第80話 ぼくのおかあさん
「スタイリッシュマウンテン!」と母が叫ぶ。何のことだかさっぱりわからない。「スタイリッシュマウンテンなのよ!」
けれどぼくが適当に相づちを打つと母はたちどころにそれを指摘する。
「適当に相づちを打ってるんじゃないわよ!」あくまでも叫ぶのだ。「お母さんはね、そんな子に育てた覚えはありませんだわよ!」
そんな子に育てられなくても、いきなり「スタイリッシュマウンテンなのよ」とか意味不明なことを言われ続けていたら、人は自ずと適当な相づちを打つようになってしまうのだ。と、いつものように思うのだが、もちろんそんなことを口にはしない。
「所詮はマゴヒヒザルが現れるまでの天下だからね」
少し声を落として母が言う。ぼくにもわかるようにかんでふくめるような調子で。でも、もちろんわからない。わかるわけがない。何だ? マゴヒヒザルって。適当な相づちを打ってはいけないと言われたばかりなので、あまり気は進まないが聞いてみることにする。
「マゴヒヒザルって何?」
「口答えをしなさんな!」またしても母が叫ぶ。「おまえはいつから親に向かって口答えをするようになってしまったんだい?」
だから気が進まなかったんだ。
「聞いただけだよ。口答えじゃない」
「ほら、そういうのを口答えというんだよ!」
はめられた。
断っておくがぼくの母は気が狂っているとかそういうのではない。日常のことはきちんきちんとできるし、ボケもない。足腰もしっかりしている。家の中なんか隅から隅までピカピカだし、ものの整理も完璧だ。料理も得意だし、毎日ちゃんと考えられた献立で食事を食べさせてくれる。ただし時折盛りつけが風変わりなときがある。キャベツの千切りがフォルクスワーゲンの形に固められていたり、鳥の唐揚げが白いご飯の中に埋められていたり、食卓にびっしりポテトチップスが敷き詰められていたり、ごくたまにだがそういう食卓に遭遇することがある。全部名前がついていて、確か「ビートルキャベツ(キャビートルだったかも知れない)」「糸井重里」「ソルティブル」とかいったはずだ。ぼくに意味は聞かないで欲しい。
「ほら、おまえもお友達と遊んでおいで」
公園に着くと母が言う。言い忘れたがぼくは未就学児なんだ。来年から小学校。年長さんなんだけど、あまり幼稚園には行かない。まわりの子とうまくとけこめないんだ。ぼくがちょっと変わってるのはよくわかっている。だからまわりの子を責めないで欲しい。公園に行くと、幼稚園にすら通っていないような小さな子達しかいない。でも、まあ、それはそれで楽しい。ぼくは彼ら彼女らにいろいろなことを教えたりするのが意外に好きなんだ。
砂場で4歳くらいの女の子とたぶん2歳くらいのたぶん男の子と一緒に遊んでいると、遠くでけたたましい叫び声が上がった。絶叫と言っていい。公園中のすべてがそっちを振り向いた。といっても清掃中のボランティア2人と5人のお母さんたちと7人の子どもたちとホームレス2人とくらいなんだけど。
「うちの子が! うちの子が!」叫び声を聞いて一瞬ぼくの母かと思うが、そうではなかった。見ると噴水の池に小さな子がはまってもがいている。遊んでいるんじゃない。あんな浅い水なのに、その子は転んでしまい、噴水の勢いに負けて起きあがれないでいるんだ。おぼれかけている。大変だ! ぼくはいますぐにも飛び出さなきゃと思う。なのに体がすくんで動けない。
その時、猛然と池の中にばしゃばしゃと入っていったのが母だった。靴も履いたまま、スカートもたくしあげず、ただぐいぐいと池の中に入っていった。水底の泥が舞い上がり母のまわりがみるみるコーヒー牛乳みたいな色になる。母は子どものところにたどり着くと、ひょいと担ぎ上げ、『ライオンキング』に出て来るマントヒヒみたいにその子を高々と差し上げて「ようこそお帰り未来の王よ」と叫んだ。他のお母さんたちが聞き取れなかったことを祈るばかりだ。
その子の母親から泣いて感謝されながら、平然と「当たり前のことですから」と答えている母は結構かっこよかった。だから今日はできるだけいい子でいようと思う。もっとも帰り道にまた「クリスタルパスネットをお出し!」とか言われたらどうなるかわかんないんだけど。
(「噴水」ordered by ばこやま-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)
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