女、という意味だ。「花のあすか組」って漫画があるんだけども、そのタイトルからきている。
これはゲーム内の話ではない。実際にあった事なのだ。昭和の悪ガキというのは、みんなこうだったか。いや、近所の他の女の子は、ピアノを習いに行ったり、お習字を習ったり、お人形で遊んだり、好きなアイドルの話をしたりとかわいく遊んでいた。私は近所の女の子達からしょっちゅう仲間外れにされた。しょうがないのだ、かわいく遊べないんだから。空き家攻略、うんこ作り、墓探検、ロケット花火・爆竹の不適切な使用法、トラックギリギリチャリレース、学校の窓からご近所さんに向けての暴言、パチンコ屋で球拾い、ザリガニ取りに毎日靴ごとドブに入る。そしてたまに喧嘩。学校は面白くないから嫌いだった。
私の子供らがこんなヤンチャな事したら、きっとよその奥様方から毎日苦情が来るだろうな。で、私はこう言うと思う。
「このサルが!お前らなんか山に行っちまえ!」
と。優しく言い聞かせるなんて、無理だと思う。だけどたぶん、いつか人間になるだろう、という望みは捨てないだろう。親としては、子供が多少グレたとしても、そういうものでありたい。かつての自分がそうだったように。
という事で、夏休み中の子供の遊び場は今や、ゲームの世界だ。痛みも悲しみも無い冒険。たまには外に飛び出してみなよ、そう言ってみたら
「暑いからいやだし、誰も外で遊んでない」
ってさ。まあ、しょうがないって話だ。
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