第46話 歩み寄る紳士たち

 どういう意味を持つのかわからないが繰り返し見る夢があって、それを見た朝はいつもなかなか頭が日常に戻らない。とても、しん、とした気分になっていつまでもその夢の感触を味わっていたくなる。


 夢はいつもこういう風に終わる。


 わたしはどこかヨーロッパ風の街にいて、その街の広場にたたずんでいる。建物の影と木立がかなり遠くに見えるから、ここは公園なのかも知れない。人気もなく空は曇っていて少し肌寒い。少し離れたところに噴水もあるようだ。そこに人が現れ近づいてくる。シルクハットを頭にのせた紳士たちがあちこちから湧き出すように姿を見せだんだんこっちに近づいてくる。ああ。やっと出会えた。そう思った途端に夢は終わる。あの紳士たちが誰なのか、やっと出会えたというのはどういうことなのか、何もわからない。わたしはただ目を開き、天井を見つめ、あの広場のことを、彼らのことを、懐かしい感情のことをかみしめる。


 それでもわたしはちゃんと起きて、朝食を食べ、ひげをそり、身支度をして会社に向かう。そこは東京で、人と車と無数の音でごった返し、毎日会うのは会社の同僚と上司と取引先の人々だ。そうやって一日を終えて家に帰ると、朝、起き抜けにどことも知れぬ異国の地で、謎めいた紳士たちとの邂逅に胸を熱くしていたのは誰か全然別な人のような気がする。とても自分のこととは思えない。


 ある晩家に戻ってメールチェックをしていると、すっかり連絡を取り合うこともなくなっていた学生時代の友人からメールが届いていた。訃報だった。当時の仲間のひとりが死んだというのだ。わたしはメールを返し、相手がさらに連絡をくれて、そうこうするうち何人かで集まって飲むことになった。店は学生時代のたまり場の一つにした。


     *     *     *


 予定の時間よりも早く店に着く。そこは死んでしまった彼女とふたりでよく訪れた店だった。だからできれば誰にも邪魔されずひとりでその場所を見たかった。けれども同じようなことを考えたのか、すでに連絡をくれた相手が着いていて、すぐに思い出話になった。古びていても丹念に磨き上げられたカウンター、身を寄せ合うようにしておかれたテーブル席、壁に掛けられたレコードジャケット、数え上げるようにして、店の様子が変わらないことに驚く。対するに街の方はすっかり変わってしまったこと、持病のこと、仕事のことなどとりとめもなく情報交換をしたあと、だしぬけに彼が言う。


「おまえたち、よくふたりで来てたよな」


 わたしは心底びっくりする。彼女と私がふたりきりで会っていたことを誰かが知っていたなんて思いもよらなかった。その様子を見て彼は笑い、説明する。彼はまさしくその店のカウンターの中でアルバイトをしていたのだ。そしてわたしたちのデートの様子をすっかり見て知っていたのだという。


「いつもあのコーナーに座っていた。いいカップルだと思ったのにな」


 そうだ。わたしだってそう思っていた。この店に通い詰めていた頃、わたしも彼女もそう思っていた。ある時突然何もかもが終わってしまったあの日まで、何の疑問もなく幸せな時間を過ごしていた。その日のことはあまり思い出したくない。ある日、全然別な、当時できたばかりのピカピカの店で待ち合わせを指定した彼女は一人の男を連れてきて、「この人と暮らすことになったから」と宣言した。そんなバカげたシチュエーションでそんなバカげた別れ話を切り出されるなんて、悪い冗談としか思えなかったが、それが彼女と会話をした最後だった。以来、わたしは二度とこの店に来なくなった。


 わたしが黙り込んだせいで沈黙が訪れ、相手は立ち上がる。もうじきみんな集まってくるからマスターに言って用意をお願いするよ。わたしはうなずき、手元のビールを飲む。壁に掛けられた何枚かのレコードジャケットの文字を追う。


「LPサイズのジャケットデザインはいいよな」戻ってきた彼がわたしの目線を追って言う。それから叫ぶ。「そうだ。忘れていた」

  そして持ってきていた大きな紙袋の中をごそごそとかき回す。

「何だと思う?」

「さあ」

「二カ月ほど前、彼女がこの店に来たらしい」

「二か月前に?」ぼくはぼんやり鸚鵡返しにする。「彼女が?」

「これを返しに来たんだ。ずっと前にマスターからゆずりうけていたものを、急に手放さなければならなくなったとか言ってたずねて来たんだってさ」

 彼がLPのアルバムを取り出す。そのジャケットを見てわたしは息を飲む。彼が言う。

「ほら、あのコーナー。お前たちが座っていたあのコーナーに飾られていたアルバムだよ」


 それはMJQの『Concorde』で、夢の中の景色そのままにモノトーンの広場が映っている。遠くに噴水があり、建物の影が見え、木立がある。そこにはシルクハットの紳士たちはいない。その代わりにたくさんの街灯がいくつもいくつもたたずんでいる。そして思い出す。その街灯に「歩み寄る紳士たち」と名づけたのは彼女だったことを。


(「MJQ」ordered by カウチ犬-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

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