第14話 ピーターパン・シンドローム

 夜更けに電話が鳴って、出るとおろおろと情けない男の声がする。「影がなくなっちゃったんだ」とかなんとか。最近学校に姿を見せなくなった同級生だ。ははん、と君は思う。ピーターパン・シンドロームね。大人になりたくないってわけね。


 そこでもこもこと防寒具を着込み君は外に出る。もう電車もない時間だ。君は自転車にまたがり颯爽と深夜の住宅街を駆け抜ける。15分。深夜のこんな時間に男の一人住まいにいくからって別にそういう関係じゃない。彼氏ならちゃんといる。もっと年齢が上の、自分に自信を持ったオトナの男が。本当に世話が焼けるんだから、同世代の男どもは。姐御肌の君はこういうときの面倒をひとりで背負い込んでいる。でもまあこれも性分だから仕方ないかと思っている。頼られるのはきらいじゃない。


 ところが話はそう簡単じゃなかった。

 着いてみるとなるほど影がなくなっていた。

「どうしたの?」と君は大声を出す。「影がないじゃない!」

「言っただろ。さっき」か細い声で男は抗議する。「だから呼んだんじゃないか」

「だって」バカにされたような気がしてついとげとげしく言ってしまう。「だって影よ?」

「影だよ」

「バッカじゃないの」

「どうしてだよ」

「何をしたらこんなことになんのよ」

「わからないよ」

「わからないって。影よ? 自分の影じゃないの!」

「そんなこと言われたって気づいたらもうなかったんだから」


 どうしてこんなに腹立たしいのだろう? きっとかつがれている気がするからだ。影がないだなんてそんな馬鹿馬鹿しいことがあるはずない。何か仕掛けがあるんだ。電灯のせいかもしれない。トリックなんだ! 急いで天井を見上げる。そうだ、きっと影が出ないような仕組みになっているんだ。だからわたしの影も! 自分の足元を見る。当たり前の話だが君の影はちゃんとある。男の方には、ない。けれどそのとき、男にはない影が君にはあることで自分がほっとしていることに、君は気づく。


「あ」ますます情けない声を男が出す。「あ!あ!あ!」

 男は妙な声を出しながら自分の手を見ている。君はその手が透けていることに気づく。手だけではない。腕も首も顔もどんどん薄くなっていく。指先あたりはもうほとんど見えない。


「どういうしかけ? どういうしかけ?」君は叫ぶ。「白状しなさいよ、どういうしかけ?」

 すがりつくような哀れな顔をこちらに向けて男がゆっくりその場で宙に吸い込まれていく。

 夢だ!

 これは夢だ!


 その通り。これは夢に過ぎない。君は汗をぐっしょりかいて目を覚ます。すぐさま飛び起きて部屋の電気をつけ、自分の影を確かめる。当たり前の話だが君の影はちゃんとある。洗面所に行きタオルを取り、新しいパジャマに着替えながら鏡の中の自分を見る。大丈夫ちゃんと映っている。そこにいるのが大学生の自分ではないことに少し驚き、驚いたことに苦笑する。どうして学生の頃の夢なんて見たんだろう。もう20年にもなるのに。あいつは、あいつらは今ごろどうしているんだろう。


 夢のことを思い返しながら君はもう一度眠りにつく。


(「影」ordered by イチ-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

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