第16話

「あたしがいた部屋の住人については、もう話したよね。

彼ね、生まれつき皮膚が弱かったみたいで、ずーっと地下にいんの。

光がダメでね、太陽の光。きっとシガイセンのせい」


その日、蜘蛛はひっくり返って、ひっくり返ったまま、いつもみたいに、人間の巣の話をしてくれた。

蜘蛛はすっと脚を一本あげて、カマクラの天井を指した。


「天井に、夜だけしばらく開く大穴があんの。透明な板でできててね、空が見えんの。あたしが入ったのも、その穴から。空気の入れ替え? とかで、透明な板が外れる事があって、そん時にね。こう上からぷら〜っと」


彼は、「スゲーまじ脚8本あんだ、かっけー」て喜んでくれたんだそうだ。


「クモって生き物は、ふふん、孤高なのね。

 昆虫にビビられるし鳥に狙われるし、人間だって。ほら覚えてる? メスの成体はあたしが嫌いだったって」


メスの成体は、「クモなんか、潰してあげます!」とクモに迫ったそうだ。

ぼくは「ぴえぇ」と震え上がった。

蜘蛛は諦めたように笑った。


「そのメスのさー。言い分がさー。ひどいんだよ。”あんたは日にあたれない分きれーなもんだけ見てなさい!”とか彼に言うの。クモはそりゃグロテスクな見た目の奴もいるけどー。あたしキレイめじゃない?

 でもそん時は”あたし死ぬ?” ってブルったな。でも、怒ってもいた。”何もしてないじゃん!” てさぁ」


彼は、今の蜘蛛みたいに、成体のメスの言い分を笑ったそうだ。「クモだからとか俺だからとか」て言って。

彼は蜘蛛を前肢の先に乗せて、言った。


『誰も好きでこう生まれたんじゃねぇのにな。

 理不尽』


そこまで聞いたぼくはつい、ひゅうう〜と冷やかしてしまった。


「蜘蛛、その人間好きだったでしょ」

「ふふふふ。あんたのが好き」


うまくはぐらかされた。


「……でも、その時ね。命とほかに、なんか……なんかね。救けられたなぁ……だからつい長居してね、その時、人間の考え方とか生態とか……色々学んだの」


そんなある日のことだった。

彼は、「今日こそ朝陽見るんだ、お前も来る?」と蜘蛛に語りかけた。

蜘蛛はその頃、透明な器の中で、彼に守られて暮らしていた。自由はなかったけれど、食事が定期的に与えられるため最高に楽で、自由はなかったけれど、それは彼も似たようなものだったから、耐えられたという。


「彼ね。”明るい世界で生きたいじゃん”て言ったの。

 ”こんな暗い世界よりさ”って……。そのまま、彼はいつもなら閉める穴をあけっぱにしたのね。

 そしたら、時間経つごとに、空も彼も、赤くなって、彼、体液とか染み出してきちゃってさ。

 穴、とじたけど、ダメだった。どんどん表皮が、赤く、爛れてくの。彼痛かったんだろうねぇ、暴れて、叫んでた。”ちくしょう誰も”」


誰も、望んでこんな風にうまれたんじゃ、ないのに。


彼が取り落とした透明な器から、蜘蛛は転げ出て、一連の騒動の中で追い出されるように外に出たら、彼の寝床に通じる穴は二度と開くことはなかったという。


「人間は。心の及ぶ狭い範囲を。世界って呼ぶみたい」


蜘蛛はやつれていたけれど穏やかで、干枯らびかけて生き生きはとはしていなかったけど、いつもみたいに、活きていた。


「”暗い世界”とか”明るい世界”とか、あたしね、最初せかいって概念がわかんなくて。でも、彼の巣の中が、暗くて、それはただ光の量の問題じゃないことも感じてた。なんていうのかな、空気が、暗かったの。明るくはなかったの。それが彼の世界だった」


だから、と言って、不意に、蜘蛛は黙った。

黙って、複眼のすべての目を伏せると、脚の一本をかさかさ動かして、墓をなでた。


「あたしは……きみの生きる、せかい、というものを……救いたかった。

 もう手遅れだったけども」


その行為の意味を問おうとしたとき、ぱっと蜘蛛がぼくをみあげて、墓をなでていた脚がぼくにのび、ぼくに触れた。


「したらあんた、彼と同じこと言うんだもん」


蜘蛛は困った子を見るみたいに笑った。ぼくはどんな顔をすればいいのかわからなくなった。


「あんたの世界も暗いの? 鳥目のクセに」


ぼくは、さっきから蜘蛛が、ぼくに触れるこの一本の脚しか動かしていない事に気づいた。

蜘蛛がぼくの向こうの、カマクラの天井を見る。


「…………暗いな、カマクラ。

 光……………………。

 あんたの世界(め)に必要なのに。

 ……もっと、食べもんも備えられたら………………」


その言い方があんまりうわ言みたいだから、ぼくは蜘蛛がぬれてしまったらだめだというのに、涙が盛り上がるのをおさえられなかった。

蜘蛛が、ぼくに触れた脚を動かして、そこにぼくがいるのを確かめるみたいに撫でる。

複眼の視線が全部ぼくからも世界からも外れて、虚ろになっていく。


「あんたさ、傷治って、晴れたらここ、出なさいね。

 もっとメシの多いとこに……。

 カラスとか猫とかと有害光線(シガイセン)に気をつけて……あとは……ああ…………どうしてかな……彼のこと話すと、どうも、胸から裂けそうな気分になって…………あたしもう」


ぼくはぴぃぴぃ歌い始めた。

蜘蛛は突然のことにびっくりしたみたいで、複眼全部でぼくを見た。ふふん。計算どおりだよ!

ぼくは蜘蛛と話したいことと、一緒にいたい時間が、まだまだいっぱいあるんだから!


「ねぇ蜘蛛! 人間は音楽で元気になるんでしょ! どう? 蜘蛛は元気になった? もっと歌おうか??」


蜘蛛は本当にびっくりしたみたいに、呆けた顔をしていた。


「ねぇ蜘蛛。逆転の発想だよ! 蜘蛛に生まれたってさ、人間みたいに過ごせばほら、人間になれるかも知れないじゃない!

 ねぇ元気になった? もっと歌う? 蜘蛛、人間になりたい?

 ……人間に、生まれたかった…………?」


頑張ったけど、ぼくはどこまでもぼくだった。

励まそうとして喋り始めたのに、喋れば喋るほどかなしくなって、声はどんどん小さくなっていったんだ。


「……そんなのは」


花が咲くように、ゆっくり、蜘蛛の顔に元気が戻っていった。

蜘蛛は、すっごく、とっても、ママがお兄ちゃんに向けたみたいに、優しく笑って言った。


「どう生まれても、あんたと生きれたから良かったんだよ」


蜘蛛の目に、光が戻った。生き生きと、蜘蛛は喋り出した。


「楽しかった。

 クモに生まれた時、あたしの世界の半分は絶望的に決まったけど。

 あんたに会えて!

 世界は救えなくて畜生!

 救おうとして良かった。

 ちきゅうで鳥乗って空中ターンまで経験した蜘蛛なんてあたしだけだぜ!

 楽しかった楽しかった楽しかったァ!!」


蜘蛛の言い方があんまりヤケクソ気味で、どこにかわからないけど挑戦的なので、ぼくは思わず笑ってしまった。


「死んだらあんたの栄養にしてね! ほーーらやっぱり、あたしはあたしで良かったんだよ。負け惜しみだけど!」

「うん! 蜘蛛だいすき、楽しかった!! これからも、これからもずっと、忘れないから!」


ぼくらは負け惜しみをお互いにぶつけ合って、ひとしきり笑った。

笑い疲れて、どちらともなく、静かになると、蜘蛛はぼくを見て、微笑むと、最期に「ん」と頷いて。


「あんたの世界≪これから≫が、明るかったら嬉しい」

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