六十話 予測不可能

「それでは、今度は私が様子を見に行ってきますね」

 外に出ていた篤紫が城の応接室に戻ると、リメンシャーレが待っていて、入れ替わりで外に偵察に出かけた。それを見送ってから、部屋の真ん中にある豪華なソファーに腰を下ろすと、座面がゆっくりと沈み込んでいった。

 思わず篤紫は、浅くため息をついていた。



 時間が停止した世界で、停止の影響を受けたのは生物だった。

 ポルナレフが動き出したときのために、念のために一人がこの応接室で待機して、他の二人が国とその周辺を調べた。その結果、この国の人間だけでなく、少し離れた森に居る動物や、川の魚。昆虫までが時間停止の影響を受けているようだった。

 この分だと、時間停止はこの世界全体に影響を及ぼしていそうだった。

 ちなみに川は、流れだけが止まっていた。手で触れると、冷たい感触とともに普通に手が濡れた。



「一晩経って、止まった時間を過ぎても変化無しか……」

 特に何も変化がないまま、丸一日が経過した。

 時間の停止に反して太陽は普通に機能していて、やがて夜になり、いつの間にか朝になった。

 念のために見張りを立てて、交代で睡眠を取ったけれど、何も起こらないまま再び朝の太陽が輝き始めた。その間もポルナレフは、応接室の入り口に止まったまま立ち続けていた。


 結局分かったことは、生物の全てが破壊不可能オブジェになったこと。さらに、影響がなかった無機物ですら、壊そうと思って叩くと、瞬間的に破壊不可能オブジェに変質することだけだった。

 そのくせ、普通にソファーに腰を下ろすと、柔らかい弾力とともにお尻が沈み込むから、余計に訳が分からなかった。




「おとうさん、大変だよ。おかあさんが来たよ」

 城の応接室で当番待機していると、開け放たれている窓から夏梛が飛び込んできた。ソファーに沈み込んで考え事をしていた篤紫は、夏梛の方に顔を向けて首を傾げた。

 正直、変化があるのはありがたかった。丸一日経って変化がなかったため、いよいよ無視して移動しようか考えていたところだった。

 しかし、桃華が来たってどういうことだろう?


「おかあさんがコスプレして空を飛んできて、大暴れを始めたみたいなんだよ」

「いやいやいや、待て夏梛。さっぱり意味が分からんぞ」

「そんなこと言ったって、あたしも聞いただけだもん。仕方ないじゃん」

 夏梛が早く早くと急かすので、篤紫は重い腰をあげてソファーから立ち上がった。


 ドガーン――。


 遠くで何かが爆発する音が聞こえる。篤紫は夏梛と顔を見合わせると、慌てて窓際まで駆けて、窓の外に飛び出した。城の屋根に飛び乗って、周りを見る。

「そっちじゃないよ、ちょうどお城の反対側にいるんだよ」

「わかった」

 夏梛が追いかけてきて、一緒に屋根伝いに城の反対側に向かった。


「うわ、壊れ……ないのか。すごいな」

 遙か遠く、ちょうど城壁の上辺りに、真っ黒な人影が浮かんでいた。

 黒い人影からは、真っ黒い炎の塊が次々と打ち出されていた。黒い炎は市街地に着弾すると、大きな音とともに大爆発を起こす。さらに爆炎と同時に、漆黒の雷が辺りをなめ回し、甲高い音とともに大爆発が連鎖していった。

 しばらくして爆煙が晴れると、そこには何事もなかったかのように、綺麗な市街地が広がっていた。強烈な魔法攻撃を受けたにもかかわらず、何一つとして破壊されていなかった。


「不思議だよね。壊そうとすると、絶対に壊れないんだよね」

「あそこの黒い人影が、桃華なのか?」

「そうみたいだよ。さっきシャーレちゃんから電話があったんだ、郊外でおかあさんらしき人を見かけたって」

「どう見ても、人じゃなさそうなんだけど……」

 黒い影は城壁沿いに移動しながら、なお執拗に市街地に向けて魔法を放ち続けていた。

 氷の雨を降らせて市街地を氷付けにして、上空から岩の塊を降らせて衝突させる。忽然と大津波を発生させて市街地を水浸しにして、再び漆黒の炎を振りまく。その全てが、ことごとく市街地に弾かれている感じだった。


「篤紫さん、夏梛さん。ここに居たんですか」

 声に振り向くと、リメンシャーレが屋根伝いに近づいてくるところだった。

「あ、シャーレちゃん! よかった、無事だったんだね」

「はい。何度かあの攻撃に晒されましたけど、何とか無事です」

 見ればリメンシャーレの衣服が所々煤けていた。変身の魔道具のおかげで、怪我はない様子だった。


「森で遭遇したときに初撃を受けてしまって、慌てて市街地に潜り込みました。その時に、あの悪魔の顔が見えたのです」

「あ……悪魔なのか? 夏梛からは、桃華だって聞いたんだけど」

「側頭部に立派な巻角が生えていて、背中には悪魔の翼が生えていました。漆黒の鎧姿だったのですが、顔は間違いなく桃華さんでした」

「もしかして、この世界の魔王か?」

「そうですね。確かに物語の終盤に出てきた、魔王の記述そのものでした」

「おとうさん、シャーレちゃん待って。見つかったのかな、こっちに来るよ」


 よく目をこらすと、黒い影が急速に城に向かって近づいてきているようだった。何となく、バックに黒い炎を纏っているように見える。

 篤紫は周りを見回した。近くの尖塔に、大きめの部屋があった。窓から入れば、取りあえず様子が見られそうだった。


「夏梛、シャーレ。急いでそこの尖塔に入るぞ」

「ええっ、迎え撃つんじゃないの?」

「馬鹿。あれが本当に桃華だったらどうするんだよ。いいから、そこに一旦退避だ」

 篤紫はそれだけ告げると、夏梛とリメンシャーレを連れて、薄暗い尖塔の部屋に飛び込んだ。




 黒い影は、篤紫たちが尖塔に入ったところで、進む速度が変わったようだ。ゆっくりと近づいてくると、城の正門の上空、ちょうど尖塔から見える位置で滞空した。

 体全体が黒い炎のようなもので包まれていて、シルエットしか確認することが出来なかった。ただその中にあっても大きな巻角と、漆黒の翼だけははっきりと見えた。


「顔が見えないが……しかし左右の巻角、大きいな」

 じっと顔を見つめるも、うっすらと見えたのは赤く光る双眸だけだった。


『我は魔王ペアチフローウェルなり、矮小なる人間どもよ。コーディアル・パープルをすぐに差し出せ』

 何だろう。意味が分からないぞ。

 魔王は宣言だけすると、両手を前に突き出して黒い炎の塊を大量に造りだし、それを再び周りの市街地に向けて、四方八方に撃ち出した。

 真っ黒な炎が街全体を包み込み、篤紫の視界も一瞬黒一色に染まる。

 爆発する市街地は、しかし魔王の強大な黒焔を持ってしても、傷を付けることすら出来なかった。


「おとうさん、魔王の顔が見えるようになったよ」

「ああ……今ならよく見えるな」

「やっぱり桃華さんです。でも、どうして魔王なんて……」

 渦巻く爆炎で、魔王の周りにあった黒い炎が上に流れていき、はっきりと顔が見えるようになった。そこには無表情の桃華が、じっと尖塔――篤紫の方を見つめていた。

 ふと、魔王と視線が交差する。


『……見つけた。フフフフ』

 篤紫は息を飲む。

 忽然と目の前に顕れた魔王は、ガラス窓のすぐ前で、篤紫の瞳をじっと見つめてきた。近くで見る魔王は、桃華そのものだった。

「お、おかあさん?」

 後ろで夏梛が呟く。そんな夏梛に気づかないのか、魔王は一瞬、篤紫に優しげな笑みを向けた。


『見つけた、コーディアル・パープル。ずっと、待ってるわ……』

 魔王の全身が、真っ黒な炎に包まれた。再び視界が漆黒に染まる。炎が消えると、そこには魔王の姿が既にかき消えていた。

 篤紫たちは、その場からしばらく動けなかった。




「えっ、どうしてあなた方がここにいるのですか?」

 突然声をかけられて慌てて振り返ると、そこにはメルディナーレが立っていた。その隣にはもう一人、メルディナーレに似た大人の女性が椅子に腰掛けている。

 これは、もしかしてまずい事態なのか……?


「えっ、なんで動き出したの?」

 夏梛が呟く。


 止まっている時が、忽然と動き出した――。

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