第十話 決着

「まずいぞ、これは!」


 ギャラナの詠唱を聴き、クワァラドが驚きの声をあげた。


「どうしたの?」

「これは古より伝わる奥義魔道の一つだ。彼奴め、この秘伝書を奪ったのか」


 ヤーフムへ答える間にも、上空には雷雲が次から次へと湧き上がる。

 みるみるうちに黒い雲で闘技場が覆われた。

 辺りは薄暗くなり、見上げた雲間からは稲光が散見している。


「ブリディフっ、覚悟しろ!」


 気合いもろともギャラナが右手を振り下ろすと、無数の稲妻が一斉に走り、魔道杖の指す方へと収束していく。

 それは雷で造られた一本の大剣のようだった。

 ブリディフは痛手を負った右肩を押さえながら闇の魔道を収め、この攻撃を防ぐことに集中した。


「母なる大地の守護者よ、汝の力にて我を護れ!

 ロックゲート!」


 地面から大きな岩が次々に生まれ出て、一段、二段と積み上がっていく。

 岩の壁により、観客席からはブリディフの姿が見えなくなった。


「あの魔道は防御専用なのだよ」

 クワァラドがカリナたちに教える。

「動くことが出来ない分、防御力はおそらく最も高い魔道だ」

「ブリディフ様、大丈夫かしら……」

 カリナがそっと呟いた。


 そして、闘技場では今まさに厚い岩壁へ雷の大剣が激突しようとしていた。

 その刹那、轟音が響き渡る。

 岩壁は大剣を受け止めた。


「うぅぅおりゃぁっ!」

 魔道杖を握り直し、ギャラナが咆哮した。


「くぅうっ!」

 歯を食いしばって、ブリディフも魔力を送り込む。


 雷と岩がせめぎ合い、火花を散らす。


「たぁっ!」

 ギャラナがさらに魔力を送り込むと雷の光が増し、大剣が少しずつ岩を押し込んでいく。

 岩壁に小さな亀裂が入る。

 それが徐々に広がり、ついに――。


 音を立てて岩壁が崩れ去った。


「うわぁっ」

 その衝撃でブリディフは後ろへ吹き飛び、背中から壁に打ち付けられる。

「うごぉ」

 反動で地面に突っ伏した。


 観客席からは悲鳴が上がる。

「もう止めろ、ブリディフ!」

 クワァラドも叫んだ。

 声も出せずにいるヤーフムの手を握り、カリナは涙を流していた。

「もういい!」

「止めさせろ!」

 昨日の試合を知っている者たちは口々に声をあげた。


 しかし、ブリディフは片膝をつき、ゆっくりと立ち上がった。


「まだだ。……私が、あの男を止めねば……」


 大技を放った後のギャラナも肩で息をしている。

 薄暗がりの中、白い僧衣が動き出した。

 右手に持った花梨かりんの魔道杖を胸に抱き、詠唱を始める。


「古に伝わりし知の連なり達よ、我が声に応え遠き彼方より集う。

 その翼を以って愚者に滅びを与えよ!

 ツインアウル!」


「あとは、頼んだ、ぞ……」

 そう呟くと、ブリディフはがっくりと崩れ落ちた。


「これは……」

 カリナが顔を上げる。

「あぁ、しかも二羽だ。だが、あれを繰り出したら防御も出来ない」

 クワァラドはもはや座っていられず、観客席から闘技場へ向かって駆け出した。


 呼吸を戻しつつあったギャラナへ、アウルから最初の一撃が飛ぶ。


「うがぁっ!」


 左の背中に抉られたような傷が出来た。

 咄嗟に振り返るが、何が起きているのか分からない。


「貴様ぁ……何をしたっ!」


 憤怒を露わにして薄闇の向こうにいるブリディフを睨みつける。

 何かの気配を察し、上空に目をやったところを左腕への攻撃を受けた。


「うぐっ」

 そちらへ注意が向いた隙を突かれ、今度は右目の辺りに熱い痛みを感じた。


「おのれ、おのれ、おのれーっ!」


 すっかり逆上し、魔道杖で闇雲に宙を薙ぎ払う。

 右目を抑えた左手の下からは血が滴り落ちた。

 厄介な敵を振り払おうと新たな魔道の詠唱に入ったその時、左右の腿を同時に抉られた。


「うぎゃーっ」


 痛みに思わず両膝をつくギャラナ。

 その脇で闇が集まり始めた。

 上空を覆う黒い雷雲のために、離れた観客席からは様子がうかがえない。


 ほどなく影が現れた。

 ギャラナと影を取り込むように闇の球が広がる。


「私にとって、あなた様は特別なお方」

 影が触れるとギャラナは眠るように横たわった。

「まだ、あなた様には働いてもらわねばなりませぬ。暗黒神・蠍王あのお方ディレナーク様が復活を遂げるまでは。そして……」


 何か呟くと闇の球は小さくなってゆく。

 球が消えた後には何も残されていなかった。


 黒雲が晴れると、闘技場には膝をつくブリディフだけが現れた。

 ギャラナが消えてしまい、何事が起きたのかを分からずにどよめく観客席。

 そこへ審判の声が響いた。


「勝者、ブリディフ!」


 とたんに割れんばかりの歓声が闘技場を包む。

 カリナはヤーフムの手を握り涙を流し、ヤーフムはあらん限りの声を張り上げていた。


 すぐにブリディフの元へクワァラドが駆け寄る。

「お師匠、あの男は……」

「わからん。そなたを救おうとここへ駆けつけた時には跡形もなく消えていた」

「そうですか……」

 そう言うと、クワァラドに抱きかかえられながら気を失ってしまった。


      *


 ブリディフが目を覚ますと白い天井が目に入った。


「おぉ、気がつかれたか」


 隣からヴァリダンの声が聞こえた。

 声の方へ顔を回すと、カリナだけでなく、ヤーフム、クワァラドの顔も見える。


「ここは……医務室ですか」

「傷は軽かったのだが、よほど体力を消耗したとみえる」

「ブリディフ様は、丸一日も眠っていらっしゃったのですよ」

 クワァラドの言葉を継いで、カリナが笑いながら言った。

 それを聞き、再び天井に目を向ける。


「おぉ、ならば決勝戦はどうなりましたか?」

 上を向いたまま、ブリディフが尋ねた。


「おじさんの負けに決まってるじゃない」

 なぜか、うれしそうにヤーフムが話し出す。


「闘技に出てこれないんだもの。優勝はカタリィ・ノヴェルっていう魔導士だよ。何か不思議な力があるんだって」

「ほぉ、どんな力だ?」

 クワァラドが口を挟む。

「たしか『詠目ヨメ』と言って、相手の詠唱を先読みする能力だって」

「なるほど。相手が出そうとする魔道があらかじめ分かれば、対応も容易たやすくなるな」

「でも、魔力が弱ければ、いくら先に分かったって負けちゃうよね」

「ははっ、ヤーフムの言う通りだ」

「お二人とも、ブリディフ様はもう聞いていませんよ」

 そっと囁いたカリナの視線の先では、ブリディフが寝息を立てていた。



 陽が沈むころに再び目を覚ましたブリディフは、カリナ父娘と再会の約束を交わしてヤーフムたちと共に闘技場を後にした。


「そなたはもう少し体を休めていってはどうだ」

「そうだよ。まだ行かなくてもいいじゃない」


 師匠とヤーフムから言葉を掛けられても、首を横に振った。


「この闘技会では己の未熟さを知りました。まだまだ鍛錬を重ねなくては」

「でも、もう少し休んでからでもいいでしょ」

 なおも食い下がるヤーフムへ優しく言いきかす。


「あの男がまたいつ現れるのか、分からないであろう?」


 そう言われてしまっては言葉を返せない。

 うつむく彼の頭へ手を置く。


「次に会う時まで、感覚パサイラを意識して毎日を過ごすのだ。ヤーフムは私の一番弟子なのだからな」

 途端に彼の顔が輝いた。

「まずは弟子として荷造りを手伝ってもらおう」

「はい、お師匠さま!」

 三人は笑いながら、ヤーフムの家へと向かう。


 ブリディフのモスタデ王都ィアでの六日間が終わろうとしていた。






      ― 第二章 完 ―

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