プレイン・ディスプレイ

古月むじな

ともに仕事をした縁で、私は乾氏の邸宅に招かれた。

 いぬい氏の邸宅は“標本屋敷”と呼ばれている。

 演出家、映像作家として知られている彼は、収集家コレクターの一面も持っているのだ。

 “生き物だったモノ”が好きなんだそうだ。

「本当は“生きたまま”とっておきたいんだけどねえ」

 彼は言う。

「生き物ってのは停止したら死んじゃうんだな。保存するには、どうしたって“固定”しなきゃいけないから――死んでるものしかとっておけないんだ」

 そんなふうに語る彼の自室には、何百もあろうかという“標本”が所狭しと並んでいる。

 壁には極彩色の蝶や甲虫がコルクボードに留められ吊り下げられている。戸棚にはハーバリウムというのか、瓶に油漬けされた草花が等間隔にしまわれ飾られている。ただ美しい、装飾品であったそれらが、乾氏の言葉で屍体の群れに変わった。

 ここはさしずめ安置所モルグか、あるいは納骨堂のようなものなのだ。

「自然がお好きなのですか?」

 立往生したまま私が問うと、彼はソファに座すように手振りしながら「違うなあ」と困ったように首を傾げた。

「いや、好きといえば好きなのかな。自然ってのは生きてるものでしょ。だから、『それだけ』を切り取るのは難しいじゃない。切り取っちゃうと、それはもう死んでるものか、人工物になっちゃうわけ」

「はあ」

「僕はね、多分『切り取る』ことに主眼を置いてるんだな。好きな人から貰ったお菓子をとっときたくて、冷蔵庫に入れっぱなしにして傷ませちゃったことってない? 大切だから、そのまま保存しておきたいんだけど――僕の場合は、保存したものが大切になっちゃうんだな。本末が倒れちゃってる」

「好きだから保存するのではなく、保存したから好きなのだ、と?」

「うん。動いてるものを追いかけるのは疲れるから。止まってるものをじっくり眺めるほうが性に合うんだな。何かを好きになろうとすると、とりあえず停止してもらわなくちゃならない」

 わかるかい、と訊いてくる。私は困って、曖昧に首を振った。

「説明すると難しいよねえ。まあいいや、何か飲むかい?」

「いえ、今は結構」

 しかし――ものすごい数のコレクションだ。

「向こうの部屋には剥製なんかもあるんだよ。昔はもっと沢山あったんだけど、『陰気臭い』って甥っ子くんに捨てられちゃってね。いやあびっくりした。『あれ全部で五百万はしたんだよ』って言ったら、彼もびっくりして倒れそうな顔してた」

 見せてあげたいくらいだったよ。とっておけばよかったなあ、と彼は言う。

「甥っ子さんがいらっしゃるんですか?」

「こないだ愛想つかされて家出されちゃったけどね。僕のお姉さんの子なんだけど、ほら、お姉さんに色々あってさ、僕が面倒見てたんだ。今年でハタチだったかな」

 意外というか、想像がつかない。乾氏はいかにも趣味人、好事家マニアといった人柄で、彼が家庭人としてどのように振る舞っているのか、彼の屋敷に招かれもてなされている今でもまったく思い浮かばなかった。

「家出とは、また」

性格うまが合わないんだな。もう十年は一緒に暮らしてるんだけど。僕はほら、あんまり空気とか読めないたちなんだけど、彼は繊細なんだね。神経質なのかな。変なところばっかりお姉さんに似ちゃうんだから」

 似ちゃうといえばね――彼は珍しく怒ったような口ぶりで言った。

「僕のお姉さんのこと知ってる? もう二十年前か、きみもまだ小っちゃかったかな」

「お噂はかねがね」

 乾氏の姉――乾積花はその昔、『期待の若手女優』として一世を風靡した女性だったらしい。だった、というのはつまり……彼女はとあるスキャンダルが理由で芸能界を引退してしまい、消息が途絶えてしまっているのだ。口にするのも憚られるような風聞ばかりよく聞いた。

「彼も『役者になる』とか云ってるんだよ。困っちゃうよね。彼、顔はお姉さんに全然似てなくて、言ったらブスの方だよ。僕なんかほら、こんなでしょ」

 彼は自分の重たそうな一重まぶたを指差した。

「彼もこういう目つきでさ、しかもトゲトゲしてて愛想がないから。今時役者って言ったらみんな美形でしょう。顔が良くないとめったなことじゃ成功できないよ。よしんば成功したって、何が起こるかわかんないのにさ」

 お姉さんみたいに――乾氏は組んだ手を揉み合わせた。

「彼ねえ。きっとうまくいかないと思うんだよ。才能があるとかないとかじゃなくってさ、性格っていうのかな、心っていうのかな――多分そういうところはお姉さん似なんだ。変な風につまずいて、転んで、立ち直れなくなっちゃうんじゃないかなって。そうなったら、厭じゃない」

「厭ですか」

「厭だよ。お姉さんの忘れ形見だもの。お姉さんがそうならなかったぶんだけ、彼には、そうだね、“幸せ”ってふうになってほしいんだけどさ。幸せにはなれなくても、せめて不幸にはなってほしくないんだよ。でもなあ、このままじゃきっと、彼もなあ――」

 彼は、甥っ子とよく似ているらしいまぶたを半分下ろしながら呟いた。

「とっておきたいなあ。このまま」

「…………」

 私は言葉に窮し、彼が淹れてくれた紅茶をすすった。そうして今一度、部屋中の彼のコレクションに目を向けてみた。

 停止し、固定されて並べられた標本たちは確かに美しいのだ。彼の世界はきっと、すべてのものが留まっている、時間と奥行きのない大きな一枚絵なのだろう。

 その愛し方が他の誰にも受け入れてもらえないだろうことに、私はひどく悲しくなった。

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プレイン・ディスプレイ 古月むじな @riku_ten

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