Chord9: 手負い
中河阿澄の自分の能力について、ハデスについての説明が続いていた。
「その冥狼は、三つの頭を持っていますわ。」
三つの頭。地獄の番犬と称されることもある。
「名前はケルベロス。言ってはおきますけれど、犬じゃなくて狼ですわよ。それに、ケルベロスはハデスの言うことしか聞かないんですの。私の言うことすら聞かない主にのみ忠実であることを揺るがせない非常に賢しい狼ですわ。」
中河阿澄はギリシア神話に登場する冥界の神を従え、その冥界の神は冥界を守護するケルベロスを従えている。よく考えればすごいことである。いや、よく考えなくても味方になれば強力、敵になればもはや勝てないのではと思うほどチートな能力ではないのかと思う。
「ケルベロスは、たてがみを持っていて、その毛一本一本が蛇なのですわ。」
まるでゴルゴン三姉妹の末妹メドゥーサのようである。
「そしてその尾はドラゴンの尾であると言われていますわ。」
拓真の想像上では、ケルベロスの姿は見るに堪えない物となっている。
「こええ、そんな生き物会いたくないな。」
「あら、ケルベロスにも手伝ってもらうんだから、会うに決まっていますわよ。何をおっしゃっていますの。」
やれやれと言わんばかりに中河はため息を付きながら軽蔑の眼差しを拓真に向けた。
「まさか、今更怖気づいたとは言わないですわよね?」
「元々、お前の力を借りずに探すつもりだったんだ。怖じ気づくも何も、協力してくれなくたっていいんだぞ?」
拓真もムッとして中河に言い返す。中河はそれにさらに不満を覚えて、
「何という言い草……。ああ言えばこう言う……。」
「そんなにああ言われてもないしこう言ってもない。」
「売り言葉に買い言葉ですわ……。」
「いやだから言葉は売られてないし買ってもねえよ。」
「むきーーっ!!何なんですかもうっ!!死んでください!!いっそのこと死んでください!!」
怒涛の言い争いを経て、作戦を練りに練った二人は、翌日その作戦を決行しようと考えた。
「……本当に怪我は大丈夫なんですか?」
中河の家を出て、帰路につこうとする拓真に対して中河は後ろから声をかけた。
ゆっくりと拓真は振り返り、笑顔を見せた。
「ああ、大丈夫だ、ありがとう中河。」
「べっ、別に……いいですわよ……。」
顔を赤らめて中河はうつむきながら答えた。
「じゃあ明日な。」
「……ええ。気をつけて帰ってくださいね。」
そうして別れを告げた。
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「あら、遅かったわね。どうかしたの?」
拓真が自宅の玄関をくぐりリビングの戸を開けると、母京子が黄色いエプロンを身につけ右手に大きめのレードルを手にした状態で拓真を迎えた。ブイヨンの香ばしい香りがリビングに広がり拓真の鼻腔をくすぐる。
壁にかけてある時計を目にするとすでに21:00を回っていた。
「ああ、ちょっと中河のところにいたんだ。」
「中河……?もしかして阿澄ちゃん?」
うーんと唇に指を当てて考えて、ふと思いついたように京子は昔拓真が小学生だった頃によく遊んでいた女の子がいたことを思い出し、その名前を声に出した。
「よく覚えてたな、そうだよ。」
拓真はてっきり忘れていると思っていたから軽く驚いた。
「あらあら、こんな夜遅くまで女の子の家にいたのですか。あなたも隅に置けなくなったわね。」
「別にそんなんじゃねえよ。」
「でも、ほどほどにするのよ。」
「いやだから違うって……。」
拓真は途中で言い返すのを諦めた。京子のマイペースは昔から変わらない。話している途中でも自分が納得するまで話したらもう別のことを話していたり、会話をぶった切って別のことに集中したりと会話がうまくいった例がない。父浩正はどうしてこの母と苦楽を共にする事を誓えたのだろうとしみじみ思う。
「ご飯、用意する?」
背中越しに台所の京子が拓真に聞く。
「いや、いいよ。あんまり食欲が湧かないんだ。」
拓真はそう言ってリビングを後にし、階段を登って自分の部屋に入った。電気をつけ、ベッドに倒れ込む。
(今日はいろいろのことがありすぎて、頭の中がもうめちゃくちゃだ……。)
拓真はその日あった出来事を思い出していた。
(レオンハルト……タンネンベルク……。シュレディンガー……。…………中河。)
考え出して、また自分の無能さに胸が締め付けられた。
「……くそっ。」
自分の弱さに嫌気が差した。
「……はあ。考えても仕方ないか。」
拓真は目をつぶり、ただ何も考えずにひたすら時間だけが経った。静寂の中、時計の針が鳴る音が五月蝿く感じるほど大きく聞こえた。
「……眠れない。」
数分そうしていれば自然と眠れるだろうと考えていたが、拓真は中河の家で散々寝ていたことを思い出し、眠れなくなっているのだろうと体を起こした。
「……散歩でもするか。」
徐に部屋を出てサンダルを履き、夜の町へ繰り出した。
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「……風が涼しい。」
家を出て少し人通りのある繁華街の方へ向かっている途中の源川の河川敷を、拓真は手をポケットに突っ込んで歩いていた。ザアザアと川の水が流れる音が虚しく夜の空に響く。少し上を向いてみると夜空に輝く星は、曇っていたからかあまり見られなかった。
まだ明かりがそこかしこで点いていて、源橋の大通りは車も多く活気があった。塾帰りであろう少年が自転車をこいで拓真の横を通り過ぎる。対向からクラスの強豪グループなのだろうと推測できる服装がラフな学生陣とすれ違う。
源橋を渡りきった先のファミリーレストランを横目に街灯のみの暗い住宅街への道をゆっくり歩いていた。住宅街に入ると案の定暗く、家々の窓から漏れる明かりもカーテンを閉めているせいで、あまり役に立たない。
拓真は無意識にあの薄紫色の綺麗な髪をしたあの少女と出会ったT字路まで足を運んでいた。
「……まあ、いるわけないか。」
拓真はそのまま引き返して家へ戻ろうとしたまさにその時だった。
「…………タク…………マ……?」
かすかに聞こえた。消え入りそうな声だった。拓真はあたりを見回した。
見つからない。見つけられない。
「ローレライ……?ローレライなのか?」
拓真は必死にその居場所を突き止めようとできる限り冷静に呼び返した。
「……タクマ。ここ…………よ……。」
住宅街の中にあった狭い空き地の草むらの中からその声が聞こえた。
ゆっくりとそこに近づくとそこに少女がいた。
だが、その少女は以前見たときと様子が違っていた。違いすぎていた。
少女は左腕を抑え、顔からは血が出ていた。片膝を地につけ、息も絶え絶えで、肩で息をするという言葉がまさにその状況に似合っていた。
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