桜花は一片の約束 ―鷺丘交々物語―

香鳴裕人

Season 2019-20

同題異話SR -April-

桜花一片に願いを



『星に願いを、なんてのが世界規模でまかり通るならさ、日本国内規模だけでも、散りわか桜花さくらばな一片ひとひらに願いを、なんてのがむしろあたし的には洒落しゃれてるし、ぐっとくるし、まかり通りそうな気がしない?』

 ――と、国語に秀でた文芸部部長としての言い回しで、春を迎えて三年生になったばかりの中学生そのままの感性で、若園わかぞの郁乃いくのは言ったのだった。

『いっそ県内、いやせめて鷺丘さぎおか市内規模でもそれがまかり通らなければ、桜の威信に関わるよ!』

 彼女は加えて、そうまで言ったので、明らかな桜木さくらぎへの肩入れが見られた。

 はて、あまりにも局地的勝利に過ぎる、と思って、社会科部部長である私は調べた。今回は(一応は郁乃に対して配慮をしようと思って)、EU欧州連合米国アメリカ、カナダ、豪州オーストラリア、ニュージーランドの合算と比較することとした。鷺丘市除く日本は中立の立場と判断し、加えなかった。これを郁乃忖度そんたくけんとする。

 まず、鷺丘市の面積、これは四七・三二平方粁へいほうキロメートルしかない。三けたにも達していない。対して郁乃忖度圏の面積は、およそ三二〇〇平方粁へいほうキロメートルにもなる。郁乃忖度圏と比すると、鷺丘市の面積は、およそ〇・〇〇〇一五%ほど。局地戦で六八万回ぐらい勝てば、どうにか上回る。

 さらに私は総人口や財政、Googleグーグルでのヒット件数(市名を日本語で、全ての国名を英語で検索した)等々、比べるには比べてみたが、無論、言うに及ばず、何をか言わんや、という数字しか出てこなかった。

 参考までに、鷺丘市の総人口は一〇万五二五四人。なるほど、東京ドームと西武ドームを合わせても市民全員は収まらない。しかし東京ドームと札幌ドームを合わせれば足りる。市名で検索した時のヒット件数は、約五九八万件。〈ソメイヨシノ〉で検索したら約六〇三万件だったのでニアピン。〈桜〉で検索すると――無論、比べるべくもない。



 鷺丘さぎおか駅は、乗り継げば都心にアクセスできる路線のうちにある。立派とはとても言えない駅の近くで、春休みを残すところ三日とした中学生の女子ふたり、つまり郁乃と私は遊んでいたわけだった。

 午前に買い物、昼食は屋台で買ったケバブを公園で食べて済ませ、午後はカラオケ。夕方に至った今、私は、チェーンのハンバーガーショップで郁乃と向き合って座り、ポテトのLひとつを分け合い、紙コップのふたに差されたストローをくわえて、コーラLを飲んでいる。今さらだが、カロリー過多だな。

 なぜコーラがLサイズかというと、長丁場になるから、と郁乃が言ったからだ。実際にそうなっている。不毛な時間を許すにも限度があるので、私は言った。

「郁乃、よく聞いて。いい加減に気づいて。夢見がちな文芸部員が思い描くその場所は、この世のどこにもない、って」

 郁乃は私に目を向けていなかった。ポテトを脇に追いやり、テーブルの中央に広げた地図(ネットで得た地図を、コンビニのコピー機に送って紙に出力したもの)をとくと見つめるまま。ドリーマーなところも含めて、私は郁乃のことが(恋愛感情で)大好きなんだけど、しかし頭が痛い状況なのも事実。夢見がちなだけじゃなく、郁乃は頑固でもある。

 郁乃は地図に目を落としたままで、ごく冷静な声音で言った。

友弥子ゆみこ、わかって。『星に願いを』と『桜花さくらばなに願いを』を、公平に対決させるには、どちらもよく見える場所で、同時に願いをかけないといけないんだよ」

 頭が痛い。心なし胃も痛い。無論、精神的なストレスが主因である。これでなぜ郁乃のことが大好きなのかとなると、ロマンティストで頑固なところを最高にかわいいと思うからである。社会科部部長はリアリストでなければならず、ならば憧れもあるのか。しかし、ストレスはストレスとして恋心と共存する。我ながら面倒な好みをしていると思う。

 コーラの紙コップのうちでは、時間の経過と共に氷が溶けていき、もはやコーラはずいぶんと水っぽい。これ以上薄まればコーラじゃなくなる、残りを急いで飲んでから、私はごく簡単な証明をした。

「あのね、郁乃、冷静に考えて。明かりがある場所だと星は綺麗に見えないし、明かりがないと夜桜は見られないんだよ? 両方は無理」

 はっきり口にしたに過ぎず、郁乃とてそれが問題だと知っている。だから地図とにらめっこをしては、この山からならふもとの桜のライトアップが見れる、けれどだめだ遠すぎる、さすがに離れすぎ、云々、独り言にも似て、散々言っていたわけだ。

 郁乃は私に真剣な眼差しを向けた。正直、きゅんとなった。

「わかってはいる。けれどあたしのロマンチシズムが、どうしても桜と星を一緒に見たいって言ってる。友弥子と一緒に行くのに、なおさら譲れないよ」郁乃はすごくかわいいし、さらに私をどきどきさせることを言ってくれる。しかしすぐ後、ストレスは避けられなかった。

「――とは言うものの、結論として、桜を見るあたしと、星を見る友弥子、別々に行動して通話するんだろうなって、そんなとこで妥協するってわかっちゃいるけど」

 、である。郁乃と夜のデートかな、などと思い描いていた私は何なのか。私のほうがドリーマーだということか。私より企画が大事か。ただ、という語が不適切なのは認めねばなるまい。私と郁乃は親友同士に過ぎない。片思いだ。

 つい、口をついて出た。

「本当は、桜に肩入れする郁乃のために、星への願いごとは天文学的に難しいものにしようかと思ってたけど、翻意ほんいする。すごく簡単な願いに変更」

 私が腹を立てた様子は見て取れたろう。しかし郁乃に気後れはなく、「ちなみに?」と、平静な声で私に問うた。

「明日も郁乃と友達同士でいられますように」

「引き分けになっちゃうじゃん!」

 郁乃は店の中だと言うのに大きな声を出した。隣の席でダブルチーズバーガーを食べていた客はこちらに見向きもしなかったが。

 どうやら、桜が願いを叶えてくれるというのは、郁乃のうちでは決定事項のようなのだ。よほど簡単な願いをかけるつもりなのか、それとも桜花おうかの魔力を信じるがゆえか。後者のような気がする。

 郁乃はポテトをひとつ取り、けれど食べずに、指揮棒のように振った。行儀が悪い。ポテトを揺らしつつ、郁乃は言った。

「もっとも、最初から、引き分け狙いだったけどね。星のやつに、屈服に等しい引き分けを与えてやろうと思って。星はね、叶えないよ。願いを。天体なんて薄情だからね」

 私の、すごく簡単な願いが叶うだろうことが前提の、引き分けになってしまうという先のげんと、明らかな矛盾があるように思われる、のだが、私は何も言わずにおいた。

「だから、桜にさ、〈友弥子の願いが叶いますように〉って願いをかけようと思ってね。桜はね、叶えるよ。だから星が負けて、結果として友弥子の願いが叶うよ」

 言いつつ、郁乃はポテトの先で、(という効果音があったら添えたかったろう)、と、私の顔を差した。教師か何かのつもりだろうか、あるいは策士さくし気取りなのか、後者のような気がする。

「だからね、友弥子は心の底からの願いをかけるべきだよ」

 なるほど。そう言われれば、宝くじの一等前後賞が当たることより叶ってほしい切実な願いがある。心からの願いは決まっている。中学に入ってから始まった友人という関係を、まるっきり変えてしまうことだ。

 私が郁乃を上回る策士になることは、できるような気がした。だからと、両思いになれるものではないが、脈があるかないか、告白する前に知れる、かもしれない。

 私は郁乃の持っていたポテトを奪って、逆に私から郁乃へ差し向けた。

「郁乃、その願い事、そのままでいいの? ひとつ聞きたいんだけど――」

 私の願いが叶わなければ、それは郁乃の中では、桜が負けたことになるのである。薄情な星が桜花おうかに屈して、本来なら叶わない私の願いが叶う、それが郁乃の描いた図である。星にかける私の願いが叶わないといけない、では、どうする。

「――私が星に願うこと、それをね、郁乃と恋人同士になれますように、ってことにしたら、どうする? 願いを変えて、桜を勝たせる?」

「え」

 静止した。郁乃はじっと動かない。最高の親友だという認識はあっても、私がもっと別の未来を望んでいるとは思っていなかったろう。最高の親友だからこそ、私の質問が、何から何まででからかっているだけ、とは、ちっとも思わないだろう。

 ただ、郁乃の表情に、何ら嫌悪感は滲まなかった。

 何やら困り果てたふうな、それでいて嫌ではないような、そんな顔をして郁乃はポテトをふたつ、みっつ、と食べた。私が手放したポテトも取っていった。氷が溶けてずいぶん薄まったであろうアイスコーヒーを飲み、そして言った。

「そういう考え、なかった。この前、クラスの女子と、どの男子が気になるかって話をして、あたし、適当に名前を挙げたりもしたけど、しっくりこなくて。そっか、そういう発想なかった」

 やはり郁乃に嫌がる気色きしょくはない。おそらくだけれど、気になる相手として郁乃が適当に名を挙げた男子に、私は勝ったのだろう。

「もう、星を見るのはにしようか。星の不戦敗、桜の不戦勝ってことで」

 これだけ地図とにらめっこして粘って、ずいぶんな着地点であるが、しかしこれは、企画より私のほうが大事になった結果なのだろうと捉え、悪い気はしないでおく。

 郁乃はスマートフォンの時刻表示を見て、広げた地図を畳みながら、「そろそろ撤収しなきゃ。帰らないと」と言う。今夜の待ち合わせについて、変更はなかった。「今夜一時半、迎えに行くから、予定通り起きててよ。ふたりで夜桜だけ見よう? お試しデート気分で、さ」

 厳密には私はまだ告白していない、のだが、郁乃の恋人候補、その最上位まで急上昇したらしかった。高揚が体中を駆け巡った。残った四、五本のポテトに、郁乃は手をつけていく。私はそんな郁乃に質問を向けた。

「結局、願い事は? ふたりとも桜に?」

 もともとは願い事をどうするかという話であったのだから、店を出る前に立ち戻っておくべきのように思えた。

「ふたりとも桜に。桜はね、叶えるよ。願いを。ただ桜も万能じゃなくて、一ヶ月ぐらいかかるのかもしれない。ほら、あたしも心の整理とか、あるし。叶うけど」

 だから、私は告白などしていないのだ。妙な思い込みの強さも、時折の勘違いも、郁乃らしくはある。話はどんどん望ましいほうへ進んでいく。一ヶ月待てば郁乃が私の恋人になるって?

 他方、私の喜ぶ気持ちの脇で、私のリアリストの面がある。

「それ、普通に私が告白して、普通に郁乃が受けるんじゃだめなの?」

 郁乃はまるであり得ないという顔をしてから、至極当然というふうに言うのだった。

「だめだめ。互いに黙して、散りわか桜花さくらばな一片ひとひらに願いを、夜桜だけが正解を知っている。そんな愛の告白なんて、自然との一体化そのものだし――」

 郁乃はぐっと拳を握る。力説は続く。散々しざまに言っていた星空まで持ち出した。

「――そして、明かりでよく見えない星を思い、秘められた無限に願いを馳せることが、一生を共にするという約束になる。まさにロマンチシズムの体現だよ!」

 郁乃、ごめん。それ、ちっともわからない。わからないどころか腹が立つ。大好きだけど。何だかすっごい苛立つ。もちろんお付き合いはさせていただきます。

 で、私、人生あげるなんて言ってないよ。時折の勘違いによる強烈な思い込みも、これほどまでとなると呆気にとられる。一生の誓いを桜花おうかと星に委ねるなんて、いくらなんでも度が過ぎている。

 残ったポテトの一本、郁乃が半分だけ口にくわえていたそれを、私は容赦なく指で折ってもぎ取り、自分の口に運んだ。噛んで呑んで、店のトレイを持ってから立ち上がり、何が起きたのかよくわからない顔をしている郁乃に向け、私は微笑んで言った。

「半分もらうけど、あげない。ちゃんと言ってくれたら、ね」

 桜でも星でも郁乃でもなく、どうやら私の一人勝ちのようなのだ。




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