第1話 その一 4

 *



 うーん……寝不足。

 なんか、寝苦しかったなぁ。


 変な音っていうか、気配っていうか……気のせいかな。


 僕が起きたときには、猛はすでに部屋にいなかった。

 壁にハンガーでかけといた兄のコートは、そこにある。ふむ。外には出てないようだ。


「おーい、猛?」


 寝ぼけながら呼ぶと、ガラリと、となりの部屋とのあいだのフスマがひらいた。


「おはよう」

 すがすがしい顔で、猛が出てくる。


「勝手に家探しするなよぉ。家の人に見つかったら叱られるぞ」

「依頼人のようすを見てきたんだよ」


 そうか。それなら、しかたない。

 友貴人さんの部屋は、フスマで仕切られた、となりのとなりだ。それにしても廊下から行き来すればいいんじゃないのか?


「友貴人さん、どうだった?」

「まだ起きてこないな。ただ寝てるようにしか見えないが、体温もやや低い。ぴくりとも動かないし、まるで……」


 と言ったきり、猛は口をつぐむ。


「依頼、どうする?」

「どうしようもないだろ。依頼人があの調子じゃ。帰ろう」

「そうだね」


 まあ、いっか。出張費、今日のぶんは負けるとして、昨日一日ぶん、二人で二万。交通費も経費で出してもらって……。


 そこまで考えて、僕は気がついた。


「ダメだよ! 猛。今、帰ったら、誰に出張費用、出してもらうんだ? お母さんに言ったって、絶対、信用してくれないよね?」


「だろうな」

「だろうなって、ここまでの交通費、どうすんの? 特急券も使っちゃったのに!」


「しょうがないだろ? このまま、依頼人が目をさますまで待ってるわけにもいかないし」


 う、うーん……たしかに、それはそれで不自然すぎる。

 不自然すぎると言えば、僕は思いだした。


「そういえば、昨日のお母さんの態度、ちょっと、おかしかったよね。あのお母さん、スケッチブックの女の子のこと、知ってる気がするんだよね」


 僕は昨日の夜、スケッチブックを見てビックリしていた、お母さんのことを話した。


 ちなみに、友貴人さんのお母さんの名前は、陣内菜代じんないなよ。これはあとになってから知ったんだけど、便宜上、今の段階で明かしておく。


 猛はいつもの、にぎりこぶしで考える。


 そこへ、母屋のほうから足音が近づいてきた。

 ウワサの菜代さんだ。


「おはようございます。起きとられますか?」

「ええ。どうぞ」


 フスマがあいた。


「朝ごはん、できましたさかい、持ってきましょうか?」

「ありがとうございます。ところで——」


 なんと、猛はいきなり例のスケッチブックを菜代さんの目の前につきだした。

「この絵のモデルになった女の子を知りませんか?」


 菜代さんは、あからさまに青くなった。唇がふるえている。が、その口を一度、ひきむすぶと、意外に強い口調で言いはなった。


「知りまへんなあ。見たこともありまへん」


 猛は一瞬、菜代さんを見つめた。が、


「そうですか。じゃあ、朝飯いただいたら、おれたち、帰りますので。近くの観光地に寄っていこうと思います。もしも、夕方までに友貴人くんの目が覚めたら、電話連絡してもらえませんか? 昨日は大切な話ができなかったので」


 えっ? 帰っちゃうの?

 なんで、そんな、あっけなく、ひきさがるんだよ。

 出張費! 出張費!


 猛は菜代さんに電話番号を渡した。

 僕らは、にぎりめしと味噌汁の朝飯を食べて、お屋敷をあとにする。


「なんでだよー。猛。ここまでの交通費だって、バカにならないんだぞ」


 僕の文句もなんのその。

 猛は黙ってスタスタ歩きだす。

 どこ行くんだ? バス停と反対なんだけど?


「猛。バス停はあっちだよ? ほら、地図。地図」


 兄は無言だ。

 お屋敷の長い塀がとぎれると、いきなり、となりの家の庭に入っていく。


 えっ? ちょっと? 兄よ。あんまり奇行に走るな。

 それでなくても、ちょっと残念な超イケメンと思われてるのに。


「おはようございます。どなたか、いらっしゃいませんか?」


 家のなかに呼びかけるが、誰も出てこない。

「畑かもしれないな」


 かもね。農家の人は朝が早い。


 裏にまわると、畑があった。人影もあった。

 やっぱり、ここか。


 お年寄りの夫婦のようだ。

 猛は日ごろ、なかなか他人には見せない愛想笑いを浮かべて、きさくに話しかけた。


 バス停はどっちですか、とか。JRの駅にはどうやって行ったらいいですか、とか。

 すでに知ってることばっかりだ。

 今日は陽気がいいですね、とか、どうでもいい話をしたあと、猛はカバンのなかから、スケッチブックをとりだした。


 あっ! なんと、こいつ。持ってきてたのか! それって窃盗じゃないのか?


「この人を探してるんです。友達の妹なんですが。このあたりで見かけたことはありませんか?」


 むっ。なんと、まさか、村じゅうで、これをやる気か?

 猛はその気だった。


「いやぁ、見たことないね。すんまへんな」

「いえ。いろいろと、ありがとうございました」


 一軒めは成果なし。


「兄ちゃん! こんなんしてたってキリないよ? 僕、村じゅう歩きまわるなんて、ヤダからね!」

「じゃあ、薫はバス停で待ってろよ」


 それも、ヤダよ。この寒風ふきすさぶなかで、話し相手もなく、一人で時間をもてあましてるなんて……。


「兄ちゃんの力、使っちゃえば?」

「金にならないことには使わない」


 うーん。意外に頑固だな。

 兄にはとても便利な特殊技能があるっていうのに。


 どうせ、一日中、探してもムダだろうなと思ってたのに、どうしたことか、数軒めで手ごたえがあった。


「あれ? この子。あの子に似てるねえ」

 冬野菜の手入れ中のおじさんが言った。


「あの子って誰ですか?」と、猛。

「夏ごろやったかねえ。越田こしだのおっちゃんがつれてきた友達みたいやな」


 ウソだろ? マジ? 怖いほど、すんなり手がかりが見つかった。

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