5:高校二年<16歳> 勉強会
屋上で話をした翌日から私はナナの勉強を見ることになった。
昼休みの勉強会は時間を節約するために教室で勉強しようと提案したのだがナナに断固拒否された。
「どうして? 別に教室でも問題ないでしょう?」
「なんだ、その……人に勉強しているところを見られたくないんだよ」
こうした不良っぽい人は真面目に努力しているところを人に見られたくないのかもしれない。格好悪いとか恥ずかしいとか思っているのだろうか。
「鶴の恩返し?」
「セイラ、何言ってるんだ? 意味がわからん」
軽い冗談で言ったつもりなのだがナナに真顔で否定された。なんだかとてもムカつく。
ともかく教室では勉強ができないということなので、私が所属している茶道部の部室を利用することにした。和室なのだが会議をするための折り畳みテーブルがある。それに昼休みに部室に来る生徒はいない。三年に茶道部員はいないので先輩に文句を言われることもない。
放課後はナナがバイトをしているファミレスを利用することにした。ナナのバイトがはじまるギリギリまで勉強ができるからだ。それに私は普段一人で夕食を食べている。いつもはコンビニで買って済ませるのだが、それをファミレスで済ませてしまえば私も時間と手間が省ける。
ナナは私との約束を守って毎日学校に来るようになった。ほぼ毎日遅刻をしていたが、それは大目にみると言ってあるので仕方ない。
それでも昼休みに登校をしてきたときにはちょっと小言を言ってしまった。
実際に教えてみるとナナの理解力はとても高かった。教えればそれをどんどん吸収していくので見ていても楽しくなる。ナナは真面目に勉強をすれば私なんかよりずっと良い成績が取れるのではないかと思う。それがとても勿体ないような気がしたが、ナナは勉強には興味がないようだった。
興味がないからか集中力も長くは続かない。だから私はナナにできるだけ要点を絞って教えられるように研究をするようになった。その作業は私にとっても勉強の理解力を高める結果となった。ナナとの勉強会は私にとってもプラスになると感じた。
一カ月程経ったとき勉強会の成果を試す機会が訪れた。期末テストだ。私は自分自身の成果もさることながら、ナナがどんな結果を出してくれるのかとても楽しみだった。必ず前回よりも良い成績を出してくれることを確信していた。あとはどこまで伸ばせるかだ。テストに対してこんなにワクワクした気持ちになったのははじめてだった。
だが初日の朝、私の気持ちは一気に急降下した。時間よりも少し早く教室に現れた教師が唐突に持ち物検査をすると言い出したのだ。
それはすべての生徒に対して行われ、学校に持ち込みが禁止されている物などが回収された。だがその検査がナナにだけ執拗に厳しくされていると感じたのは私だけではないはずだ。
おそらく素行の悪いナナの成績が良いコトを訝しんだ教師か生徒かの提案なのだろう。ナナの成績が不正によるものではないかと疑っているのだ。
ナナを見ると特に苛立った様子は見えなかった。そればかりか私のことをチラリと見て「大丈夫、気にするな」とでも言うように軽く笑みを浮かべてた。
もちろんその検査でナナの不正は見つかることはなかった。当然のことだ。私はナナが実力で点数を取っていることを知っている。
それでも私の怒りは収まらなかった。偏見でナナのことを疑った人たちに対しても、それに怒らず平然としているナナに対しても、何も言えず何もできない私に対しても、怒りが心と頭を支配してテストに集中することができなかった。
昼前には学校が終わり、私とナナはいつものようにファミレスで顔を合わせた。テスト期間中でもナナはバイトを休まない。
「セイラ、顔、怖いぞ」
ナナがボソリと言った。
「別に、いつも通りだけど?」
「いやいやいや、絶対怒ってるだろう?」
ナナはヘラヘラと笑いながら言う。その態度が私の神経を余計に逆なでした。
「ナナこそなんで怒らないの? 今日の持ち物検査、どう見てもナナのことを疑ってたでしょう?」
「なんだ、そんなことで怒ってたのか? 気にすることないだろ。調べられても何も出ないんだし」
「それはそうだけど疑われること自体が失礼な話でしょう」
「まあ、こんな見た目だし、しょうがないんじゃないか」
そう言うとナナはもう興味を無くしたように教科書に視線を落としてしまった。
ナナの言うこともわかる。実際、人は見た目で判断することが多い。私自身、教師からもクラスメートからも信頼されるような見た目を演出している。ナナと話したことが無ければ、こうして勉強会をしていなければ、私だってあの持ち物検査は妥当だと感じていたかもしれない。けれど悔しくて仕方がない。ナナ自身がそれを甘んじて受け入れているのも嫌だ。
「分かっているなら、その服装とか髪型を変えればいいじゃない」
「んー、でもなぁ、これはこれで役立つからなぁ」
「どういう意味?」
するとナナは視線を私に移した。そして少し考えるような仕草をしてからゆっくりと話しはじめた。
「なんつーか、アタシらみたいな環境だと、攻撃されやすいんだよ」
それが児童養護施設に住む子どもたちを指していることなのは分かった。
「アタシもガキのころは、まあ、色々あったしさ。そんなとき年長組にちょっとイカツイ奴がいるって知れると、それがちょっと収まるんだよ。全部じゃないけど攻撃する奴らも反撃が怖いんじゃないかな」
ナナは昔の自分を思い出しているのか、どこか遠くを見て話す。
「まあ、年長組が助けてくれたことはないし、むしろそいつらに結構ボコられてたんだけどさ。それでも弱い奴を攻撃して自分を保とうとする奴らへの抑止力にはなったんだ」
そう言うとナナは照れたように頭を掻いた。
「だからさ、実際に強いかどうかはともかく、怖そうでなきゃ意味がないんだよ」
ナナの風貌にそんな理由があったなんて想像していなかった。ただの趣味ではなかったのだ。
その話を聞いて私はナナへの嫌悪感が増した。ナナと私は決定的に違っている。それが浮き彫りになったからだ。
私は一流企業に勤める父と母の間に生まれた。共働きで忙しくしていたからテレビで見るような家族のふれあいは多くなかった。それでも愛されていないとは思わなかった。できなかったことができるようになって褒められることがうれしかった。だから私はもっとできるようになろうと努力した。
私が小学校二年のとき弟が生まれて状況は一変した。父と母の愛情が弟に集中していったのだ。それまでと同じように努力をしても褒められることが少なくなった。一方の弟は、私よりもずっと出来が悪くても褒められているように感じた。
弟のことは私もかわいいと思っていたが、それ以上に嫉妬心を抱いていた。けれどそれを弟にぶつけるのはプライドが許さなかった。
だから私は家族を切り捨て、私を満たすものを家の外に探した。
良い成績を取り、人から褒められるような、尊敬されるような言動を取り、常に先生やクラスメートの視線を意識するようになった。そうして私を保つための居場所を作り上げてきた。
人の目を気にして自分を演じ続けるのは容易ではなかった。それでもそうしなければ私は私で居続けることができなかったのだ。
私もナナも人の目を意識して自分を演じているという面では同じかもしれない。だが私は私自身のための行為であり、ナナは園の仲間のための行為だ。それは決定的な違いだと思う。
はじめて会ったときからナナのことをムカつくと思い、苛立ちを感じ、嫌いだと思っていたのに目が離せなかった理由が今わかった。
私はナナに憧れているのだ。
そのときナナがテーブルごしに身を乗り出して私の方に手を差し出した。そして人差し指で私の眉間を押す。
「なんか面倒臭いこと考えてるのか? すごい顔してるぞ」
私は両手で頬を覆う。どんな顔をしていたのだろう。手で触れた頬がほんの少し熱い気がした。
ナナは少し笑みを浮かべると頬杖をついて言う。
「それにしてもさ、お前はすごいよな」
「私が?」
「アタシなんかに関わろうとして、勉強まで見てくれて。おかげで今回も五十位以内入れそうな気がするよ」
「せっかく教えてるんだから、五十位以内なんてケチなこと言わないで十位以内を目指しなさいよ」
「いや、さすがにそれは無理だろう」
そしてナナは頬杖をやめて背筋を伸ばすとまっすぐに私の目を見た。
「ホント、ありがとな」
そう言うとすぐに「勉強、勉強」とわざとらしくつぶやきながら教科書に目を落とす。ナナの耳が赤くなっているのが見えた。
ナナが教科書に視線を落としたおかげで、私の顔が赤く染まってしまったのは見られずに済んだ。
本当にナナのこういうところが大嫌いだ。
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