第2話 その七 3


 わあッと叫んで、僕は木のかげからとびだした。

 とにかく、カケルくんを止めないと!

 もう、猛のバカぁー。何してるんだよぉー。


 ツヤコさんも逃げればいいのに、自分の上にふりかざされたナイフを見つめている。自分の身に何が起こってるのか理解してないようだ。


 ぼうっとした感じでつぶやく。

「……カケルくん?」


 カケルくんに迷いはなかった。無言のまま、ナイフをふりおろす。


 ふつうさ、「死ねッ! アスカのかたきだ!」とか、「おれが本気で、おまえなんか愛してるとでも思ってたのか? そんなわけないだろ?」とか、決めゼリフを言うもんじゃないの?


 なんで、こんなに冷静沈着なんだ。高校生とは思えない。


「わあッー! ダメだよ! カケルくん!」


 僕がまにあわないことは、もうわかっていた。

 ただ、叫ばずにはいられなかった。


 すると、そのときだ。

 トイレのかげから、とびだした人影が、サッとカケルくんをねじふせる。


 もちろん、猛だ。

 ヤッター! 兄ちゃん。カッコイイー! ナイスイケメン! タフガイー! チョメチョメー!


 カケルくんはまだ、あばれている。

「離せよ! ジャマするな! おれはそいつを……そいつを殺してやるんだ!」


 馬乗りになって、猛が言い返す。

「そんなことしたって、おまえが人殺しになるだけだ。アスカは帰ってこないし、この女の性根は直らないよ」


 うーん……直んないのかな? 直んないのかもな。

 人間って、そうかんたんに変わることはできない。


「おれはどうなったっていいんだ! アスカがいなくちゃ、生きてる意味がないッ!」


 その人がいなければ、生きている意味がない……。

 そんなに強い思いを断念させるのは忍びない。

 でも、それでも——


「君は生きていかなくちゃいけないんだー!」


 僕は叫んで、カケルくんの頬に平手打ちを……平手打ちを食らわせたかったんだけど、猛に馬乗りで押さえられてるんで、猛がジャマで叩きにくいったらない。

 僕は二人のまわりで、あわあわしたあげく、平手打ちはあきらめた。


 僕は聞いてしまった。

 猛がクスクス笑うのを!

 どうせ、どうせ、僕はハムスター気質の失笑をそそる弟ですよぉー。


 そのとき、トイレと木のあいだから、女の子が二人とびだしてきた。とうぜんだが、シズクちゃんと、サエちゃんだ。


 ギャアーッと悲鳴があがるから何事かと思えば、ツヤコさんがブランコからずりおちて、目玉をひんむいてる。


「あ……アスカッ!」

「あんたなんか死んじゃえ!」

「ヒイイイイーッ!」


 うわぁ……この人、今、ヒイイって言ったよ。初めて聞いたなぁ。ヒイイ、だって。人間って恐怖にすくむと、ほんとに「ヒイイ」って言うんだ。


 シズクちゃんは地面にころがるナイフをひろいあげた。


 む? なんで、ナイフ?

 あっ、そうか。カケルくんが持ってたやつか。


「おまえのせいだ! おまえのせいで、うちはメチャクチャに! おまえなんか死ねばいいんだ!」


 シズクちゃんはナイフをかざして、ツヤコさんに突進していく。


 わたわたしながら、僕も追う。

 止めないと。

 猛はカケルくん押さえて動けないから、僕が止めないと。


 さすがに運動不足の僕でも、中学生の女の子にぬかされるほど、トロくはない。距離も近かった。ブランコの手前で追いついた。


 サエちゃんもやってきて、二人がかりで、シズクちゃんを押さえる。


「ダメだよ。シズク。もうやめて! シズクにこんなんしてほしくないよ!」

「そうだよ。この人のために君の人生を棒にふるなんて、もったいないよ」


 この機会に逃げだそうと、またカケルくんがあばれだす。猛はカケルくんと争いながら一喝した。


「その女は警察に捕まる! おまえらが手を出す必要はないんだ!」


 シズクちゃんはハッとして、猛をふりかえった。


「な、なんで?」

「君のお父さんを殺したからさ。まだ証拠はない。だけど、おれが必ず見つけてやる! だから、おれを信じろ!」


 こういうときの猛のセリフはねぇ。

 ほんと、胸を打つよね。

 この人に任しとけば、まちがいない——そう思わせる。


 シズクちゃんは感極まって泣きだした。

 それはまあ、お父さんの死は事故じゃなかったとか、殺したのは継母だとか、一度にアレコレ事実を知ったからね。


 自分の罪をつきつけられたツヤコさんは、急に我に返った。さっきまで腰ぬかしてたくせに、チッと舌打ちついて逃げだそうとする。


 そのときだ。どこからか、またもやバタバタと、にぎやかな足音が。


 今度は何?


 見れば、蘭さんとハルカさんだ。公園のまん前までタクシーを乗りつけてきてる。


「まにあった? まだ行ける?」


 いや、蘭さん。もう遅いかも……。

 そもそも“行ける”って、どこへ?


 そんなことより、ツヤコさんが逃げてしまう——と思ってると、ハルカさんが息をきらしながら叫んだ。


「聞いてください! アスカさんはまだ、この世にいます! 人なんです。場所じゃなくて、人に憑いてたんです。だから、昨日の夢では感じられなかった——」


 人? 場所じゃなくて、人に……それって、つまり、この公園じゃなくて、人間に憑いてたってこと?


 とつぜん、サエちゃとシズクちゃんが「あッ」と言って、すくんだ。


 僕はもう展開の速さについていけない。

 はいはい。今度はなんですかぁ?

 ちょっと怠惰に、二人の視線を追う。すると……。


「わッ」


 僕も言葉を失った。

 蘭さん、ハルカさんもギョッとし、もみあっていた猛とカケルくんは動きを止める。


 僕らのほうを見ながら、奥の出入口に向かって、あとずさりするツヤコさん。

 その背後に、ぼうっと光る人の頭が、地面から生えて……。


「な……何よ? なんなんよ? あんたら、うちをおどかそうとしたって、ムダやからね! やっぱり、アスカやなかったんや! アスカは死んだんや。ザマミロ! クソガキ。悔しかったら化けて来ぃや!」


 背後の影は、まるでニヤリと笑ったみたいだった。

 地面から手が生えてくる。その手が、ツヤコさんの足をつかんだ。


「ヒッ……?」


 次の瞬間、ツヤコさんの体は、ズルズルと地面のなかにひきずりこまれた。


 僕らが我に返ったときには、彼女の姿はどこにもなかった。

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