13:26歳 二度目の初恋
物流センターに来て二ヶ月程が過ぎある日、朝礼にナナの姿がなかった。
「山本班長、塩原さんがいないようですが」
「無断欠勤なんて今までなかったんですけどね。少し前から調子が悪そうだったから、寝込んでるのかもしれません」
私は昨日の終業の報告でナナが鼻声だったことを思い出す。
「そうですか。では私から連絡をしてみます。塩原班の業務は大丈夫ですか?」
「今日は特に難しい処理もないので大丈夫だと思います」
「では山本班長はフォローをお願いします。何か問題があればすぐに連絡してください」
「わかりました」
そうして山本班長が塩原班のメンバーに指示をだすのを見届けて私は事務所に戻った。
パソコンで社員データを検索する。
役職権限で部署メンバーの電話番号や住所を参照することができる。
私は登録されているナナの携帯に電話を入れた。
そういえばナナと電話をするのははじめてだ。高校の頃、ナナは携帯を持っていなかったし、私が教えた携帯番号にナナが電話をかけてくれることはなかった。私は、いまだにあの頃のまま番号を変えていない。
長いコール音の後、ようやくナナが電話に出た。
「……塩原です……」
声はくぐもっており、体調の悪さがその声からも感じ取れる。
「森内です。出社されていないので、連絡しました」
「……すみません。体調が悪いので、今日は休ませてください」
私は小さく息を付くと、グッとお腹に力を入れて上司としての言葉を事務的に伝える。
「体調が悪いのなら、その旨を連絡してください」
「ああ……」
「有休がありましたよね? 有休扱いにしておきますから」
「ああ……」
「病院には行ったんですか?」
「大丈夫だ」
そう言ってナナは電話を切ってしまった。
その日、私は定時で仕事を上がり、ドラッグストアで風邪薬や飲み物などを買ってナナの家に向かった。
上司がここまでする必要はないかもしれない。だけど電話の声ではかなり調子が悪そうだった。そしてナナが一人暮らしなのを知っている。面倒を見てくれる身よりがいないことも知っている。それにナナの性格からして、友だちに助けを求めることもしないだろう。もしかしたら恋人が世話をしてくれているかもしれない。それならばそれで上司として安心できるというものだ。ともかく上司として、旧友として、体調の悪いナナを見舞うくらいは普通のことだろう。
私は自分の中でそう結論付けてナナの家に向かうことにしたのだ。
ナナが住んでいたのはかなり年季の入った雰囲気のアパートだった。
軋む外階段を上がり、二階にあるナナの部屋の前に立つ。表札は出ていない。会社に提出してある部屋番号と合っていることを確認して呼び鈴を押した。「ブー」とブザーのような音が聞こえる。
しばらく待ち、もう一度呼び鈴を押す。寝ているのだろうかと思ったとき、室内で人の動く気配がした。そのまま待つとゆっくりとドアが開く。
ナナの姿に部屋を間違えていなかったと安堵したが、同時にナナの様子にギョッとした。
かなり熱があるのかもしれない。目は虚ろだし、顔色が悪いのに、目元だけがやけに赤く火照っている。足元も少しふらついているようだ。
玄関まで入り下駄箱の上に差し入れの袋を置く。
「ちょっと、大丈夫なの? 病院には行ったの?」
ナナの額に手を当てようとすると、ナナは私の手を払ってそれを拒絶した。
「何しに来た?」
「体調が悪そうだから……」
「寝てれば治る」
「何を意地になってるの? 薬とか買ってきたから」
「いらない」
「どうして」
「迷惑だ。帰ってくれ」
「どうして……」
そんなに拒絶するの? と言おうとしたとき、不意に目頭が熱くなって言葉を飲み込んだ。泣いてはいけない。別に泣きたいわけじゃない。
するとナナが手を伸ばして私の頬に触れた。ナナの指は異様に熱い。
「泣くな」
「泣いてないわよ」
「もう、アタシのせいでセイラを泣かせたくないんだ」
そして私の肩を押して玄関の外に追いやるとドアを閉めてしまった。
私はドアを背にへたり込む。
心臓がドクドクと激しく脈打っている。
ナナへの恋はすでに終わっている。そのはずなのに心臓が私の意思とは関係なく私の心をノックする。
どうやら私は、またナナに恋をしてしまったようだ。
二日後、出社したナナが朝礼前に私の所に顔を出した。もしかしたら山本班長に何かを言われたのかもしれない。憮然とした顔をしており、とても謝罪しに来たようには見えない。
「欠勤してすみませんでした」
ナナは目も合わせようとせず頭を下げる。少しやつれたようにも見えるが、元気になったナナを見て安堵する。
「欠勤は別にいいんです。体調が悪いならばきちんと休息を取ってください。ただ、連絡だけはきちんと入れてください」
「……はい」
「まだ本調子ではないようなら、あまり無理はしないように」
「……はい」
ナナは私の顔を見ようとはしない。胸のあたりがギュッと締め付けられるように感じる。あの日「もう、アタシのせいでセイラを泣かせたくないんだ」と言ったナナの気持ちが知りたい。
「それじゃあ、仕事に戻ります」
ナナはペコリと小さく頭を下げて踵を返そうとした。
「あ、ちょっと……」
私は思わずナナを引き留める。
「あの日……」
ナナは少し首をかしげる。もしかしたら熱のせいで覚えていないのかもしれない。
「いえ、あの日、連絡しなかったのは、私のことが……気に入らないからですか?」
誤魔化すためだとは言ってもこの発言はない。自分でそう思いながらも口に出した言葉を無かったことにすることはできない。
「別に……」
「塩原さんより五年も遅く入社した私が、上司なのが気に入りませんか?」
「別に……」
「だから、そんな態度なんですか?」
「別にそんなわけじゃないっ」
ナナは苛立ったような表情で私を睨みつける。やっと私を見てくれた。
「学歴があるだけで上司になった私が気に入らないから、いつもそんな不満そうな態度なんでしょう?」
「しつこいな、違うって言ってるだろう」
私がナナと目を見て話したいのはこんなことではない。だけど私は言葉を止められなかった。
「気に入らないのなら、仕事は学歴だけがすべてじゃないと証明してみてください」
「は? なんでそんなことを……」
「できないんですか?」
「できないとは言ってないだろう」
私はナナと睨み合いたいわけじゃない。けれど、こうしなければナナが私を見てくれない。
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