三十七話 天使コマイナ
篤紫は自分の背中に魔力を流した。篤紫の背中に大きな翼が広がる。視界の隅で、妖精コマイナが跳ね上がったのが見えた。
その翼から、羽根を一枚引きちぎった。
同時に走った背中の強烈な痛みに、思わず膝をついた。痛みは一瞬で、嘘のように抜けていった。
手の中に羽根があることを確認すると、翼を解放した。いつも通り背中の翼は光の粒になって空中に消えていった。手の中の羽根は、恐らく手から離れることで消えるのだろう。
「この翼って、俺の体の一部なのか。滅茶苦茶痛いぞ」
「えっ、篤紫さん大丈夫?」
心配そうに振り返った桃華に軽く手を振ると、タブレットの画面を点灯させた。
画面に羽根ペンの要領で文字を描いていく。描くのはコマイナ・ダンジョンの権限を変更する記述。通常ならば反応すらしないが……。
Change the authority of the comaina dungeon.
よし、ちゃんと霧散せずに書き込めた。
ピリオドを打つと、描いた魔術文字が画面に溶けていって、コマイナ・ダンジョンの相関図が現れた。いや相関図ですら無いな、四角い枠の中に桃華から始まって名前が箇条書きにされているだけだ。
Momoka Sirosaki(M)
Atusi Sirosaki
Komaina Sirosaki(C)
Chromium Sirosaki(C)
King Sirosaki
見れば、キングにも白崎の姓が付いている。本人がこれを見たら、また笑顔で罵声を吐くんだろうな。
これは恐らく、キングが魂樹を作ったときに発覚するな。メタゴブリンキングと家族って、何とも楽しいことになってきた。
ざっと見た感じMはマスター、Cはコアの意味なのだろうか。権限を操作するのはコアの部分だ。篤紫は迷わず、ペン先でCの部分をタップした。
画面が切り替わって、様々な権限が箇条書きで書かれている画面に変わった。その中から、制御の項目を探し出すと、確かに電波になっていた。
Control: Radio waves in the range one km from the wall.
よく読んでみるとそもそも、壁から一キロしか届かない。電波にしたのは、近距離の独自規格として使いやすかったからか。
そりゃ、妖精コマイナがコマイナ・ダンジョンから離れて調子が悪くなるわけだ。生命体としてはなんともないけれど、脳の器官がずっとコマイナ・ダンジョンを探していたんだもんな。
電波だった部分を、魔力波に変更する。ついでに、距離の問題をクリアするために、魂儀を使わせて貰うことにした。
Control: Connect magic waves via soul globe.
ピリオドを打つと、一瞬だけ激しい頭痛に襲われた。
「うぐっ……」
思わず羽根を手放してしまい、手から離れた羽根は光の粒になって空中に消えていった。
「ねえ、篤紫さん。コマイナちゃんが……」
同じように頭を抱えていた桃華が、妖精コマイナの異変に気がついた。
ミュシュは目尻に涙を浮かべて、心配そうに桃華に抱きついていた。
篤紫はタブレットを通常の画面に戻すと、視線を妖精コマイナに向けた。ベッドの上では、妖精コマイナが光り輝いていた。
妖精コマイナの背中にあった、一対の蝶のような羽が、徐々に形を変えて二対の翼に変わる。
『……う、うんっ』
そして、頭の上には光の輪が現れた。
妖精コマイナは、天使コマイナに進化したようだ。
ゆっくりと目を開けた天使コマイナは、上体を起こすとぐるっと周りを見回した。顔に微笑みが浮かぶ。
『篤紫様、桃華様。おはようございます。お二人揃ってどうしたんですか?
それからそちらの金属のウサギさんは――』
『あ、わたくしはミュシュといいます』
『ミュシュさんですか。新しい家族ですかね。よろしくお願いします』
ミュシュに座ったままでお辞儀をする。そして自分の背中にある翼に気がついて、びっくりして飛び上がった。
手で直接触れて、翼が自分の物であることを確認すると、その場にへたり込んだ。ゆっくりと顔を上げて、泣き出しそうな顔で篤紫を視界に止めた。
『あの――』
リンリンコロン、リンコロン。リンリンコロン――。
天使コマイナが何か言いかけたけれど、篤紫の電話が鳴ったので手で合図して少し待って貰った。天使コマイナの横にいた桃華が、篤紫の代わりに説明を始めたので、取りあえず腰元のスマートフォンをたぐり寄せる。
着信先は、キングだった。
「あー、もしもし?」
『おい、てめえ。また何かしやがったな。頭痛で倒れて気がついたら、クロムの背中の翼が増えてるじゃねぇか。
ついでに頭に輪っかが増えてるし、てめぇまた何やったんだ?
大丈夫なんだろ? 問題ないんだろう? 何かあったら、ぐれるぞ』
思わず、吹き出してしまった。
自分でぐれるって、普通いうか? やっぱりキングは、どうしても憎めない。
「それなら、ダンジョンの外に出られるようになった程度で、何も変わっていないから安心していいよ」
『は? ふざけんな。だから外なんて出ねえって。
だいたいお前らがいなくなって、やっぱりオレが忙しくなったじゃねえか。なめてんのかよ。
まあ、あれだ……クロムに問題ないならいいわ。忙しいときに悪かったな。じゃあな』
キングの向こうで、妖精から天使になった天使クロムが笑っている声が聞こえた。無事を確認して安心したのか、最後はキングの声が落ち着いた、普通の大きさに戻っていた。
『あの……篤紫様。ご心配かけていたようで、ごめんなさい。
あと、ありがとうございました』
キングとの通話を終えると、天使コマイナが篤紫を見上げて頭を下げてきた。桃華に今までの流れを聞いたのだろう。
篤紫は天使コマイナの頭に軽く手を置くと、顔を上げてきた天使コマイナに対して首を横に振った。
「逆にごめんな。娘の体調に気づいてあげられなかった」
篤紫の言葉に、天使コマイナは笑顔で首を横に振っていた。
ただ、本当の問題はこれからだったわけで……。
氷船に戻った篤紫は周りを見て、慌てて操縦室に駆け込んだ。
「うわ……まじか。またやっちまった」
『うむ、篤紫か。また神力が強くなっておらんか?』
「あ、おとうさん。無理だよ、また翼を顕現させたんでしょう?
あたしとオルフ以外が、みんな気絶しちゃったんだよ。ちょうど、ユリネさんが操船していたんだけど――」
氷船は大きな珊瑚礁に、派手に座礁していた。
それも勢いそのままで突入したのだろう。かなり深いところまで入り込んでいる。氷船は不壊だから、勢いが止まるまで壊し続けたということか。
操縦室では、気絶している五人が、厚手の布を敷いた床に寝かされていた。
「これは大事だな……」
慌てて、桃華を呼びに行く。
復活したばかりで、調子がいまいち良くない天使コマイナを見ていた桃華は、篤紫の話を聞いてハッとした顔になった。桃華にも身に覚えがあったようで、バツが悪そうな顔をすると、慌てて一緒に操縦室に向かってくれた。
操縦室から、気絶している全員を商館ダンジョンに運び込んで、桃華が取りだしたベッドに寝かせた。それから四人は氷船の外、座礁した珊瑚礁の上に降り立った。
ちなみに、オルフェナは桃華が、ミュシュは夏梛が抱きかかえている。
篤紫が氷船をホルスターの拡張ポケットに収納し、歩きづらい珊瑚礁島を海まで進んだところで、再び全員で目を見開くことになった。
「あら、すごいわね。お魚がみんな浮いてるわ」
「待って、おかあさん? これは、すごいとかそういうレベルじゃないと思うよ?」
「そういうことか。翼の神力は、ここまで影響があるのか……」
辺り一面に、海の魔獣が気絶して浮かんでいた。その周りには、普通の魚が気絶した魔獣をつついている。
申し訳ない思いに駆られつつ、氷船を浮かべる範囲の魔獣だけ息の根を止めて、桃華のキャリーバッグに収納した。それから、海面に浮かべた氷船にみんなで乗り込んだ。
「だいたい一時間くらいで、魔獣もみんなも気絶から回復するかな」
「それまで待機ね。お茶でも淹れるわ」
『待て篤紫、次は絶対に翼を展開してはならぬぞ。背中の模様が三対に変わっておる』
オルフェナの驚いた声に、慌てて篤紫はロングコートを脱いで背中を確認した。そこにはオルフェナが言うように、三対の翼が今までよりもさらに精緻に描かれていた。
「翼が増えたということは、また神力が強まった……?」
「ねえ、私も変身してみたの。夏梛、背中を見て貰ってもいいかしら?」
呆然とする篤紫の横で、桃華が深紫のドレス姿に変身した。
「あ、お母さんも三対の翼になっているよ」
「あらあら、篤紫さんとお揃いね」
そこに居る全員で顔を合わせて、これからは本当に緊急以外で変身自体をしないことを確認し合った。
『あの……変身って、何ですか……?』
一人、首を傾げたミュシュに、みんなで説明することになった。
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