最終話:27歳 果たされた約束

 仕事を終えて帰路につく。

 ナナは九月から仕事に復帰することに決まった。あと数日でナナが会社に戻ってくる。

 うれしい反面、いつナナが私の家を出て行くと言い出すのか不安でもあった。

 ナナが待つ家に帰れる日もあとわずかなのかもしれない。

 入院中、ナナは私に告白をしてくれた。けれどそれ以降ナナとは何の進展もない。私のことをからかうようなことはするけれど、それは恋人同士のじゃれ合いとは少し違うような気がした。

 それなりに恋愛をしてきたつもりだけど、ナナに対してだけはこれまでのようにできない。

 私のことを好きなのか、私の家を出て行くのか、それとも一緒に暮らしてくれるのか、口に出して聞けば済む話だ。聞けば答えてくれる。高校時代ならばそう素直に思えただろう。だけどナナでも答えてくれないことがあると今は知っている。それに聞きたくない言葉が返ってくるのも嫌だった。

 そもそも事故の後、突然告白をしてくれたのはなぜだろう。ナナは、事故後、霊体になって私の家に来たと言っていた。だけどそんな話を信じられるはずがない。もしも来ていたとしたらものすごく恥ずかしい場面を見られていたことになる。絶対に考えたくない。

 可能性としては事故で記憶が混乱していたからという感じだろうか。だが目が覚めた直後だけでなく、落ち着いてからも告白をしてくれた。

 もう一つの可能性は大怪我を負って不安になり、誰でもいいから近くにいた人に頼りたかったからということだ。それなら私は適任かもしれない。その場合、不安が払しょくされれば私の元を去っていくだろう。そう考えて暗い気持ちになる。

 そんなことを考えているうちに私は家に辿り着いていた。

 玄関の鍵を開けて部屋に入ると、ナナが「おかえり」と出迎えてくれた。怪我で動けなかったこともあるがこんなサービスははじめてだ。

「ただいま、どうしたの?」

 驚いて聞く私にナナはニッコリと笑って左腕を見せた。

 今朝までがっちりその腕を固めていたギプスがなくなっている。

「今日、外してもらったんだ。しばらくはサポーターしなきゃだし、リハビリもしないと元通りに動かすことはできないけどな」

「おめでとう、よかったね」

 私はそう言いながら胸の中に不安がよぎるのを感じた。

「足のギプスももうすぐ外せるらしいぞ」

「そう……」

「ん? どうした? なんか元気ないな。また会社で嫌なことでもあったのか?」

「え? ううん、そんなことないよ」

 私は笑みを浮かべて答える。ナナの回復を喜べないなんて最低だ。

 リビングに行くとローテーブルの上にはいくつもの料理が並んでいた。

「これ、どうしたの?」

「半分以上買ってきたヤツだけどな。まあちょっとしたパーティーだ」

「なんで突然パーティーなんて……」

「いや、ホラ、今日まで世話になったけど、もうすぐ仕事にも復帰できるし、それに……」

 ナナは照れたように頬を掻きながら言う。

「っと、まあ、細かい話は後回しだ。風呂入れてあるから先に入って来いよ。あと少し準備があるから」

 そう言うとナナは私の背中を押した。

 私は言われるままに浴室に向かう。今日のパーティーは最後の晩餐のつもりなのだろうか。それでも笑顔でナナと向き合わなくてはいけない。私は頭からシャワーを浴びて暗くなった気持ちを洗い流した。

 部屋着姿でリビングに戻ると、ナナは「おー、座れ座れ」と、私を手招きした。私は言われるままにナナの隣に座る。

 テーブルの上には洋食も和食も中華も並んでいる。とてもまとまりのない食卓だったがどれも私が好きなものばかりだ。

「セイラ、これ開けてくれ」

 そう言ってナナは私にワインのボトルを渡した。瓶の先端にはコルクオープナーが突き刺さっている。開けようと努力はしたのだろう。

「左手で抑えられないから無理だった」

 私は少し笑って瓶を受け取り、慎重にコルク栓をあける。そして目の前に置かれた二つのグラスにワインを注いだ。

「えっと、それでこれは何のパーティーなの?」

「あー、そうだな、手のギプスが外れた祝いと、今日までセイラに世話になったお礼だな……」

 私は意を決してナナに聞くことにした。

「ここを出て行くつもりなの?」

 するとナナがキョトンとした顔で私を見た。

「アタシを追い出すつもりなのか?」

「違う、ナナが出て行きたいのかと思って」

「どうして?」

「どうしてって……ここに来るのも私が勝手に決めちゃったし、これからどうするか何も言ってくれないし、ナナがどう思ってるか分からないし」

「なんだ、それ? アタシはちゃんとセイラのことをどう思ってるか言ったぞ」

 確かにナナは私に「愛してる」と言ってくれた。

「だけど、分からないんだもん。それまでずっと目も合わせてくれなかったのに、どうして急に……」

「それは、霊体になってセイラを覗いたって言ったろう?」

「そんな話信じられるはずないでしょう! 騙されないからね。そんなことあるはずない。絶対違う」

「なんだよ、頑なだな。まあいいや。覗いたっていうのは置いといて、死にかけてたときにどうしても最期に顔が見たいと思ったのはセイラだけだったんだよ。だから……なんていうか……、意地を張ってる場合じゃないなって思ったんだ」

 ナナは真面目な顔で言う。

「そ、それじゃあ、本当に私のこと……」

「好きだよ。愛してる」

 ナナは私の目をまっすぐに見て言った。

「この家、出て行かない?」

「セイラが追い出すまでは出て行かないよ」

 ナナはそう言うと小さく息を付いて私の頭をガシガシとかき回す。

「セイラは頭がいいのにバカだな、そんなことでずっと悩んでたのか?」

「でも、ウチに来てから、なんか普通だし、何もなかったし」

「何もって?」

「そ、その、キス……したりとか」

「キスしたかったのか?」

「べ、別にそういう訳じゃないけど」

 私は顔が赤くなるのを感じながらナナから目を逸らす。どうにもこういう話は調子が狂う。今までの恋人たちとはこんなことはなかったのに、どうしてしまったのだろう。

「そっか。でも、まあ、しないけどな」

「え、どうして!」

 思わず大きな声を出してナナを見てしまった。するとナナはニヤリと笑う。

「だって、セイラはまだ何も言ってくれないからな。アタシはこれで三回も言ったぞ。セイラがちゃんと言うまで何もしない」

「え、でも、言わなくてもわかってるでしょう」

「は? 何だろう、何もわからないなあ」

 確かに思い返してみれば私はナナに気持ちを伝えていない。なぜだかナナは当たり前に知っていると思い込んでいた。

「なんでそんな意地悪言うの?」

「意地悪じゃないだろう?」

「だって恥ずかしいじゃない」

「恥ずかしいことをアタシには言わせたじゃないか」

「無理矢理言わせたわけじゃないでしょう」

「そんなに言いたくないのか」

「言いたくないってわけじゃないわよ」

「じゃあ言えよ」

「好きよ。私はナナのことが好き。ずっと好きだった」

 勢いに乗じて私はナナに今まで伝えられなかった言葉を投げた。するとナナはうれしそうに笑うと「言えるじゃないか」と言って私を抱き寄せてキスをした。

 顔がほてる。キスをするのはこんなに恥ずかしいものだっただろうか。

 私はナナから体を離して別の話題を振ることにした。このままナナのペースに乗せられていたら私の心臓が持ちそうにない。

「そ、そういえば、復帰の件だけど」

「ああ、事務だよな?」

「うん。それで、そのまま内勤の仕事を続ける気はない?」

「どうして?」

「管理の課長がナナのことを気に入ったみたいで」

「あー、そういうのは向いてないからな。アタシは現場がいいよ」

「そうかなとは思ったんだけど……。でも、内勤になったら、これから先も一緒の職場で働けるかも。多分、私はいつか物流から異動になるし」

「別にいいじゃないか、職場が違ったって。一緒に住んでるんだから」

「あ、そうか」

 これまでナナが出て行くかもしれないと思っていたから、職場だけでも一緒いたいと思っていた。ナナがここに住み続けてくれるのならそこにこだわる必要なんてないのだ。

「なんか安心したらお腹が減ってきた。まずは乾杯する?」

 ナナは「そうだな」とグラスに手を伸ばしかけて動きを止めた。

「どうしたの?」

「セイラ、このパーティー、分かってるのか?」

「ナナの怪我が回復したお祝いと、私へのお礼のパーティーでしょう?」

「それもあるけど、それはオマケだ。セイラ、本気で言ってるのか?」

 私は首をかしげてナナを見た。

 するとナナは大げさに息を付いて、右足だけで器用に立ち上がるとキッチンへ向かった。そして小さな箱を持ってきて私の前に置く。

「開けて」

 ナナにそう言われて箱を開けると、中から小さなケーキが出てきた。ケーキの上には『Happy Birthday』というプレートが付いている。

「今日、セイラの誕生日だろう?」

 私は慌ててカレンダーを確認する。すっかり忘れていたが今日は二十七歳の誕生日だった。

「誰からもお祝いメッセージ来てないのか?」

「今日は全然スマホ確認してなかった」

 私はバッグからスマホを取り出した。メッセージの受信マークが出ている。開くと友人たちからの祝福の言葉が並んでいた。

「いっぱい来てた。あ、麻美先輩からも来てる」

「あさみせんぱい?」

「うん、大学時代につき……大学時代の先輩」

「つき?」

「そんなこと言ってない」

「ふーん」

「麻美先輩、ナナに会いたがってたから、今度一緒にご飯でもたべにいこうよ」

「ふーん」

 私はゴホンと咳払いをしてナナに向かって言う。

「えっと、ありがとうナナ。誕生日、覚えててくれたんだね」

「約束だっただろう? 次の誕生日はちゃんと祝ってやるって」

 ナナはまだ少し納得できないような顔のままで言った。

「あのときの約束、覚えててくれたんだ」

「まあ、八年も遅れたけどな」

 ナナはそう言うと私の左手を取った。

「んで、これはもう外せ」

 そう言ってナナは私が男避けに着けていたリングを外してテーブルの上に置く。

「でもこれは……」

 戸惑う私をよそにナナは少し笑みを浮かべた。

「代わりにこれを着けておけ。安物だけどな」

 ナナはポケットから新しいリングを取り出した。そして私の左手の薬指にそれをはめる。

「ちょっと、何してるの?」

「何って、誕生祝いだろう」

「ナナがこんなことするなんて……ちょっと待ってよ、泣きそうなんだけど」

「なんだよ、それ」

 ナナはケラケラと笑う。

「サービスしすぎじゃないの?」

「まあ、八年待たせたお詫びも込みだ」

 そのときふとテーブルの上に置かれたリングが視野に入った。私はそれを手に取る。

「それじゃあ、このリングはナナが着けて」

「え? アタシはいいよ」

「だめ、着けて」

 私はナナの左手を掴む。ナナが痛がる素振りを見せたが、見なかったフリをして薬指にリングをはめた。サイズは問題ないようだ。

「なんだか、結婚式みたいだね」

「どこがだよ。結婚式は痛がる人間に無理やり指輪をはめる儀式じゃないだろう」

 そう言うとナナはプッと吹き出した。私もつられて笑う。

 私はナナに腕を回してギュッと抱きしめる。

「ありがとう、ナナ」

 ナナも私の背中に腕を回した。

「誕生日おめでとう。約束、破ってゴメンな」

 私は首を横に振った。

「ナナ、好き」

「うん」

 私は体を離してナナの顔を見る。そしてもう一度「好き」と言う。するとナナは少し首を傾げた。

「ん? もしかしてキスしたいのか? だったら素直に……」

「キスしたい」

 ナナの言葉に被せて私が言うとナナは少し顔を赤くした。

「なんだよ、そう素直だと調子狂うな」

 そう言いながら顔を寄せ、最初のキスよりも深い、八年分の想いを込めたキスをした。



       おわり

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こんなにも嫌いな女を好きな理由(ワケ)。 悠生ゆう @yuk_7_kuy

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