3:高校二年<16歳> クラス替え
高校一年の一年間を平穏無事に過ごしきることができて私は無事に二年生になった。
二年ではクラス替えがあるのだが、私はこれが少し苦手だ。
例えば新入学のときならば、ほぼゼロから人間関係を形成していくことになる。もちろん同じ学校出身者や塾が一緒などと、すでに出来上がった人間関係を持っている人たちもいるが、それほど多いわけではない。だから真っ新なキャンパスに絵を描くように、自分のイメージ通りに行動するだけでも望む結果が得やすい。
ところがクラス替えとなると、すでに形成されている人間関係や、評判が存在する。そこにどう自分の思い描いた人間関係を形成していくのがベストなのか、自分がどう立ち居振る舞うのが良いのかを考えるのは少し大変だ。
だから新しいクラスの発表は私にとって重大イベントのひとつになっている。クラスメートの名前を確認しながら今後の行動方針を決めていくのだ。
名前を見ながら、まずは同じクラスだった人と違うクラスだった人に分類する。そして違うクラスの人は、ある程度交流があった人、名前くらいは知っている人、まったく知らない人の三つに分類していく。分類した上で私が持っている情報と照らし合わせて、どう行動するのがベストかを計算するのだ。
どれだけ計算しても予定通りにいかないことはある。それでも心づもりがあるのとないのとでは結果に大きな違いが出ると、私は思っている。
今年のクラス発表で私はおおいに頭を悩ませていた。それはクラスメートの名前の中に『塩原ナナ』という文字を見付けてしまったからだ。
『違うクラスで、ある程度交流があった人』にカテゴライズされる。ただしナナ自体が特殊な立ち位置にいる。私はクラスメートとして、ナナとどう接するのが正解なのか分からなかった。
おそらくナナはクラスメートから煙たがられる浮いた存在になるだろう。だったら私もそれに習って波風を立てないようにした方がいいような気がする。
僅かばかりの交流で私はナナが見た目とは違う本質を持っていることを知っていた。ナナに対して苛立ったりムカついたりすることもあるが、それだけではないことも知っている。
だからといって私自身が築いてきたイメージや立ち位置を貶めるかもしれないリスクを冒すつもりはない。
ナナとは違うクラスでたまに顔を見掛けたときに声を掛ける、そのくらいの距離感がちょうどよかった。
ナナと積極的に関わることは避けよう、そう基本方針を決めたものの、ナナがどんな予測不能の行動をとるのか不安だった。それなのに少しだけワクワクしている私もいた。
二年生の初日には緊張しながら教室のドアをくぐった。おそらくこんなに緊張してクラスに入ったのははじめてなのではないだろうか。だが私の緊張は空振りに終わった。
ナナが登校して来なかったのだ。その日以降もナナは学校に現れず、ようやくナナの姿を見たのは二年になって四日目のことだった。
校門をくぐったところでナナが校舎を見上げてボーっと立っていた。遅刻もせずに来ているのは珍しい。ナナを無視して通り過ぎてしまおうと思ったのだが、立ち尽くしている理由が気になる。だからついつい基本方針を無視して声を掛けてしまった。
「こんなところでボーっと何してるの?」
「あ、セイラか」
「まさか、ここまで来てやっぱり帰ろうなんて思ってるんじゃないでしょうね」
「いや、今日は出ようと思ってたんだけど、自分のクラスがわかんなくて」
予想外の返事に私は思わず吹き出してしまう。
「ナナは私と同じクラスよ」
そう言ってハッとした。これまで私はナナのことを「塩原さん」と呼んでいた。それが急に「ナナ」と呼び捨てにしてしまうなんて変に思われないだろうか。
そう思ってナナの顔を見たがまったく気にする様子はない。そればかりか呼び方が変わったことにすら気付いていないようだ。そののんきな顔が腹立たしい。
私は同じクラスになったと知ったときからどう接すればいいのかずっと悩んでいたというのに。
「ちょうどよかった。案内してくれ」
「なんでそんなに偉そうなのよ、まったく」
私はため息をつく真似をしてナナの前を歩いた。
「おー、助かる、助かる」
「クラス委員だから、仕方なくよ」
「さすが、優等生」
ナナの声に若干イラっとする。私は二年のクラスでもクラス委員になった。高校生になって三期目だ。生徒会も打診されていたがそれは断った。生徒会となれば交流範囲が他学年まで広がる。広いコミュニティの中では自分の立ち位置をキープするのが面倒になる。狭いコミュニティがちょうどいいのだ。そして推薦されてクラス委員になるのが最も理想的だ。今回も元クラスメートから推薦されてクラス委員になった。二年生は上々の滑り出しといっていい。それに、ナナというイレギュラーがどう影響するのかが不確定過ぎる。
教室のドアを開けると何人かが「森内さんおはよう」と声を掛けてくれた。それに笑顔であいさつを返したが、すぐにクラスメートの様子がおかしいことに気付いた。
クラスメートの視線は私の後ろに立つナナに注がれている。私はギクッとした。ナナと二人で話しているときは忘れてしまうが、ナナは周囲からこんな視線を受ける存在なのだ。その視線の意味はきっと人によって違うのだろうが、ひとつ言えるのはとても不愉快な視線だということだ。
不愉快な視線だからこそ、私はナナと関わるべきではないと痛感させられた。そして胸の奥がモヤモヤして、どうすればいいのかわからなくなってしまった。
だが視線の中心にいるナナはまったく気にする様子もなく、教室の中にズカズカと入っていく。そして私を追いぬかしざまに「ありがとな」と小声で言った。
「クラス委員だから、仕方なくよ」
思わずそんな言葉が口を付いた。そしてこれはいい手ではないかと考えた。クラス委員という立場だから不登校気味のクラスメートの世話を焼くというスタイルなら、私が築いてきたものが根底から覆されることもないように感じる。
そう考えているとナナが急に立ち止まって振り向いた。
「アタシの席は?」
ため息交じりにナナに席を教えて私も自分の席に着く。すると先ほどまで遠巻きで見ていたクラスメートの何人かが私の周りに集まった。
「森内さん、あの人と仲いいの?」
「仲がいいというわけではないけど……」
何度か話しているが仲がいいかと問われれば、そうでもないような気がする。
「だよね、あんまり近づかない方がいいよ」
クラスメートは親切心で言ってくれているのかもしれないが、私はその言葉にカチンときた。ナナの態度を見れば当然の感想なのかもしれない。私自身もそう考えている節がある。それなのにどうして他人にそう言われると苛立ってしまうのか、自分でもその理由がよくわからなかった。
「なんか、悪い噂がいっぱいあるよ」
「私も聞いた、なんか恐い人と付き合いがあるとか」
「成績がいいのもカンニングって言われてるし」
「あ、私、裏で先生を脅してるって聞いたよ」
彼女たちは私が聞いてもいない噂話を次々と耳打ちしてくる。作り笑いで聞き流すのも限界に達したとき、先生が教室に現われて話は打ち切られた。
私はナナのことをそれほど知っているわけではない。だがクラスメートたちの噂は根も葉もないことだろうと予測できた。ナナ自身はこんな噂をされていることに気付いているのだろうか。
それらの噂をするクラスメートに腹が立った。けれど同時にそんな噂のあるナナにはこれ以上近付かない方がいいとも考えていた。
そんな自分が無性に嫌だった。
クラスメートたちのナナに対する反応は様々だった。
ある者は、ナナを恐れて遠巻きで見ている。
またある者は、異端者であるナナを軽蔑するような視線を送る。
そしてまたある者は、根も葉もない噂を吹聴してナナを貶めようとする。
ただナナに積極的に語り掛けて仲を深めようとする者だけはいなかった。
そして私はずっとどうすればいいのか迷い続けていた。
ナナが同じクラスになったと知ったとき、私はどうすればいいのか困るのと同時に少しだけ心が弾んでいた。同じクラスになれば友だちとはいかなくても、今までよりも多くナナと話せるのではないかと思ったからだ。ナナは私を苛立たせる。だけど少し経つとまた近づきたいと思ってしまう。それはまるで中毒症状のようだった。
ナナと同じクラスになったことで、私は善良だと思っていたクラスメートの態度に幻滅した。だが、私も同じ穴のムジナだ。
ナナが噂のような人物ではないと知っているのに、話しかけることを躊躇してしまう。話し掛けるときには「クラス委員だから仕方なく」という鎧をまとう。
私は私自身が思っているよりもずっと最低の人間だった。ナナに対するクラスメートの態度を見るたび、自分の愚かさを見せつけられるようで腹が立った。
そんな中でもナナはマイペースだ。クラスメートの反応も私のことも全く気にしていない。そんなナナの態度が私を一層苛立たせた。
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