七十一話 大樹の迷宮
朝の風は少し肌寒かった。
馬車の裏に畳まれている階段を起こして、後部の扉に手をかけた。
「そう言えば、これって引くんだっけ? それとも押すのか?」
振り返ると、全員が首を横に振っていた。昨日、扉を開けたはずの夏梛まで横に振っているのはどういうことなのか。ほら駄目だよ、ヒスイも真似して首を横に振り始めた。
とりあえず片側を押してみると、普通に扉が奥に開いた。試しにもう一方を引いてみると、やっぱり開いた。
どっちでもいいんかい!
「おとうさん……なに一人でノリ突っ込みしているの?」
「つまり、押しても引いても、どっちでも良かったのですね」
確かに自分でもどっちでも良かったと思う。振り返ると、三者三様の反応をしていた。ちなみにヒスイは、五体のゴーレムと石を蹴り合って遊んでいる。何だろう、すごく不思議な光景なんだけど……。
階段もあるため、扉は中に押すようにして、扉を全開まで開けてみた。
中は、明るくなっていた。
視界一面が草原で、風が吹いて草が波打っていた。大きな影が篤紫が見ている場所を中心に、草原の途中までを覆っているようだ。
足を一歩踏み出す。
ダンジョン特有の境界線を越えた感覚のあと、暖かい風が頬を撫でていく。間違いなく、ここはダンジョンだ。空気の温度と質が違う。
ふと上を見上げて、影を作った物が何なのかが理解できた。
『これは見事な樹ね。こんな大きな樹は、見たことがないわね』
隣に歩いてきたペアチフローウェルが、同じように上を見上げて感嘆の息を吐いた。
大樹がそこにあった。それも想像以上に巨大な樹だ。
遙か彼方に巨大な枝があって、大きく葉を繁らせていた。幹を元に辿っていくと根元に今入ってきた扉があって、外の景色が見えていた。とょうど夏梛とリメンシャーレが中に入ってくるところだった。
「うわ、なにこれ。すっごい大きな樹じゃん」
「篤紫さん、あの枝までってどの位の高さがあるのでしょう?」
「目測だけでも、数キロメートル単位はあると思うぞ……」
全員でまた上を見上げる。
風に吹かれて、枝が大きく揺れていた。遠すぎるからか、木擦れの音が全く聞こえない。草原に落ちている影は、この大樹が作っているものだ。
横を見ると、大きな根が数十メートル先まで伸びて、地面に潜っていた。
幹もまるで壁のようで、左も右も、遙か彼方に霞んでいる。
当然ながら、草原も地平線が見えるほど広大で、見るからに想定を越える広さだと言うことが分かる。
ちなみにこれを作ったヒスイは、未だに外でゴーレムと遊んでいるようだった。たぶん、外にいて馬車を守ってくれているのだと思う。
「ここって、外の時間に連動しているってことなんだよね。昨日見たときは真っ暗だったけど、いざ明るくなってから見てみると真っ暗だった理由がよく分かるね」
「遮蔽物が何もないからな、夜だと確かに真っ暗闇に見えると思う。
それに、昨日は月も出ていなかったからね」
『待って、篤紫。ツキって何のことよ』
横で話を聞いていたペアチフローウェルが、眉間に皺を寄せて聞いてきた。
「月って、月のことだよ」
『篤紫が何を言ってるのか分からないけれど、ここには太陽と星しかないわよ?
』
「そうなのか?」
そう言われてみれば、夜に月が出ているのを見たことがないな。そもそもそうか、太陽が中天に固定だから、月が存在していないのだろう。そうすると、夜に見えていた星ですら、役割が違うのか……。
考えても答えが出そうになかったので、目の前に広がっている迷宮(?)を調べてみることにした。本当はヒスイに聞ければ一番いいんだけれど。
「……あ、ヒスイちゃん」
考えていたことが伝わったのか、気がつくとコートの裾を引かれていた。振り返ると、足下にヒスイが立っていて篤紫を見上げていた。
ゴーレムが周りにいないところを見るに、外に置いてきたのだろうか。
篤紫はヒスイに向き直って、その前でしゃがみ込んだ。
「ゴーレム達には、外を守ってもらっているのかな?」
ヒスイがコクコクと首を縦に振る。やはり、ちゃんと意思疎通ができる。
「聞きたいことがあるんだけど、いいかな」
首を縦に振る。
「ここの中って、魔物とかいるのかな」
今度は首を横に振ってきた。
つまり、このダンジョンは安全だと言うことか。
「ここのダンジョンって、壁があるのかな」
首を横に振った。もしかして無限ダンジョンなのだろうか?
考えていることも伝わったのか、ヒスイがコートの裾を引っ張って、また首を横に振っている。
つまり、壁はないけれど、無限ダンジョンではないとすると……。
「外の世界と同じで、太陽の周りをぐるっと囲っているのか?」
ヒスイが何度も頷く。
つまり、この中に一つの世界が構築されたと言うことか。もしかしたら、ここの中だけで生活できたりするのだろうか。
そこまで考えたところで、またヒスイがコートの裾を引いてきた。みればさっきよりも激しく首を横に振っている。駄目だと言うことか。
「空気はあるけど、水が無いからじゃないかな?
あとはほら、動物だっていないよ。草原のままだから、野菜もないし、建物を建てるための木もない」
「そうですね。山もありませんから、鉱山とかも無いです。このままだと、社会が回りませんね」
『つまりあれよね。安全は確保されているけれど、何もかもが足りないのよね』
夏梛達も周りを見て色々考えていたのだろう。
篤紫がヒスイを見ると、嬉しそうに首を縦に振っている。
「そっか、確かに何もないな。
つまり一時的に物資を運んで避難するには適しているけれど、長期的には生き物が生きていけない環境だってことか。
でも、このダンジョンならアーデンハイム王国の移動はできるか。そのあとで魔王国に行っても、全員を収容することすらできる……」
ヒスイは最後に大きく頷くと、用が終わったとばかりにダンジョンの外に駆けて行ってしまった。
「こういう融通が利かない環境は、ここがやっぱりダンジョンだという証拠だな。
ただ、使えることだけは分かったから、外に出て準備しよう」
「「『はいっ』」」
もう一度、大樹を見上げた。
相変わらず風に吹かれて、枝葉が大きく揺れていた。
「ヒスイ。この馬車って収納することができないのか?」
馬車をそのままホルスターに収納しようとして、初めて収納することができなかった。つまり、この馬車は生き物扱いなのだろう。
篤紫の質問にヒスイは大きく頷くと、篤紫の手を握って馬車の御者席まで引っ張っていっった。そこにあったコアを指さす。
「コアに戻さないと駄目だってことか。でもそれだと、中に人間が入っていたときに収納できないんじゃないのか?」
ヒスイは首を横に傾げたあと、フルフルと首を横に振った。
「わかった、おとうさん。大樹の迷宮の中に誰かが入ったままでもコアに戻せるけど、中からでられないんじゃないかな」
夏梛の言葉に、ヒスイは嬉しそうに首を縦に振る。
ここからは、また急いだ方が良さそうだったので、馬車はコアに戻して収納することにした。間違いなく、足で走って行った方が早く戻ることができる。
ヒスイには拡張収納をかけたポシェットをあげた。ヒスイは律儀に頭を下げて受け取ると、ゴーレムを一体一体大事そうにポシェットにしまっていた。
「よし、とりあえずアーデンハイム王国の辺境伯領まで向かおう」
全員でうなずき合うと、篤紫を先頭に平和になった平原を駆け始めた。
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