百三十一話 言葉の壁って何だろう

 篤紫が商館ダンジョンを駆け抜けて、ホワイトケープから外に飛び出した時には、車の側にはヒスイだけしかいなかった。

 いや逆か。

 どうやらヒスイは珍しく、篤紫から離れていたようだ。

 そう言えば調子が悪くなってからは、いつも離れずに付いてきていたのに、翻訳の魔道具を作っているときには側にいなかったな。


 ヒスイは車の側で、緑兎が瞳から溢した金色の雫に、そっと手を触れていた。


「ヒスイ、何してるんだ……?」

 篤紫が呟くと、ヒスイが立ち上がって篤紫の方を向き、金の雫を指さしながら何回か頷いた。そのあと再び体を金の雫に向けると、しゃがみ込んでその両手を再び金の雫に乗せた。

 大玉スイカほどもある金の雫は、ヒスイが吸収しているのか、ゆっくりと小さくなっていっているような気がする。


「もしかして、それでヒスイの失われた体が補充できる……のか?」

 今度は首だけ動かしてしっかりと頷いた。

 これがヒスイを復活させる手立てなのか?

 いやもしそうだとすると、いったいこの緑兎の瞳から溢れたこの雫は何なんだろう。ナナナシアは魔神晶石の補充が必要だと言っていた。

 これが魔神晶石に繋がる何かなのだろうか?


 いや、それよりも女性陣だ。

 忘れていた。


 篤紫が緑兎の方に視線を向けると、緑兎と女性陣が普通に和気藹々と行った感じで和んでいた。体毛がふさふさにのだろう、咲良と紅羽、コマイナが気持ちよさそうに体を触っている。体を触られている緑兎も、すごく楽しそうに鳴き声を上げている。

 何なんだ、この状況は?


「桃華、兎と会話ができたのか?」

「いいえ、できないわよ。でも何となく感情の機微でわかるじゃない」

「俺は分からなかったんだけどな……」

 ヒスイをそのままにして緑兎に近づいていくと、緑兎の鼻先にいた桃華が気づいて近寄ってきた。

 どうやらある程度感情が理解できたらしい。

 女性は感性というか、感覚とか感情で共感することができるみたいだから、こういうときは強いのかも知れない。


 ともあれ、一安心した。

 出会い頭で怯えさせてしまったから、これは打ち解けるまでに時間がかかるのかと思っていた。




 篤紫は桃華と一緒に緑兎に近づくと、すぐ側に翻訳の魔道具を取り出した。

 緑兎は一瞬目を見開いたように見えたけれど、すぐにまたトロンとした目に戻った。横に桃華がいたことで警戒を解いてくれたらしい。


 ホルスターのポケットから翻訳の魔道具を取り出して、足下に置いた。魔道具を起動させるために、しゃがんだ篤紫は土台に手を触れて、魔力を流し込む。

 水晶玉もどきが、淡く光り出した。


「あらためて、緑色の兎さんは俺の言っていることが分かるかな?」

 篤紫が話しかけると、今度こそ緑兎は大きく目を見開いた。

 同時に全ての毛が逆立ってしまって、周りで抱きついていた三人が完全に毛の中に埋もれた。


『うええっ、なんで念波で話しかけてくるの……うえっ、ぴええぇぇ』

 泣きながらもその『念波』で返事をしてくれたようで、逆立っていた毛が戻ったと同時に、また金色の雫をポロポロと溢し始めた。


「篤紫さん、これって翻訳の魔道具なのかしら?」

「緑色の兎さん専用だけどね」

「篤紫さん助かったよ。ミュシュちゃんも言っとることが分からへなんだんや」

 ミュシュを抱きかかえた瑠美が、駆け寄ってきた。どうも咲良や紅羽達の近くにいたようだ。

 フワフワの毛を楽しんでいた咲良、紅羽、コマイナの三人もこっちに来たようだ。


「ミュシュ、もこの緑色の兎さんが言っていることが分からなかったのか?」

「はい、申しわけありません。色々と記憶になくて、普通に話しかけても駄目だったのです――」

『ふえっ、王子? ボクが話しかけても気づかなかったのって、本気だったの? えっえっ?』

 そして翻訳された緑兎の言葉に、ミュシュ以外の全員の動きが止まった。

 王子って……なに?


「ま、まさかのボクっ娘ですか? わたくしも見ての通り、似たような兎ですけど、わたくしはあなたの王子様じゃありませんよ」

「ミュシュちゃん、ほんでそのボケはいらへんと思うで」

「瑠美さん、そこは突っ込んじゃ駄目なやつです……」

『そうだよ。王子が戻ってきたと思って喜んでいたら、話が通じないんだもん。みんな、撫で方が上手だし、もういいやって思ってたんだけど』

「いえいえ、全然よくないですのよ」


 会話ができるようになって、若干カオスな状態になったような気がする。

 ただ少なくとも、ミュシュの関係者であることは変わりがなさそうだった。やっぱりミュシュに記憶が戻る様子は見られないけど。


「ちょっとごめん、緑色の兎さん。聞きたいことがあるんだけど」

『あ、ボクのことはオルネって呼んでよ。それでなになに?」

「わかったオルネ。俺は篤紫だ、よろしくな」

 ここで初めて、全員の自己紹介が交わされた。

 ミュシュも名乗った時には、さすがにみんな笑い出してしまったけれど。


「それで聞きたいのは、さっきからオルネの瞳から溢れている金色の雫。それが何なのか教えてもらえないかな?」

『これ? この、ボクの目から流れているのは、月の雫だよ。月兎はみんな、体の中に流れているんだよ』

「月の雫?」

『うん。ボクたち月兎は月で産まれて、月に還る生き物なんだよ。

 ルルナ様が溢した涙が月兎になったって言われているんだ。

 月河の時期になると、月の雫はあそこに浮かんでいる七星に一滴落ちていくんだよ。逆に七星河の時期には、向こうから七星の雫が一滴、ここの峡谷の真ん中に落ちてくるんだよ』

 この説明で何だか腑に落ちた。

 間違いない、これは魔神晶石だ。車の近くにあった金色の雫――月の雫を吸収し終えたのだろう、ヒスイが篤紫の近くまで寄ってきてまた月の雫に手を触れていた。

 そこで、オルネの視線がヒスイに移った。


『えっえっ、なんで? どうしてルルナ様がそこにいるの? えっ、なんか少し違う気がする?』

 そしてさらに、驚愕の事実が発覚した。

 どうやらヒスイの容姿は、ルルナ様とうり二つらしい。


 こうなると、篤紫は頭を抱えるしかない。

 元々ヒスイは、桃華の中にあった世界から連れ出してきた、いわゆる別世界の魔神晶石だ。

 この姿に変わったのだって、最初は男型をしていたのが篤紫と夏梛の会話の中で、今の姿に変わってそのまま固定しただけだったと思う。

 正直、何の関連もない。


 ただ、色は違うけれどつまりは、月のコアとヒスイは素体が同じだと言うことだ。

 これはルルナ様とやらに会わないといけないパターンなのか?


「ところでオルネちゃんは、どうしてここにいるのかしら? この洞窟の中はどこかに繋がっているの?」

『ここはすぐに行き止まりだよ。ボクがここの方角を担当しているから、いつもはこの中で寝てるのが仕事なの。

 ワイバーン以外に動くものの気配がして出てきたら、君たちに見つかっちゃったの』


 やけにナナナシアでワイバーンを見たという話を聞かないと思っていたら、どうやらワイバーンは月の使者らしい。

 稀にナナナシアに飛来して、珍しい者を見つけたら攫って、ここ大峡谷グラウンドキャニアンの真ん中まで持って行くのが仕事なのだとか。駄目じゃん、それは普通に犯罪だと思うぞ。


「俺たちはそのワイバーンに攫われてここまで来たんだけれど、ナナナシアに帰るにはまたワイバーンに運んでもらわないといけないのか?」

『あ、それは無理だと思う。それに向こうに行く方法はボクは知らないの。ルルナ様なら知っているかも知れないけど、ここからだとかなり遠いよ?』

「その、ルルナ様とやらがいる場所には、俺たちは行ってもいいのか?」

『ボクたち月兎が、大峡谷グラウンドキャニアンの三十六方位に居るのは、別に門番ってわけじゃないの。ルナナリアのエネルギーを安定化させるために居るだけだかから、君たちがルナナリア行く分には問題ないのね』

 どうやらここ大峡谷グラウンドキャニアンの中心には、ルナナリアという都市があるらしい。

 もしかしたらそこが、ミュシュの故郷なのか……。


「それじゃあ、俺たち行くけどいいのか?」

『うん、いいよ。久しぶりに誰かと話が出来て、すっごく嬉しかったな。最初はびっくりしたけど……。

 二万五千年ぶりに話しかけられれば、びっくりもするよね?』


 さすがに、こっちがびっくりした。

 それだけ長い間ここで、どこの方角か知らないけれどこの場所を守っていた。さぞかし、退屈だったんだろうなと思う。

 そりゃ、いきなり話しかけられれば、びっくりもするわけだ。


 こうして俺たちは、耳を振って見送ってくれる月兎のオルネとお別れして、大峡谷グラウンドキャニアンの中心にあるという、ルナナリアに向けて旅立った。

 さて、月兎とは電波で話をしたわけだけれど、ルナナリアでも電波なのだろうか?


 嬉々としてハンドルを握っている桃華を横目に見ながら、まだ見ぬ兎の都市に思いを馳せた。

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