第80話「僕たちの行方」

「テツは、どうするの?」

 久しぶりに逢った風音はそんな言葉を残し、大阪へと戻った。

 俺は変わらない風音の強い気性に安心しながら、自宅へと帰宅する。

 自室に戻り、ベッドに身体を投げて目を瞑ると、さっきまで一緒にいた風音の事が思い返された。名前の通り風のように現れ、風のように去っていった風音。ふわりと柔らかく俺を包んでくれた風音の事。そして、風音に言われて離れない言葉の事を。

 夕凪の中、久しぶりに再会した風音はさとみに会いに来たのだと語った。

 葬式から一週間以上も経ってしまった事を風音は俺に詫びたが、ここからかなり遠い大阪に住んでいるというのに、わざわざ来てくれた事自体が俺には嬉しかった。さとみを憶えてくれている人が多い事だけが、さとみが亡くなった後に感じている俺にとっての唯一の救いだった。

 しかし、さとみと風音が仲が良かったのか、俺はよく知らなかった。

 それを風音に訊ねると、軽く頭を小突かれた。

 その時の風音の瞳は、当然でしょ、と語っていた。

「テツは知らなかったかもしれないけどね。さとみとあたしは結構仲が良かったんだよ」

「全然、気付かなかったよ」

「鈍感ねえ、クラスの中でもあたし達はかなりの仲良しコンビだったのよ?」

 知らなかった。

 知らなかった自分に少し腹が立った。

 さとみの事を分かっているつもりで、俺はさとみの何を分かっていたというのだろう。

 風音は俺の苛立ちを気にせず、飄々とした態度で続けた。

「引っ越した後も連絡は取り合ってたし、引っ越す前も二人で喫茶店巡りとかもしてたのよ。あの子は少し変わった子だったけど、あたしにはそれが面白かったし、あの子もそんなあたしを気に入ってくれたみたいだった」

「意外なコンビってやつだな」

「そうね。でも、知ってる?」

「何を?」

「さとみはあたしにあんたの事をよく聞いてきた。それこそ何でもね。最初の頃はあんたに惚れてたりするのかなって思ってもみたけど、そうでもなかったみたい。あの子はあんたの事を好きというより、ただあんたの事が知りたかったみたいよ? ま、動機はよく分かんないけどね」

「俺の事を……?」

 少し信じられなかった。風音の発言を疑ってしまうほどに。

 しかし、風音は色々と嘘吐きだが、こんな事にまで嘘は吐くまい。

 つまり、さとみは本当に俺の事を知りたかったのだろうと思う。

 だが、それは何故なんだろうか?

 こんな俺の事を知って、さとみはどうするつもりだったのだろうか……?

 取り敢えず、こんな俺でもその動機の一応の推測はできた。

 さとみは俺の事を知って恐らくは……。

 けれど、推測は推測でしかないし、さとみが亡くなってしまった以上、永久にその動機は分からずじまいだろう。それは生前に聞きたかった事を聞けなかった、若しくは聞きたい事に気付けなかった俺の責任だ。

 確か、そう、さとみに殴られたあの日、あいつはこう言っていなかっただろうか。

「簡単ですよ。話したい事があって、話したい人がすぐ傍に居るんですから」

 さとみの言う通りだったのかもしれない。

 簡単な事ができず、気付けず、話したい事にすら思いを寄せなかった責任なのだ。

 そして、さとみはこうも言っていたはずだ。

「人間、いつ死ぬか分からないんですから」

 その通りだ。人間の生命は所詮、儚く脆いものに過ぎない。

 いつ散ってしまうか分からない輝き。すぐにでも散ってしまう儚いもの。

 それが生命なんだろう。

 人間はいつ死ぬか分からない。

 自分だけでなく、家族や他人もいつ死んでしまうか分からない。

 だから、何かをどうにか出来る時に、何かをどうにかするべきなのだと、さとみは分かっていたのかもしれない。分かっていたからこそ、俺とお姉ちゃんに話をさせてくれたのかもしれなかった。

「ところでテツはこんなところで何してんの?」

 突然に風音が語調を明るいものにして、沈み込む俺に訊ねた。

 俺は、村瀬の家で勉強をした帰りだ、と答えた。

「おまえこそ、こんなところで何やってんだよ? 墓前には行ってきてくれたんだろ?」

「あたしはぶらぶらしてただけよ。一応はテツにも会っておきたかったし、久しぶりに地元を歩いてみるのもいいかと思ったからね。そうやって何となく歩いてたらこんなところであんたと再会できたってわけ。でも、テツが勉強ねえ……」

「悪かったな。俺だって勉強くらいするさ。それよりも風音はどうなんだよ? 大阪ではちゃんと上手くやってるのか?」

 その質問を待ってましたと言わんばかりに、風音の顔がぱっと明るく輝いた。

「勿論。ちゃんと勉強はしてるし、模試の成績だってかなり上位よん? 大阪で新しい友達もたくさんできた。行きたい大学の下調べも十分過ぎるくらいにやってるしね」

 その風音の顔はとても輝いて見えた。

 夢を語る風音の表情。

 俺は風音のその表情が、幼い頃から大好きだった。自分の道を邁進し、進むべき道を自分で切り拓いていく風音。幼い頃から内気だった俺にとって、前向きな風音に勇気付けられた事は数多かった。だからこそ、お姉ちゃんの事を諦めて誰かの事を好きになろうと思った時、迷わず俺は風音の事を選んでしまったのだろうと思う。

 俺は苦笑して、風音の眩しい姿に小さく呟いた。

「そうか……。風音は元気なんだな……」

「まあね。でも、あんただって一応は勉強してるんでしょ? 進学するの?」

 言われて、少し口ごもった。

 正直、考えてなくもなかったのが、かなり迷ってしまっていたのだ。

 俺には夢がない。いや、ないというより、見つかっていない。

 お姉ちゃんとの事もあり、俺は過去の事ばかりを見てきた。

 過去にこだわり、現在を無視し、未来の事など想像すらしていなかった。

 過去に縛られて何も出できかった自分だった。

 だけど、俺は過去と訣別した。

 お姉ちゃんとの事に縛られていた自分に、やっとの事で別れを告げられたのだ。

 それから俺は未来を見つけ出そうと思った。どうすればいいのか分からないけれど、どうにか手探りで模索していたのだ。さとみと勉強をしていたのもそのためだ。進学するかどうかは分からないけれども、少しでも未来に向けて歩いていきたかったからだ。

 さとみが亡くなるまで、一応俺はさとみと同じ大学、同じ学部を目指していた。

 さとみの影響だと思うが、受験勉強の際、さとみから文学方面を習っていると、かなり文学方面に興味が出てきたのだ。普通科の俺が今更工業科や商業科に手を伸ばせないという理由もあるのだが、それを念頭に置いても文学という学問は俺の興味を非常に惹きつけた。お姉ちゃんとの事があったせいか、俺の思考回路が少し詩的表現を多用し過ぎているという皮肉な現実もあるかもしれないけれども。

 しかし、さとみが亡くなった今、俺は俺の行くべき道を見失ってしまっている。さとみの居ない世界で生きていくことになって、自分の考えをまとめられないのだ。

 弱い自分の甘えだということは分かっている。

 けれど、そういう理由で、俺は俺の進む道を躊躇ってしまっている。

 そして、風音に問われるのだ。

「テツはどうするの?」

 風音の言う通りだった。

 俺は……、どうするのだろう?

 俺は……、どうすればいいのだろう?

 大阪に帰るという風音を見送った後も、俺はその事ばかり考えてしまっている。

 帰宅途中も、帰宅後も、ベッドの上で転がっている今も。

 さとみの居なくなってしまった世界で、俺はどう生きていきたいんだろう……?

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