第13話「Idea」

 ……こまけだらが!

 こまけだらがあああああああっ!

「うわあああああああっ!」

 俺は物凄い動悸に襲われ、布団を蹴り飛ばして跳ね起きた。

 ふう……。どうやら夢だったらしい。

 それにしても酷く恐ろしい夢だった……。

 まさかこまけだら(謎の生命体)が群れを為して俺を襲うとは。

 まあ、夢でよかった。現実だったら恐ろしい事この上ないじゃないか。

 しかし、俺の瞳はそのこまけだらではなく、他の目に慣れない物を捉えていた。

 ピンク色がふんだんに散りばめられた内装。

 明らかに俺の部屋とは異なる甘い雰囲気の部屋。

 俺は知らぬ間に俺の部屋から誰の部屋に瞬間移動してしまったのだろうか。

 ……って、よく考えたらここは真美の部屋か。

 どうやら真美の添い寝をして話を聞いているうちに、眠ってしまっていたらしい。真美が寝付いたら自分の部屋に戻ろうと思っていたのだが、会長の事などで疲労していて思わず眠りに落ちてしまっていたらしかった。

 年頃の義妹と添い寝をして何も起こさなかった自分に苦笑しつつも、俺は緩慢に真美のベッドから脚を下ろした。そして不意に俺は自分の隣に真美がいない事に気付く。ラジオ体操にでも行っているのだろうか。いや、まだそんな季節ではないが。

 瞬間、俺は目を剥いた。

 真美が俺の足下で寝転がっていたのだ。

 見当たらなかったのは、どうやらベッドから転げ落ちていたかららしい。

 まったく……、それにしてもとんでもなく寝相の悪い妹だ。会長もこの真美の姿を見れば百年の恋も冷めてしまうだろう。いや……、あの会長だけに、ひょっとしたらこの真美のだらしのない姿が逆にツボにはまったりするのか?

 まあ、別にどちらでもいいし、答えは特に知りたくもない。

「おいおい。起きろ、真美」

 言いながら俺は真美の肩を揺する。

 だけど、長く揺すっても真美は起きなかった。

 俺に長く話をしていた為か、真美もかなり疲れていたのだろう。

 不意に真美の仔猫柄のパジャマの前がはだけている事に気付いた。俺が隣で眠っていたせいで、多少なりとも暑かったのかもしれない。眠っているうちに無意識にボタンを何個か外してしまったのだろう。はだけた真美のパジャマの下からは、膨らみかけの乳房が少しだけ露わになっている。恥じらいの無い妹だ。

「やれやれ」

 嘆息しながら呟いてから、俺は真美のパジャマのボタンを留めてやった。

 別に妹の乳房を見たいと思うほど、俺は飢えてはいない。

 代わりといっては何だが、俺は何となく乳房の代わりに真美の顔を見つめてみた。

 髪を解いた真美は、普段とは違って非常に大人びた印象を俺に与えた。

 幼くはあるが、さとみにも姉貴にも似た年頃の少女の表情に見える。

 そういえば昨夜の真美も多少はそうであった気がする。『真美』ではなく、『私』と自分を呼び、何かに悩んでいる自分の姿を俺に見せてくれた。まだ片鱗にしか過ぎないとは思うが、あれが真美のもう一つの姿なのだろう。

 退行。幼児化。

 そこまではいかないとは思うのだが、普段の真美は明らかにそういう精神現象に似せて自分を幼く見せようと振舞っているはずだ。恐らく真美は人々に自らを幼く見せる事によって、自分を護っているのだろう。子供のままでいる事で、外界の何かから己の身を護っているのだろう。

 どういう理由でそうしているのかは分からない。

 けれど、俺の想像は恐らく間違ってはいないだろう。

 そう言い切れるのは、過去の俺もそうだったからだ。

 ただ一人、ただ一人の前でだけ、俺は必要以上に自分を弱く見せていた。

 頼るために……。いつまでも二人が二人であるために……。

 だが、失敗した。それは失敗した。

 恐らく真美もいずれかは気付くだろう。己の行動の過ちに。

 それを……、俺はいつか真美に教えてやる事ができるだろうか……?

「どう思う……? なあ、真美……? 俺の……、大切な……妹」

 掠れた声で呟いてみる。

 意味の無い言葉だった。

 だけど、意味を為さねばならない言葉だった。

 真美と俺が家族で在り続けるために……。

 俺がそう思いながら真美の頬を撫でていると、不意に真美の部屋の扉が開いた。

「おはよ、真美。朝だぜ? 起きてる?」

 扉を開いたのは姉貴だった。

 姉貴は俺の姿を認めると、妙な表情になって俺の後ろに回り込んだ。

 何をするつもりなのかと俺は警戒してしまう。

 しかし、姉貴はそこで少しだけ意外な行動を取った。

 俺の背後から自分の腕を回し、俺の右肩に顎を乗せたのだ。

 多少重かったが、それを口にすると殴られそうだったので止めておいた。

「おやおや、てっちゃん。朝からお盛んだね」

 そうかな、と俺は無愛想に応じた。

「真美と添い寝をしてる事は知ってたけどね。でもまさか一晩を本当に一緒に過ごすほどの仲になってるとは思わなかったぜ、てっちゃん」

「単に昨日は色々あって疲れてたからだよ。普段ならそんな事なんてしやしないさ。いつもは真美が寝付いてから、俺が自分の部屋に戻っている事は姉貴も知ってるだろ? 昨日は会長との事があって本当に疲れてたんだ。姉貴が原因の根本でもなんだから、そういう言い方はやめてくれ」

 その俺の言葉は、姉貴が俺のこめかみを拳で軽く殴る事で返された。

 痛くはなかったが、その後の姉貴の反応は予想外にも冷ややかでそれが逆に痛かった。

「あによ。つまんないなあ、てっちゃん。あたしだってそれくらい分かってんだからさ。もうちょっと面白い反応してくれてもいいじゃないのよ。『すまない。俺は本当に真美の事を好きになっちまったんだ!』とか、『義妹に恋してもいいじゃないか!』とか」

 そんな痛々しい反応はしたくない……。

 そう呟いてから俺が小さく溜息を吐くと、姉貴が身を乗り出して俺の顔の前に自分の顔を出した。その姉貴の顔はいつもと変わらない飄々とした笑顔だったが、それでも何処となく何かを寂しがっているような……、何故だかそんな表情にも見えた。勿論、俺の感傷なのかもしれないが、それでもそう思えるのはただ俺の感傷からだけではないはずだ。

 不意に。

 姉貴が意外な言葉を口にした。

「ねえ、てっちゃん? ひょっとして、あたしの事……嫌い?」

「え……? 何だよ、いきなり……」

「真面目に訊いてんのよ。それで……、どうなんよ?」

 またからかわれているのかとも思ったが、姉貴の何処となく寂しげな表情を見せ付けられると、そうでもないのではないかと思わされた。滅多に見せない姉貴の陰のある表情に俺は戸惑わされる。胸がきつく締め付けられるかのようだ。

 俺は……、何と答えるべきなのだろうか。

 俺は目を瞑り、一つずつ言葉を選びながら、小さく言った。

「嫌いじゃないよ……。嫌いなら、昨日だって姉貴の頼みを聞くはずないじゃないか。嫌いなはずない。姉貴こそどうしてそんな事言うんだよ……?」

「だってさ……。てっちゃんって、何をやっても反応が薄いじゃない。何をしても仏頂面で不機嫌そうでさ……。いつも怒ってんじゃないかって思ってんのよ? あたしもさ、てっちゃんのそんな反応ばかり見てると結構不安なんよ?」

 それについて、俺は何を答える事もできなかった。

 確かにそうだと思ったからだ。

 俺はいつも仏頂面で、秋子さんの楽しそうな言葉に対しても、冷たい言葉しか返していなかった。いや、それは秋子さんだけじゃない。さとみさんに対しても、真美ちゃんに対しても、俺は冷静ぶった言葉しか返していなかった。

 いや、違う。

 俺はそういう言葉を返すしかなかったのだ。

 秋子さん達の事が嫌いだからじゃない。

 ただ、どうしたらいいのか分からなくて……、秋子さん達を相手にしてどういう反応をしていいのか分からなくてただ恐くて、俺は何もできなくなってしまって……。ただひたすらに恐かったから……。自分の気持ちを表現してしまう事がどうしようもなく……。

 俺は何度同じ過ちを犯してしまうのだろう。

 何故何度も同じ恐怖に襲われてしまうのだろう。

 俺は瞳を瞑り、拳を握り締めて、それでも秋子さんに何も言えない自分の不甲斐なさを呪う事しかできない。本当に俺は何処までもどうしようもない男だと思う。けれど、それが分かっていながら何一つ行動する事ができなくて……。

 きっと、俺など彼女らの前から姿を消してしまった方が、いいのだろう。

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