雨二ウタヱバ

アラキレンズ

プロローグ

 篠突しのく雨の夜、バラックの屋根に落ちる凍雨とううが打音をかき鳴らしている。冬枯れの海沿いの国道にポツンと在るバラックの廃墟……遠い昔、貨物列車の駅舎だったらしいが、今はただの空虚で寂しいだけの遺構として、歴史の風雨に耐え、人知れずここに建ち在り続けている。僕はそのバラックの遺構の屋根の下に腰を下ろし、ただただ漆黒の冬の海を見ながら、哀歌あいかうたうように鳴いている。


 黄昏時から断続的に降り続けている雨は、やがてバラックの屋根の下に水溜まりを作り、僕の足の踏み場を無くしていく。ここはもう駄目かと雨宿りの場所を移動しようとした時、向かい側から照らしていた常夜燈の光が薄れ、一つの小さな影が僕を覆った。


 「君、独りなの? 雨宿り?」


 僕は声のする方へ視線を移し見上げると、小さな影の主は一人の少年だった。年の頃は十歳くらいだろうか、子供らしく興味深げに僕を見ているがその表情や瞳からはどこか見かけの年齢以上の雰囲気を漂わせている。


 「そっか、独りで雨宿りしてるんだね……」


 勝手に状況を解釈してしまっているが、少年の言っていることに間違いはなく、特に言い返すこともないし、こちらの言葉が理解出来るわけでもない。


 「僕も独りだし、一緒に雨宿りさせてもらうよ」


 そう言うと少年は、山積みに置いてある木製パレットの上に腰を下ろした。そして少年は手招きをしてこちらへ僕を呼び寄せている。


 「ここはまだ雨に濡れてないよ」


 少し笑みを浮かべた少年だが、そのわずかにこぼれた笑みからは寂しげな雰囲気が滲み出され、まるで地面に染み入るこの雨のように、じわりじわりと僕の瞳に映し出される。小学生ほどの年齢とは思えないほど大人びており、この少年が幼年ながら年齢以上の多くの経験を積んでいることを想像させた。

 そもそも何故この少年がとっくに日が落ちた闇夜の、しかもこんな人気の無いバラックの廃墟にいるのか疑問だ。こちらの勝手な想像だが、近くに少し民家はあるが住宅街などという言葉を使うほどの場所ではなく、ここら辺は本当に人気も少なく静かな場所なのだ。少年は第一印象で感じた大人びた小学生という印象だけじゃなく、身なりなどからどこか都会的な雰囲気があり、この辺りの住んでるとはとても感じられない。そんなこちらの勝手な想像を割くかのように、少年の寂しげな瞳が僕の思考を制止させる。そして僕は木製パレットに軽くジャンプして少年の横に静かに腰を下ろした。


 「君はなんだか僕に似てるね……だから声を掛けたんだけどね」


 そう言うと少年は僕の頭をそっと撫で始めるが、少年の手はとても冷え切っており、この凍雨の降る中を長時間うろついていたことが容易に想像出来た。


 「僕はこの町に引っ越して来たばかりなんだけど、父さんは仕事でいないから家に帰る途中にちょっとこの町を探索していたんだ」


 少年は常夜燈じょうやとうほのかに輝く雨の情景を、遠い目で見つめながら淡々と自分のことを語り始めた。自分はとある地方都市から移り住んできたこと、父親の仕事の都合で転校を繰り返していること、友達と言える友達がいないこと、いつも独りでいること、他にもいろいろと語られたが、少年の口から語られる言葉ひとつひとつがとても寂寞としていて、話す相手が僕ではなかったら少年のことを悲哀ひあいに思うだろうと感じながら、少年の話を僕はただただ聞いていた。降り続ける凍雨が少年の心の寂しさをより深いものにしていく。


 「僕はずっと独りだけれど――でもね、僕は本が好きだから本の中に入り込んでしまうと、とてもワクワクするしドキドキもするし、それがとても楽しいんだよ」


 だから少年は独りでも大丈夫なんだと言った……本は本当に好きなのだろうと感じたが、しかし、大丈夫の言葉にとても強みを帯びていたことが、少年の満たされない心模様を深く感じてならなかった。そして僕は固く握りしめられた少年の手の甲をチロチロと舌でそっと舐めた。何故こんな行動をとったのかは自分でも分からなかったが、この時は何故か何かしなければと思ってしまったのだ。


 「ありがとう、君は優しいね……そうだ!お礼に君に名前をつけてあげるよ」


 そう言うと少年は僕に名前をつけて、父さんが帰る頃だからだと言って、自分の透明のビニール傘を僕のかたわらに置き帰路についた。そして名も無い流れ者の猫だった僕にという名がつけられた。


 僕の名はレイン、流れ者の猫のレイン、冬の冷たい雨の降る夜に僕は固有の存在となった。漆黒の空、チカチカとかすれる常夜燈――雨はまだ止まないが、僕は少年の匂いが微かに残る透明のビニール傘越しに、ぼやけた雨空をじっと眺め続けた。

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