百十五話 そうだ、京都に行こう

「ふぇっ? こ、ここはいったい何なのですの……?」

 大樹ダンジョンに入ると、空気が変わったことが分かったのだろう、着物もどきの女の子が驚いて変な声を出していた。

 まあ、驚くよね。

 入った途端に、とてつもなく大きな家が建ち並ぶ、洋風の街が目の前にあるのだもの。さらに少し先の路地を、巨大な竜人が横切っていった。

 その景色はまさにファンタジーの世界。普通の日本人なら一生目にする機会が無い様な、そんな景観だ。


「ここは、ダンジョンの中よ。ここ自体が独立している世界で、今は大きな竜人のみんなが住んでいるわ」

「ええっ? ダンジョンって何ですの。物語の中のお話しではないのですの?」

 女の子が、しきりに目を白黒させながら驚いている姿を見ると、やっぱり日本人からするとここは完全にファンタジーの世界なんだって、改めて分かった。

 例え異能が使えて、異能空間でバトルができたとしても、あくまでも同じ人間の同士という括りからは外れない。そういう意味では、既にここは日本にあっても完全な異世界なんだと思う。


「もちろんこれは、れっきとした現実よ。種も仕掛けもないわよ。

 ところであなた、名前は何というのかしら?」

「えっ? えっと、わたくしですの?」

「そうよ。ちなみに私は桃華ね。後ろにいるのが夫の篤紫で、その後ろが魔神のヒスイよ」

「待て桃華。ヒスイの前に魔神はいらないよ……」

「えっえっ、マシン? 魔の神で『魔神』なのですの? んんっ、んへ?」

 どうして桃華は、妙なタイミングで余計なことを口走るのかな……。

 女の子なんて、名乗るのも忘れて混乱しているじゃないか。

 桃華とヒスイを交互に見て、目を瞬かせている。これ、絶対に桃華は狙ってやっているんだと思う。

 ほら、桃華の空気が変わった。


 完全に立ち止まってしまった女の子の顔を、桃華がじっと見つめた。


「分かったわ、あなたは今日から桔梗よ。何となくそんなイメージね」

「ち、違いますの。わたくしには、紅羽と言う名前がありますのよ」

「それじゃ紅羽さん。聞きたいのだけれど、あなた達ってこの日本に居場所があるのかしら?」

 桃華のその一言に、女の子――紅羽は大きく息を呑み込んだ。瞳も、これでもかというくらい、大きく見開かれている。


「宗主とか言う男の過去を斬り消した時に、いくつか記録の断片を見たわ。

 あなたたち能力が覚醒するのと同時に、記憶も改ざんされているわね。あなたが親、兄弟もしくは姉妹だと思っている人は、血のつながりすら無い赤の他人よ。

 この街のおよそ半分が、宗主の息がかかった異能組織側の人間なの」

「それは、知っておりますの……」

 何だか、シリアスな話になってきたな。

 ヒスイの方に顔を向けると、首を横に振ってきた。うん、何に首を振られたのかすら、全く分からないぞ。

 いずれにしても、篤紫は完全に蚊帳の外だった。


「その先の話は、瑠美さん咲良さんと合流してから、お話しすることにした方がいいわね。さあ行くわよ」

「……はい」

 そして、二人でさっさと商館ダンジョンに向けて歩み去って行ってしまった。


「なあ、ヒスイ……」

 篤紫が声をかけると、少し後ろにいたヒスイがいつも通り顔を上げてきた。

 これで喋ることができれば、しっかりと意思疎通ができるんだけどな。

「ぜんぜん話の流れが分からないんだけど、ここって日本なんだよな?」

 そんな篤紫の問いに、当然ヒスイが分かるはずが無く、こてりと首を横に倒した。

 思わず笑みが漏れる。

 なおも首を傾げるヒスイの頭を軽く撫でると、桃華達に追いつくために走り出した。




「瑠美っ、咲良っ! 大丈夫ですの? 繋がりが切れたので、心配していましたのよ」

「えっ、紅羽ちゃんやの? 何でここに?」

「紅羽さん……無事だったのですね。こっちこそ心配していたのですよ」

 篤紫が商館ダンジョンに入ると、ちょうど三人が無事を確認して抱き合っているところだった。

 桃華はサイドチェストの上で、お茶を淹れているようだ。爽やかな香りが部屋に漂っている。


『早かったのだな、篤紫たちが出かけてから五分位しか経っておらんぞ』

「そういう世界の話なのか……」

『何のことだ? 時間停止空間も一瞬のことであったし、行ったと思ったらすぐに戻ってきた感覚なのだが……また、桃華の魔法が進化したのか?』

「オルフですら分からなかったのなら、多分そうだと思うよ」


 ひとしきり再開を喜び合った三人は、やがて静かにテーブルについた。

 篤紫もとりあえず話を聞こうと、少女三人のちょうど対面の端っこに腰をかける。その隣にお茶を淹れ終えた桃華が着席した。

 ちなみにヒスイはその時点で既に、ゴーレム五体を出し、オルフェナの背中に乗って大樹ダンジョンに散歩に出かけていった。


「さてそれじゃあ、さっきの話の続きね。まず瑠美さんと咲良さん」

「わいか? なんや?」

「はい、何でしょうか?」

「あなた達が言っていた宗主という人物は、完全に無能力化したわ。今後もし、異能空間で戦わなかったからと言って、もう存在を奪われる心配は無いわ」

「えっ……マジで?」

 瑠美と咲良は揃って大きく目を見開くと、お互いに顔を見合わせる。そっとお互いに抱き合うと、さめざめと泣き出した。その二人を紅羽が立ち上がって一緒に抱きしめた。

 しばらくして落ち着いて、再びまっすぐに座り直した。それを確認して、桃華が微笑みながら頷く。


「ただ、宗主が無能力になっても、組織はまだ生きているわ。

 現在日本を含めて、世界に現存している異能持ちは五千八百人ほどいるみたいね。その総本山が京都、だからこれから京都に行くわよ」

 もうね、みんな固まったよ。


 最近の桃華は、大抵こんなパターンが多いんだけれど、一応少し説明があった後に重大なことを言われるから理解はできる。

 理解はできるけれど、その情報、誰も知らないみたいなんだけど。

 たぶん、瑠美、咲良、紅羽の三人にも想定外だったたのだろう。ぽかーんと口を開けている。

 少しの沈黙の後、ぎこちない動きで紅羽が口を開いた。


「き、京都……ですの? 具体的に、どこに向かうのか、教えていただけますの?」

「北黎弦神社、その本殿よ」

「嘘……そこは、わたくしの……生家ですのよ」




 高速道路を、久しぶりにオルフェナで走って行く。

 さすがに日本の道を、魔神晶石車で走るわけにはいかなかったので、竜人達に一言断りを入れてから魔神晶石車は魔神晶石に戻した。

 そして、小玉羊のオルフェナには車に戻って貰って、オルフェナの自動運転が始まった。

 念のため、ハンドル類が一切無い運転席に篤紫が座り、助手席にはいつも通り桃華が座っている。


 後席では、瑠美、咲良、紅羽の三人が、ヒスイを巡って大騒ぎしていた。


「ヒスイちゃんすごいですの。体が全部エメラルドみたいですのよ」

「すごく綺麗ですね。それにすごく軽い……向こうまで、私が抱っこして行きますね」

「はあ? 何でや、咲良だけズルいぞ。わいも抱っこするんや」

 当のヒスイから、少し困ったような気配が伝わってきたけれど、座る場所が後ろしか無いので、諦めて欲しいと念を返しておく。

 その時点で、ヒスイは動くマスコットになった。


 懐かしい景色が、車窓を流れていく。

 途中のサービスエリアでお昼を食べる時も、何故かヒスイが取り合いになっていた。おかげで、ヒスイが多少動いても、人形か何かだと思われたのだろう。周りが騒ぎになることは無かった。

 季節は四月の半ば、日中がちょうど暖かくなってきていて、あちこちで春の花が咲いていた。新緑も見目に麗しい。


 走りながら、今の日本がどういう状態なのかも把握できた。

 あの日、篤紫たちがナナナシアに転移した日から数えて、四ヶ月ほどしか経過していないことが分かった。

 転移する前に携帯に流れてきた緊急速報は間違っていなかったようで、やはり大雪も降って、富士山も噴火したとのことだった。聞けば、その影響で首都圏一帯が、未だ完全に麻痺しているらしい。

 中央自動車道を南下して、そのまま阪神高速道路に入ると、途端に渋滞で車が動かなくなった。


「これは、すごい渋滞だな……」

「関東平野に富士山の灰が降ってから、首都機能が完全に止まってんねん。

 広範囲の停電は復旧の見込みが無いから、今は東京からほぼみなの人たちが地方に避難してるねんな。

 ほんで政府は、慌てて名古屋を暫定首都にしたんや」

 ヒスイを抱っこする順番を、三十分ごとに交代することが決まったようで、抱っこの順番になった瑠美が、ほくほく顔で説明してくれた。


 阪神高速道路は、想定以上に渋滞していた。

 もともと交通量が多い道が、首都機能を名古屋に暫定設置したことで、余計に混雑を極める結果になっていた。かれこれ一時間はほとんど前進できずに、時折少しだけ前進して、すぐに止まっている。

 上り車線だけでなく、下り車線までも車列が進んでいない。


 何とか一番近くのインターチェンジで高速道路を降りる頃には、既に辺りは真っ暗になっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る