第16話 山の童子
山に関しては素人ばかりのパーティーなので予定が狂いなかなかはかどらなかった。午前9時から登り始めてまだお昼前だというのにもう3度目の休憩を取っている。 見るからに新品のウェアに身を固めた女性の3人組がとにかくすぐに音を上げてしまうのだ。女性の登山がブームだと聞きつけたのか最近こういうタイプの客が増えた。
「あとどれくらいかね」
五十過ぎのずんぐりした中年男がペットボトルのお茶をごくごく飲みながら尋ねる。それを見ながら和也はそんなに飲まない方がいいとアドバイスしようかどうしようか迷う。無視されたと感じたのか中年男は妙に丁寧な言い方で質問を繰り返す。
「頂上まであと何時間くらいかかるのか教えていただけませんかね」
和也は立ったまま、男にではなくパーティー全体に声をかける。
「予定よりずいぶんゆっくりした進行ですが、今回は無理なく登ることが目的ですので、このペースで続けます。ただしキャンプの予定地を変える必要がありそうですので、頂上を狙うのは明日以降になるかもしれません」
いいよ!という軽薄な返事と、不満げなうめき声が流れる。
「もし頂上を明日にするなら、ほんの少し回り道をして景観のいい場所にご案内できます。ここからは頑張れば30分以内ですし、そこでお昼にするのもいいでしょう」途端に元気が出てきた様子で場に活気が戻ってくる。「それではいきましょう」
案内した場所はコースからは少し外れるものの、その意外性のある景観は一見に値する。いきなり視界が開け、大きな渓谷が堂々たる姿を現す。ところがよく見ると渓谷の向こう側の斜面の一部が唐突な盛り上がりを見せ、ずんぐりとした岩場が見える。
「何かの形に似ていませんか?」
和也が言うと口々に「饅頭だ」「茄子だ」と声が上がる。先ほどの中年男が「ブタの貯金箱だ」と言うとみんなが「そうだそうだそっくりだ」と同意する。そう。その通り。その岩場は色合いといい、形といい、ブタの貯金箱にそっくりなのだ。すぐに疲れる女性3人組は「可愛い」「巨人さんの貯金箱ね」と歓声を上げて早速ブタの貯金箱を背景に記念写真を撮り合っている。
「あそこには行けないのかね」中年男が言う。「行けないことはないだろう。どうせ今日は頂上を目指さないんだし」
「まずいですね」
「どうしてだ。すぐそこじゃないか」
和也としてはまともに相手をしたくなかった。
「巨人さんが怒りますから」
みんながどっと笑う。かっとなった中年男が怒鳴る。バカにされたと感じたのだ。
「おまえはみんなに雇われているんだ。客の要望に応えるのがお前の……」
その途端、何の前触れもなくいきなり強い風がどっと吹き中年男の帽子を吹き飛ばす。帽子は谷間を滑空しちょうどブタの貯金箱の背中のあたりに消えていく。
「チャリン!」
と子供の声がする。みんなが笑う。
「誰だ! いまチャリンと言ったのはどこのどいつだ。ただじゃおかんぞ!」
中年男はかんかんになって怒るが、和也は気づいている。子どもなどいない。このパーティーにも子どもはいないしこのあたりに子どもがいるはずもない。そしてここにいる誰も「チャリン」などと言ったりはしていない。でも和也は言う。
「失礼しました。これでもう貯金箱を割らない限り帽子は出てきません。巨人に身ぐるみはがれる前に先へ進みましょう」
毒気を抜かれた様子で中年男はだまり、みんなも黙々とついてくる。コースの方に戻りながら和也が振り向くとブタの貯金箱の上に帽子が少しだけ見えて、バイバイというようにゆらゆら揺れている。
(「ブタの貯金箱」ordered by sachiko-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)
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