七十九話 真っさらな地図
「うわ、これはけっこう面倒くさいな」
御者台でスマートフォンの地図アプリを見ながら、篤紫は大きなため息をついていた。
ヒスイが牽く馬車は、悪路でも難なく駆けている。馬車の方には、一切の問題も無い。それこそ乗り心地も含めてかなり快適だった。
問題があったのが、手元で見ているマップの方だ。表示されている地図が真っ白だった。正確には、篤紫たちがある程度の距離で視認した地形が、やっと地図に反映されている状態だ。
御者台から見える景色は、一言で言うなら荒野だった。
遠くの方に木が密集している場所があるものの、基本的に丈の短い草が点々と茂っている。赤茶けた大地は乾燥していて、馬車が走ると乾いた土煙が後方に舞っている。
山がほとんど無く、遙か彼方に地平線が見えている。まさに雄大な景色といったところか。
「この景色はすごくいいわね、まるで西部劇の世界だわ」
「ちょっと待て桃華、それぜんぜん違う大陸の話じゃないか」
ヒスイが牽く馬車には手綱が無い。篤紫が座っていれば、篤紫が見て考えた方向にヒスイが勝手に進んでくれる。篤紫が目を離していてもある程度勝手に走って行き、桃華が魔神晶石に触れて念じればその通りに進んでくれていた。
孤島で魔道馬が消えたと聞いたときは、次に馬車を牽く馬は普通の馬にしなければならないと思っていた。まさかヒスイのおかげで、新しい馬の代わりが確保できるとは思ってもいなかった。
軽やかに駆けていたヒスイが減速し、やがて止まった。篤紫が横を向いた遙か先、土煙を上げながら何かが馬車に向かって突進しててくる。
「なあ、桃華……あれなんだと思う?」
「待って、私が見てくるわ……わかったわよ。あれは立派な角が生えた牛の群れね。頭を叩いて気絶させてきたけどどうする?」
一瞬で、桃華が深紫のドレス姿に変わっていた。これはあれか、時間を止めてさらに変身して、現地まで見に行ってきたということか?
篤紫には全く分からなかったけど、桃華の首に下げられているポシェットの中にはナナナシアがいる。見れば顔が真っ青になっていた。
『ね……ねぇ、私まで時間が止まった中を動いていたんだけど……。
篤紫はこの間、この桃華の神晶石に入っていたのよね。よく無事だったね……』
程なくしてヒスイが馬車を旋回させて、土煙の立っていた方へ走り出した。
近づいていくと、いつの間にか土煙が収まっていた。代わりに、何か黒い物がたくさん横たわっているのが見える。
「おとうさん、何かあったの?」
「ああ、桃華が突進してきた牛の群れを、叩いて寝かしてきたらしいんだ。ちょっと確認していこうと思って」
「角持ちなら、私が調教しようかしら? 威圧使えば大人しくなると思うわよ」
御者台の後ろにある窓を開けで、夏梛とペアチフローウェルが声をかけてきた。道中二人はずっと馬車内でお喋りしていた。よく話題が尽きないものだなと、前を見ながら感心していた。
それにしても調教か……ちょうど馬車の中にある大樹ダンジョンが空っぽだから、様子を見て中で牛を飼うのもいいかもしれない。
なんて思っていた時期が、俺にもあったりしたわけで……。
現地について、その考えが甘かったことがよく分かった。
『ふむ。これはまた、大きな牛だな』
「いやまてオルフ。大きいの一言で済むサイズじゃないぞ、これ」
近くに行くと牛は漆黒の体毛で、見上げるほどの大きな牛だった。横たわって気絶しているのに、顔だけで縦に二メートル程はある。もちろん、頭部にある立派な角を除いてだ。
さらに牛の足を見れば、何だか足が八本あるように見える。見るからに普通の牛じゃない。立ち上がればおそらく七メートル位はあるんじゃないか?
神話の八本足は確か馬だったはずだから、こいつは魔獣で間違いないだろう。
「牛……なんだよな。これだけ大きいと言うことは、この辺の生態が異状なのか? それとも、ドラゴンの餌?」
「どうかしら。さっき近づいた時には、近くには他の生き物はいなかったわよ?
時間が止まっていたし、飛んできていたドラゴンとかいても、見逃していた可能性はあるけど」
『あのね……桃華は、時間停止使うときには、あらかじめ言ってほしいんだけど……』
「わかったわ、今度から時間を止めてから、ちゃんと言うようにするわね」
『……きゅう』
ナナナシアは未だに桃華の首元で顔を真っ青にしている。あ、目を回した。
そもそも桃華と一緒にいる時点で、時間停止かは逃げられないと思う。
篤紫達が桃華の中で暴れてきたからか、どうも桃華の時間停止の制御に磨きがかかったように見える。
『うぬ? ヒスイよ、散歩に行くのか? いいだろう。それなら我の背に乗るがいい』
いつの間にか幼女形態に戻ったヒスイが、オルフェナの背中に乗ったようだ。ゴーレムを五体を引き連れて、近くに見えていた森に散歩に出かけていった。
「ヒスイちゃんは、よっぽどオルフの背中が気に入ったんだね」
「元魔神だって聞いたけど、やっぱりそうは見えないわね。
でもヒスイって、私と一緒に桃華の神晶石の中にいたのよね……何だか今となっては、夢の中にいたような気分だわ」
「あたしは、ペアチェちゃんと一緒に旅が出来るから、すっごく楽しいよ」
「私もよ。一万年以上ずっと、魔王国の中でしか生活できなかったわ。世界がこんなに広いなんて、すっごく素敵なことよね」
こうしてみると、まるで姉妹のように見える。ペアチフローウェルが桃華の顔と一緒ということもあるかもしれない。
そう思って桃華の方を向くと、笑顔で首を傾げてきた。
ペアチフローウェルが夏梛と談笑しながら、巨大牛の群れに威圧をかけた。気絶していた巨大牛たちは、目をカッと開くと恐ろしい勢いで立ち上がった。
巨大牛の群れは整然と整列して、ペアチフローウェルの方を見ている。
「夏梛、ごめんね。馬車の後の扉を開けてもらってもいい? ダークゲート繋げて中に入れちゃうわ」
「わかった。扉開けてから、ダンジョンの中で誘導するね」
ペアチフローウェルがダークゲートを開くと、巨大牛は整列して次々に大きなダークゲートをくぐっていった。
全部で三十頭はいたか。全頭がダークゲートをくぐると、ペアチフローウェルもダークゲートに飛び込んでその場から消えてしまった。いや、馬車内大樹ダンジョンに行っただけなんだけどね。
「どうやって中に入れるか悩んでいたのに、さすがにあれは反則だ」
「いいじゃない。なんでも篤紫さんがやる必要はないのよ?」
「いやいや、逆だよ。最近の俺、何もやっていないんだが……」
スマートフォンを見ると、ちょうど昼時だったので、篤紫と桃華も馬車の後扉から大樹ダンジョンに入ることにした。
昼食の後、しばらく外で待っているとヒスイとオルフェナが帰ってきた。
全員が座席に座ったのを確認してから、ヒスイに馬に変化して貰った。そして再びエアーズロックに向けて出発した。
「それにしても、ナナナシアちゃん大丈夫かしら。さっきから全然動かないのよ」
「ごめんヒスイ、しばらく視線外すから頼む」
馬になっているヒスイが首肯したのを確認して、桃華が首から提げているポシェットを覗き込んだ。そこでは、真っ青になったままのナナナシアが眉間に皺を寄せて眠っていた。
「いつから調子が悪いんだ?」
「半月ぐらい前からかしら。
少し体が怠いと言っていたから、薬草入りのおかゆに卵を溶かした物を食べて貰ったの。その時は元気になったのに、翌日にはまた怠そうだったわ」
「そんなに前から?」
「ええ。三日ほど前からは、顔色もかなり悪かったの。
本人が大丈夫だと言っていたから、栄養がある食べ物中心に取って貰っていたのだけど……真っ青になったのは昨日からよ」
そう言えば、最近はナナナシアとあまり会話をしていなかった気もする。顔が青いのは、桃華が時を止めたからじゃ無かったのか。
そう思いながら、ナナナシアを見ていたら、急に目眩に襲われた。
「痛っ」
「きゃっ」
桃華も目眩を感じたのか、二人して前のめりになっておでことおでこをぶっつけてしまった。思わずおでこを押さえた。
「ごめん、桃華。大丈夫か……?」
「ええ、私の方こそごめんなさい。何だかふらついちゃって」
やがて、馬車の速度が落ちていき、ピタッと停止してしまった。
なんだろう、何かあったのか――。
篤紫が不思議に思って前を見ると、馬車の前に岩の壁が立ちはだかっていた。上を見上げると、壁は空の遙か彼方まで続いていた。
左を見ても、右を見てもその壁に切れ目が無い。遙か彼方まで続く壁が、馬車の行く手を阻んでいる。
「どういう事……だ?」
「分からないわ、さっきまでこんな壁は無かったはずよ」
後ろを振り返ると、自分たちが走ってきた赤茶けた大地がちゃんと広がっていた。地平線すらも見える。
これはまた、何かのトラブルに遭遇したのか?
相変わらず世界は、気楽に旅をさせてくれないらしい。
篤紫はもう一度、立ちふさがる壁を見上げた。
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