鵺の夜

鵺の夜

『肝試しのお知らせ


 今年も肝試しを開催いたします。


 〇 参加費無料(事前予約は必要ありません)

 〇 小学生から中学生までのご参加に限ります。

   小学六年生までは保護者同伴にてお越しください。(肝試しはお一人での参加です)


 小学生 七時開始

 中学生 八時開始

 

 今年もたくさんの方のご参加を楽しみにお待ちいたしております。 』



 そのチラシは一般的な細長い茶色い封筒に入れられて毎年ポストに届く。宛名も無く裏面に「肝試しをする会」とだけ記入がある。

「もうそんな季節なのね。行くんでしょ、今年も」

 母に封筒を見せると少し呆れたように言って笑う。

「もちろん」


 小学生の頃から通い続けている肝試しがある。近くの神社が主催している夏恒例の子供向き肝試しだ。

 参加できるのは中学三年生まで厳守。高校一年生になったら何があろうと参加することはできない。年を偽って参加した人はいずれもコースを回りきることができなかった。なぜか同じところをぐるぐると回り気がついたら入口まで帰ってきてしまうらしい。

 それは子供達の間で面白おかしい話になり、地獄に連れて行かれるだの鬼に記憶を食われるだの様々な噂がさも真実かのように飛び交っている。

 肝試しに参加して折り返し地点へ辿り着きスタート地点まで無事戻ってくることができた人はお守りをもらうことができる。そのお守りはごく普通の厄除けだが毎年色が違っており俺は今、八色持っている。すべて並べると虹と同じ配色の七色と去年のお守りの色が白だ。八色持っている人はなかなか居ない。ちょっと自慢だ。

 九回目の最後の肝試し。最後の一つは何色なのだろう。

 肝試しは明日。俺はベッドに横になる。間違っても風邪などひかないようにクーラーの温度は二十八度、タオルケットもしっかり身体にかける。

 目を瞑ると鵺さまの姿が脳裏に浮かぶ。明日会える。ついに明日、一年ぶりに鵺さまに会える!

 考えると興奮してきた。肝試しは夜とはいえ夜更かしは良くない。油断すると風邪を引いてしまうかもしれない。それだけは避けたい。

 最後の肝試し。鵺さまに言うことはもう決まっている。

 小学一年生の時、いやいや連れていかれた神社の肝試しに俺は泣きながら参加し、山の中腹にある折り返し地点に大声で泣きながら向かった。子供向けの肝試しなのにルールが厳しく必ず一人で折り返し地点まで行って戻ってこなければ制覇したとは認めてもらえないのだ。

 母親に「必ず待ってくれてる人がいるから、泣きながらでもいいから行きなさい。泣き声にビックリしてお化けも出てこないわよ」と背中を押され言われた通り泣きながら山を登った。小学一年生が徒歩で十分もかからないほどの距離だが日が沈み暗い中、道に設置された足元を照らす心もとない明かりを頼りに、雑木林の中を歩くのはなかなかの恐怖だ。明かりのおかげで先に道が続いているのが見えるため、どうにかこうにか足を進めることができているが木の影からいつテレビで見たような妖怪のような怖いものが飛び出してくるのかと思うと、とにかく恐ろしくて仕方がない。

 なんとか折り返し地点に辿り着くと長い癖のある黒髪を豊かに腰のあたりまで伸ばし切れ長の黒い瞳をした男が扇形の石に腰掛け驚いたようにこっち見ていた。

 夜の闇に解けてしまいそうな全身黒ずくめの格好なのに、何故か鵺さまの姿を一目で捉えることができた。

 人が居たことに安堵し泣きながら駆け寄った俺を、鵺さまは立ち上がり抱き上げ力強く抱きしめてくれた。安心させるように背中を優しく叩きながら「頑張った。よく頑張った」と低く静かな声で褒めてくれた。それでも泣き止まない俺を抱き抱えたまま鵺さまは石に座ると俺の顔を覗き込んで吹き出した。

「こんなに目を真っ赤にして、鼻水もダラダラ。そんなに恐ろしかったのかえ」

 どこからともなく取り出したティッシュで鼻を拭かれながらこくこくと頷くと、また俺をすっぽりと包み込むように抱きしめ背中をぽんぽんと優しく叩く。

「そんなに怖いのに此処までたどり着くとは、お前は強い子だ。とても強い子だな」

 泣きながら歩いてきた今までの頑張り認めてもらったことが嬉しくて俺はまた泣いた。鵺さまはしばらく「強い強い。お前は強い子だ」と優しい声で誉め続けてくれた。その内少し落ち着いてきたところで、鵺さまは俺の手に小さな木札を握らせた。

「折り返しまで頑張った証しだ。さぁ今からこれを持って山を降りなんだ。お前は強い子だから、できるな?」

 鵺さまは俺の両手をぎゅっと握るとそう言って優しく微笑んだ。散々強い子だと誉められた手前、できないとも言えずブルブルと震えながら頷いた。

「この木札はお守りだ。安心して入り口まで帰るといい。母親が心配している。さあ、行け」

 背中を押されとぼとぼと歩き出すものの結局途中で泣き出してしまいわんわん泣きながら帰った。心にあるのは鵺さまの強い子だと誉めてくれた言葉だ。その言葉だけが勇気をくれた。

 スタート地点でありゴールでもある山の入り口に戻ってくると母親が笑顔で迎えてくれた。走り寄り母親に抱きつきながら俺は鵺さまに言われた「強い子だ」という言葉をひたすら連呼した。

「つよいこだーぼくはつよいこおおおお」

 と泣き止むまで言っていたらしい。

「誰かに会った?」

 優しく問う母に首をかしげる。母さんは握りしめている手を人差し指でトントンとつつく。

「この木札をくれた人」

「あ!黒い人がいた」

 木札を見せると母は嬉しそうに笑った。その木札を受け付けに渡すとお守りが貰える。何のご利益があるのか、簡素ににお守りとだけ書いてある長さが五センチ、幅が一センチで高さが五ミリほどの薄型のアクリルでできた長方形のキーホルダーのような形のものだ。

「これはがんばったご褒美なのよ。大事にしようね」

 握らされたお守りを見ながら大きく頷いた。


 次の年も参加し懲りずに泣きながら鵺さまの元に辿り着き半分呆れながら同じように優しく抱っこされた。

「またそんなに目を赤くして。お前は頑張りやさんだな」

「ちがうよ。ぼくは強い子だよ!」

 そう言うと鵺さまは声を出して笑った。

「すまなんだ。そうだったな。お前は確かに強い子だ」

「おにいさんも強い子だよ」

「そうか。一緒だな」

 俺は大きく頷いた。こんな恐ろしいところに一人でいるのだ。強いなんてものではない。

 一年生の時と同じように木札をもらって帰ろうとすると、鵺さまは屈んで俺と視線を合わせる。

「札を落とさぬようにな」

「うん」

「お前の名前は?」

「幸昂(ゆきたか)」

「幸昂か。よい名だ。幸昂、帰りも気をつけて」

「お兄さんのなまえは?」

「わたしは鵺(ぬえ)と言う。鵺さまと呼ぶと良い。大体そう呼ばれる」

「わかった。鵺さま」

「さぁ行け」

「うん。鵺さま、またね!」

 鵺さまは少し驚いたような顔をしたあと嬉しそうに笑った。

「ああ、またな。来年も楽しみにしている」

 俺は大きく手を降って鵺さまと別れた。今考えれば自分を様付けで呼ばせるとは、なかなかにおかしな事だが当時は特に疑問に思うはずもなく、結局そのままずっと鵺さまと呼んでいる。

 不思議と帰り道は怖くなく、手の中の木札が勇気をくれているような気がした。にこにこと戻ってきた俺を見て母も笑顔で迎えてくれた。鵺さまと話をしたことを興奮気味に話すと良かったねと満面の笑みで聞いてくれた。


 翌年から折り返し地点までの距離が倍になった。年と共に肝試しの怖さも上がるシステムになっていた。足元のライトも少なくなり今までより恐怖の強さが上がったが、俺は何とかクリアし鵺さまに木札を貰って帰ることができた。

 会うたびに頭を撫でられ誉められた。優しく名前を呼ばれるたび何だかくすぐったいような喜びを感じていた。

 小学六年生になると、足元のライトは迷子にならないための道標程度になり、懐中電灯を片手に歩くことになった。今までは夜道を歩くだけだったが途中に脅かす人が待機していたり謎の白い物体が降ってきたりと、なかなか肝試しらしくなった。俺は泣いた。我慢してどうにかなる怖さでは無かった。我ながら気付くのが遅いとは思うが、この時になって自分はホラーがダメな人間なのだということを骨の髄まで理解した。

 折り返し地点に辿り着くなり大泣きしながら鵺さまに抱きついた。俺の背中を撫でながら流石に鵺さまも笑っていた。

「良く来た。今年は怖かったろう?」

「信じらんないよ。人魂がマジ怖かった!」

「身体は大きくなったのに、まだまだ中身は子供だの」

 くつくつと笑いながらそう言って軽々と俺を抱き抱えてくれた。

「ほんに、大きくなった。日々は楽しいかえ?」

「ふつう」

 俺は右手で涙を拭い、左手で鵺さまをしっかりと掴んだまま面白くもない答えを返した。だが鵺さまは「そうかそうか」と満足そうに頷いてくれた。

「何もないのが一番だ。友達は?」

「いるよ。でも今日は来てない。あいつら弱いから肝試し怖いんだ」

 鵺さまはあははと可笑しそうに笑った。

「そうだな。幸昂は強い子だから此処まで来れるのだからの」

 俺は大きく頷く。

 鵺さまの強い子だという言葉は俺の中で一番の励みになっていた。逃げ出しそうになるときは決まって鵺さまの言葉を思い出す。強いから、できるから大丈夫だと自分に言い聞かせると不思議と緊張が解けて落ち着く。もちろんそれでも出来ないことはあるが、次は頑張ろうと思える。

「だが、来年はもっと怖くなるぞ。心して来るのだな」

「ええー! やだ!」

「それは困った。幸昂に会えるのを楽しみにしているのだがなぁ」

「……来ないとは言ってないし。来るし」

「そうか。それは良かった」

 笑顔の鵺さまに俺は抱きついた。来年の肝試しの怖さを想像するだけで泣きそうだが頑張るしかない。

 中学生になり身長がかなり延びた。

 それでも鵺さまにはまだ届かないがクラスでは背の高い男子三位以内には入る。

 中学生になると肝試しのコースは本格的になる。道案内程度の明かりは更に暗くなり、懐中電灯で照らした部分だけが視界になる。まるで予告だけで一生手を出さないと決めたホラーゲームのようだ。

 積極的に脅かしてくるお化けは存在せず、反射版を全身につけた、懐中電灯で照らすと蛍のようにボーッと光る人が点在していた。最初の人と二人目の人の時は悲鳴を上げてしまったが、三人目からは我慢した。黒い仮面を被っていて顔はわからないが前を通るとき手を降ってくれるので恐らく安全のために立っている人なのだろう。何の予告も無しに懐中電灯の光を当てると浮かび上がるように現れるため毎回悲鳴を上げそうになるが、同じようなものに頻繁に悲鳴を上げるのはあまりに情けなくどうにか必死に堪えた。

 謎の動物の鳴き声や、さわりと手をかすっていく謎の感触など、小さな悲鳴をあちこちで上げながら、なんとか折り返し地点にたどり着くと鵺さまは去年と変わらず「良く来たな」と迎えてくれた。

「今年は泣かなかったのかえ。怖かったろう」

「我慢した。最初は悲鳴あげたけど」

 鵺さまは面白そうに笑った。

 鵺さまは一年ぶりに会った俺の成長ぶりにかなり驚き、身長と共に体重も増え抱き上げることなど誰もできなくなった俺を両脇の下に手を入れ子供のように軽々と抱き上げた。気合いを入れることもなく構えることもなく、鞄を持ち上げるような軽い動作で、言わば高い高いをされている格好になった。

「鵺さま…力ありすぎじゃない? 俺結構重くなったんだけど」

 足をブラブラさせたまま俺は苦笑する。

 鵺さまは、さも不思議そうに首をかしげた。

「いいや全く重くないぞ。もう少し肉をつけて鍛えた方が良いのではないか? ひょろひょろではないか。栄養が足りないのか?」

 眉間に皺を寄せて鵺さまは俺を左右に少し振る。足が振り子のように揺れた。何だか人間に抱き上げられてる猫の気分だ。

「ちゃんと食べてるけど一年でかなり伸びたから。でもひょろひょろではないと思うんだけど」

「いや、私の知っている男はもっと重い」

 鵺さまの発したその言葉が、何故か胸に刺さった。ざわざわとした言い様のない気持ちが重苦しくのしかかる。

「どうした?」

「なんでもない!」

 理由のわからないその気持ちを吹っ切るように明るい声で返した。

「ちゃんと肉つけるよ」

「それがいい。人間は体が資本だと言っていた」

 鵺さまはそっと俺を地面に下ろした。

 自分ではない誰かとの話だ。

 自分ではない誰かが鵺さまと親しげにした世間話の話だ。肝試しに参加している子供は俺だけじゃない。鵺さまと会っているのは俺だけじゃないんだ。

 そんな事は十分知っている。肝試しに参加する人間は多い。俺の前にも出発した人間が居たいし後に待っている人も居る。けれど、鵺さまの口から俺以外の人の話が出た事が初めてだった。自分だけの特別な人を盗られたような気がした。

 なんとか明るく振る舞い、いつも通り木札を貰って鵺さまに手を振りながら山を下り、木札とお守りを交換してもらい一人で帰途についた。中学生だから一人で大丈夫ね、と今年から母は付いてこない。肝試しの会場までは自転車で二十分ほどの距離だ。車の通りが特別多い道も、極端に人通りが少ない道もなく、比較的安全な道を通っていけるため一人でも問題はない。

 神社が開催するのは肝試しだけで、アイスとジュースの自動販売機とたこ焼きを売っている屋台がポツンとあるだけでお祭りのような雰囲気はない。賑わう程度の参加者しかいない肝試しは七時に小学生がスタートし中学生からは八時のスタートになる。中学生の参加者は二十人ほどでその中に見知った顔は一人も居なかった。クラスメイトには肝試しなんて馬鹿馬鹿しいと一蹴された。女の子と二人や友達同士でわいわい参加できれば青春の一コマにでもなるだろうが一人参加では名の通り肝試しだ。何故わざわざ一人でしなくてもいい怖い思いをしなければならないのかと。

 なぜなのか、それは参加したものにしか分からない。いくら説明したところで理解できるわけもない。言葉では伝えきれない。

 狭い閉塞感のある中で、はりぼてのお化けが機械仕掛けで脅して来るわけではない。自然の森のなかを沸き上がるような恐怖に耐えて歩く怖さはお化け屋敷とはどこか違う。木札を貰い、帰って来た時の達成感もかなりある。

 でもまぁ、どんなに偉そうなことを言っても、俺の目的は結局のところ鵺さまなのだ。鵺さまが待ってくれているから暗闇を抜けていける。

 来年は話がしたいと思った。いつもは鵺さまに誉めてもらって木札を貰って帰るだけだが、鵺さまの年齢とか普段は何をしているのかとか。神社の肝試しに主催者側で参加しているのだから神主さんの可能性もある。

 そこでふと気になった。主催している神社はどこにあるのだろうか。そう言えば名前も知らない。肝試しが行われている山は神社がある山ではない。入り口に鳥居が有るものの建物は何もない。何かが奉ってある祠も見たことがない。

 なんて間抜け話なんだ。七年も参加していて今更そんなことに気がつくなんて。

 家に帰ると母にきいてみた。最初に連れていってくれたのは母なのだからな何か知っているだろう。

 だか答えは「そう言えばどこの神社なんだろう?」だった。

 母の時に木札を渡してくれていたのは鵺さまではないようだった。年齢的にも当たり前の話だが何故だか意外な気がした。さらりとした黒髪を後ろで一つに束ねた二十代の見目麗しい男の人だったらしい。初恋だと言っていたのにどこの誰かもわからないとは理解できない。そう言うと「ミステリアスなところがいいのよ」と頬を赤らめていた。ミステリアスの欠片もない至って普通の父を持つ身としては更に理解できなかった。



 翌年、肝試し当日俺は熱を出していた。正確には二日前に本格的な風邪を引いたのだ。肝試しに行かなければと思い一ヶ月も前から体調には気を付けていたのだが、肌寒いと思ったのに録りためていたドラマに集中しすぎてそのままクーラーの効いた部屋で長い間過ごしてしまい、その日の夜に熱を出した。

 自分のアホさ加減に腹が立つ。中々熱が下がらず肝試し当日も三十七度近い熱が出ていた。母親には平熱になったと嘘をつき精一杯健康な振りをして肝試しに参加するために家を出た。もう熱を出してから二日も経っている。快方に向かってるのだから肝試しに参加しているうちに良くなるに違いない。

 そう思っていたのに、肝試しの受付をして順番を待っている間にまた熱が上がったらしい。なんだかフラフラする。

 風邪を移したら困るなと思い他の参加者とは距離をあけて座る。

 順番になり去年と同じ道を進みながら、何度かふらついてこけそうになる。このまま鵺さまに会ったら怒られるかもしれない。けれど自分の不注意で七年も毎年もらっていたお守りを諦めるわけにはいかないし、一年も楽しみにしていた鵺さまに会える日を棒に振るなんてできる訳がない。

 どこまで歩いたんだろう。後どのくらいで鵺さまのところに着くんだろう。鵺さまのところまでの道のりが、とてつもなく遠く感じる。

 体の調子がどんどん悪くなるのがわかる。けれど今夜耐えることができればいい。家に帰ってから思う存分寝れば良いのだから。

「あわっ、と」

 倒れそうになるのをなんとか踏ん張った瞬間、鵺さまの声がした。

「この馬鹿者!」

 顔を上げると鵺さまがすごいスピードで前から走ってくるのが見えた。

 どこまで歩いてきたのかはわからないが、少なくとも折り返し地点ではない。何で鵺さまが、と疑問に思う間もなく頭をはたかれた。

「何をしている! なんだその様は?!」

「え?」

「え、では無い!」

 額に手を当てた鵺さまは驚いた顔をして俺を無理やり地面に座らせた。

「熱があるではないか。今すぐに帰れ。下まで送って」

「嫌だ!」

 自分でもビックリするほど大きな声が出た。

「嫌ではない。ふらふらと歩いて馬鹿者が! そんな状態で」

「嫌だってば!」

 熱のせいか感情のコントロールがうまく出来ずに、何だか少し涙まで出てきた。

「い、いままでずっと! 集めてきたんだから、今年も絶対鵺さまから木札貰って帰る!!」

 鵺さまは目の前に居るのに、俺はそう宣言すると立ち上がり早足で歩き出した。視界がふらふらとしてる上に涙で曇り、まっすぐ歩いているのかわからない。

「その体では無理だ」

 すぐに鵺さまに腕を捕まれる。

「帰れ」

「絶対やだ」

「帰るんだ。お前は病にかかっている」

「ただの風邪だから大丈夫だよ。お守り貰って帰って寝れば治る」

「それが無理だと言っている」

 鵺さまの口調が厳しくなる。怒っているのは分かるが俺だって引けない。

 今日をどれだけ楽しみにしていたのか、きっと鵺さまには分からないだろう。鵺さまにとって俺なんてたくさんの参加者の中の一人にしか過ぎないだろうが、俺にとっては一年にたった一回の大切な日なんだ。一年に一回しか鵺さまに会えないのだから。今日を逃したら、次は一年後にしか会えないのだから。

「絶対帰らない」

「このクソガキがあああ」

 鵺さまが吠えた。俺はビクッと肩を震わせる。だが負けるわけにはいかない。

「帰れ! お前のような奴にやるお守りはない!」

「嫌だ! 参加したからには貰って帰る!」

「やらん!」

「鵺さまのバーカ! 絶対貰って帰る…から」

 大声を出したせいか、ふらりと視界が歪んだ。鵺さまに抱き止められて倒れそうになったのだと気付く。

「だから、無理だと言っている」

「やだ。だってお守りしか、鵺さまとの思い出、無いのに。絶対欲しい」

 本格的に泣けてきた。何を子供みたいな駄々のこね方をしているのかと自分でも情けなくなるが、熱のせいかそれよりも悲しさの方が勝った。

「まったく仕方のないやつだ。本当に」

 鵺さまは心底呆れたようにため息をついた。

「だって、だって。今日しか会えないのに」

「何だ。そんなに私に会いたかったのかえ?」

「鵺さま、俺の事誉めてくれるから。それが嬉しくて。だから俺は色々がんばれるから」

 俺を支える鵺さまの手に力がこもる。

「…そうか。だが今日だけは誉めてやれないな」

 鵺さまは俺を軽々と肩に担ぐ。本当、力強すぎだよ鵺さまは。

「病気の人間は死にそうで怖い。家まで届けよう」

 優しい声でそう言って、鵺さまは歩き出す。

「や…だ」

 口では否定したものの、下ろせと暴れる力もない。鵺さまに荷物のように担がれながら俺は意識を手放してしまった。



 額にひやりとしたものが触れた。

 冷たいけど気持ちが良い。うっすらと目を開けると鵺さまが見えた。

「すみませんねぇうちのバカ息子が!」

 母さんの声がする。

「ほんに、とんでもないバカ息子だな。こんなに強情だとは思わなんだ」

 鵺さまひどい。否定してくれてもいいのに。

「お前に似ているのかもな」

「酷いです。私はここまでないです」

 ちょっと母さんも酷すぎじゃないだろうか。そこは息子を庇うところじゃないのか。

 鵺さまの楽しそうな笑い声が聞こえる。いいな母さん。鵺さまと楽しそうに話せて。俺なんて今年は会ってすぐに怒られただけでまともに会話すらしていない。

 自業自得だけど…。

「明日は病院とやらに連れていったほうがよかろう」

「大丈夫ですよ。相変わらず心配性ですねぇ」

「心配しなくても良いようになってくれるといいのだがな」

「うーん。それもなんだか寂しいから、やっぱり心配しててください」

 閉口してる鵺さまの気配を感じる。母さんは昔からこうだ。なんというか、ああ言えばこう言う。勝てたためしがない。

「それに、鵺さまに心配してもらえなくなったら、この子泣いちゃいますよ」

「そうなりそうで怖いの。ほんに泣き虫だ」

「でも、強い子でしょう」

 母さんの言葉に楽しそうに笑う鵺さまの声が聞こえた。

 それからも母さんと鵺さまの話す声は続いていた。何を話しているのか聞きたかったが俺の意識が持たなかった。二人の声を聞きながら深い眠りに落ちていった。



「母さんて鵺さまの事知ってたの?」

 朝から病院に行き治るまで動かないようにとキツく注意され帰ってきてから昏々と眠り続け、その日の夜には食欲も出てお粥をすすりながら母さんに尋ねた。

 昨日の会話は明らかに顔見知りの気軽さだった。

「そうなのよ。母さんの時はサラサラへアーだったから同じ名前の違う人だと思ってたら、同じ人だったのね」

 弾んだ声で懐かしそうにそう言った。

「鵺、なんて名前そう無いだろ」

「肝試し用の役名だと思ってたのよ。昨日聞いたら本名だって」

「へー」

 珍しい名前だなぁ、と思いながら一つどうしても腑に落ちない疑問が浮かぶ。母さんの話が本当なら母さんが小学生の時から鵺さまは肝試しに参加していることになる。だが、どう見ても鵺さまは母さんより年上には見えない。

「あのさ、母さん」

「なに?」

「鵺さまっていくつ?」

「はっきりとは知らないの。母さんより年上なのは確かなんだけどね。いつまでも若いわね」

「若いってもんじゃないよね」

「まあ、肝試しだから。本物が参加しててもおかしくないわ」

 母さんはサラッとそんな事を言う。

 いや、おかしいだろ。

 本物って、なんというか本物なのか。考えれば考えるほど得体の知れない怖さに苛まれそうで、それ以上深く考えるのを止めた。

 鵺さまは母さんに今年のお守りを渡してくれていた。途中までしか行けていないので本来お守りは渡せないのだが、執念に免じておまけだそうだ。おまけなので小石につまずいたときに踏ん張ることができるくらいの些細なご利益しかないらしい。え、それってご利益なの?と思ったが元々ご利益を期待しているわけでもないし、深くは気にしないことにした。

「あのさ、母さん」

「なに?」

「鵺さま、怒ってた?」

「怒るっていうか、呆れていたわね」

 そう言う母さんの声も呆れ気味だ。

「あんな状態で肝試しに無事に参加できても、帰り道で倒れていたらどうするつもりだったの?」

「そこまで考えてなかった」

「だからバカって言われるのよ」

 言い返せない。

 確かにバカなことをしたと思うが、行かないという選択肢は無かったのだ。何がなんでも参加して鵺さまに会いたかった。肝試しの間くらい持つだろうと思ったのに、風邪は侮れない。

 来年は特に体調に慎重になろうと心に決めた。最後の肝試しは楽しいものにしたい。


 そして、それから一年後の明日。

 最後の肝試しが始まる。


 朝起きてから肝試しに出かけるまで、ずっとそわそわして過ごしていた。母さんに気が散るからウロウロするなと怒られた程立ったり座ったり歩いたりと、まったく落ち着かなかった。どうにもこうにも落ち着かないからと早めに家を出ることにした。

 肝試し会場についたのは中学生の部が始まる二時間も前で、まだ自分の番を待つ小学生がかけっこやじゃんけんで遊んでいた。

 なんだか懐かしい。 初めて 鵺さまに会ったのは九年も前になるのだ。

 用意してあるベンチに座って順番を待ちながら参加している小学生を見ていた。何人かは途中で引き返してしまったり、一人じゃ嫌だと泣き叫び母親を呆れさせる子供も居た。

 無事に行けた子も行けなかった子も、自分の中の恐怖心と戦った結果だ。いいも悪いもなく、皆素晴らしい。中には、散歩に行くかのようにスタートし何事もなかったかのように帰ってくる子も居て、小学生ながらすごい子だと戦慄した。年下だが師匠と呼びたい。

 親に頑張って行ってみなさいと背中を押される子供を見て自分もあんな風に送り出されたのかな、と思う。

 送り出してくれた母に今は感謝だ。

(肝試しって楽しいよな)

 ふとそう思った。鵺さまもそう思っているのだろうか。

 中学生の番になり、受付で順番を最後にしてほしいと頼むと快諾してくれた。

 これでゆっくりと鵺さまと話ができる。

 等と甘いことを考えていた自分を張り倒してやりたい。

 最後だからなのか。肝試しが肝試し以外の何物でもなかった。顔が口だけの謎の人形にシャーシャー威嚇され叫び、土から生えてる人の腕に手を振られこの世に別れを告げろと言われているのかと恐怖におののき、道の端に後ろ向きで立っているどこかの制服を着た女の子の顔が振り返ったらのっぺらぼうで、ほげぇっ、と自分でも謎の叫び声を上げ、去年もあった人魂に去年より驚き腹の底から悲鳴を上げ、俺はダッシュでコースを走り抜けた。

 止まったら死ぬと思った。涙が出てきた。絶対鵺さまに文句を言ってやる。

 折り返し地点に息も絶え絶えたどり着くと、大笑いしている鵺さまが待っていた。

「ぬ、鵺さま! 今年怖すぎ!!」

 会えた感動を味わう間もなく文句を言う。笑いながら待ってるのも腹が立つ。怖いの苦手なの知ってるくせに。

「お前、そんなでかい図体で涙でるほど怖がって大丈夫かえ」

 鵺さまは俺を見て腹を抱えて笑っている。あんなに楽しそうな笑顔は初めてみたぞ。

 息を弾ませながらいつものように扇形の石に腰かけている鵺さまの元によろよろと歩み寄る。

「あんな、怖いもの用意するからだぞ!」

「何を言っている。おまえ以外の同い年の奴等は今年は肝試しっぽくて良かったと言っておったぞ」

「え、嘘だろ」

 世の中は一体どうなっているんだ。そんな鋼の精神を持った奴等が今は普通なのか?

「お前はほんに、そんなんでよく毎年欠かさず参加したものだな。偉いぞ」

「自分でもそう思う。横、座ってもいい?」

「いいぞ」

 吹き出る汗に手を団扇代わりに顔を扇ぎながら、鵺さまの隣に腰かける。

「鍛えているのか?」

「え?」

 鵺さまは俺の腕を掴むと筋肉を確かめるように揉んだ。

「去年はまだひょろひょろだったが、今年は逞しいな」

「そう思う?!」

 俺はシャツの腕を捲り上げ、自慢げに鵺さまの目の前に出した。ムキムキではないが、力こぶができるほどには鍛えた。一昨年に鵺さまと約束してから、運動部に入部し鍛えるようになった。去年もかなり逞しくなっていたと思うのだが、何せ風邪騒動でそれどころではなかった。更に逞しくなった自分をやっと鵺さまに自慢できた。

「健康的で何よりだ」

 満足気な鵺さまに俺も満足だ。誉められたのがものすごく嬉しい。

 中々おさまらない汗を手で拭いながらなんとなく空を見上げると、空を覆い尽くす星空が広がっていた。ちょうどこの石の真上が広く木の切れ間になり空が一望できるのだ。

「すごいなぁ」

 思わず声に出すと、そうだろう、と鵺さまが自慢げに言った。

「肝試しの参加者が来るのをいつも空を見ながら待ってたりした?」

「ああ、恐怖に震えながらやって来る参加者を想像しながら星を見るのはなかなか楽しくてな」

 思いの外、悪趣味な事を考えながら星を見てたんだなと思ったが口には出さなかった。

「あ、鵺さまって母さんの事知ってるんだよね。母さんも肝試しの参加者だったんでしょ?」

「ああ、お前の母な」

 鵺さまは苦笑しながら眉間に皺を寄せた。

「あれは物怖じしない娘でのー。肝試しに顔がいい男がいると同級生に言っても信じてもらえないから、証拠として一緒に写真を撮れとしつこくてな」

 まさかそんな理由で鵺さまに絡んでたのか母さんは。

「写真は写りたくないと言うても聞かずに、なんとか隠し撮りをしようとあの手この手で頑張ってたな。最後の肝試しは途中の仕掛けに驚くこともなく、写真を撮れなかったことをただ悔しがりながら山を降りてたの。とんでもない娘だと思うてたわ」

「そうなんだ…」

 話を聞いてて恥ずかしくなってきた。聞かなきゃ良かった。

 俺は母さんの話は切り上げて本題に行くことにした。

「ねえ鵺さま」

「何だ」

「俺、来年から参加できないじゃん?」

「そうだな」

「携帯番号教えて」

「持ってない」

 即答だった。そんな馬鹿な。今のご時世携帯持ってない大人なんて存在するのか?

「嘘つかなくてもいいじゃん。持ってるんでしょ?」

「嘘などついていない。本当に持っていない」

 鵺さまはムッとして俺を見る。本当なのか?

「だって、連絡ってどうやって取るの? 今回の肝試しとか」

「肝試しの時期になると主催してるやつの家に行くからな。別に連絡を取り合う必要はない」

「えー何それ!」

 どういうシステムなのか。訳がわからない。

「じゃあ俺はどうやって鵺さまに連絡とればいいの?! 今日でもう会えなくなって終わり?! そんなのやだ」

 せっかく止まった涙がまた出てきた。鵺さまにとって俺が特別な人間ではないってことは重々わかってたつもりだけど、あまりにもあっけなさ過ぎる。

 これでもう終わりだなんて俺が悲しすぎる。

「泣くな馬鹿者が。本当に携帯電話は持っていない」

 鵺さまが焦った顔で俺をみる。

「私は持っていないが、知り合いの人間が持っている。そやつに電話すればいい」

「その人はどうやって鵺さまに連絡とるんだよ。やっぱり実は持ってるんじゃ」

「違う! そいつは俺の居場所まで跳ぶことができる。だから連絡がとれる」

「とぶ…?」

 飛ぶ?跳ぶ?翔ぶ?どの字を当ててもどういう意味なのか分からない。

「とにかく、そやつに電話すればよい。メールとやらでもいい。番号言うぞ」

 俺は慌てて自分のスマホを取り出すと、鵺さまの言う番号を押した。

「そいつに鵺に連絡が取りたいと言えばいい」

「わかった」

「そう、え、あ! 待て! 今掛けるでない!」

 鵺さまの制止を振り切って俺は早速その電話番号に発信する。もし、この番号が嘘だったらこの場で号泣してやる。

 三回ほど呼び出し音が鳴ったところで若い男の人が出た。そこで俺は電話の相手の名前を聞いてないことに気付いて口ごもる。どうしよう。

『もしもし?』

「あ、あのすみません。鵺さまからこの番号を聞いたのですが!」

『鵺から? ああ、もしかして肝試しの子かな?』

「た、多分」

 鵺さまが誰の話をこの人にしているのかはわからないが、俺も肝試しの子には違いないだろう。けど、自信はなく返事は「多分」になってしまった。

『話は聞いてるよ。去年は無理したんだって? 今年は大丈夫なのかな』

「はい。今年は万全です」

『それは良かった』

 優しい声だった。去年の話を出されるってことは俺の事で間違いなさそうだ。鵺さまはどんな風に俺の事を話しているのだろう。やはり馬鹿な子だと話しているのだろうか。だとしたら誰かとの話の種に俺が出るのは嬉しいことだが複雑な気分だ。

『鵺は近くにいるかな。会話をスピーカーにしてもらえる?』

 はい、と返事をして通話をスピーカーにする。鵺さまの事を鵺、と呼び捨てにしてるこの人は、かなり鵺さまと親しいのだろう。

 とても羨ましい。

『鵺、聞こえてる?』

「なんだえ」

 鵺さまはぶっきらぼうに返事をする。

『だから言ったろ? 携帯電話を買った方がいいって』

 からかうような笑いを含んだ声で男の人はそう言った。

「五月蝿い。私は縛られるのは嫌いなんだ」

『いい機会だろ。縛られるばかりじゃないこともそのうち分かるよ』

「毎日その携帯とやらを確認するのが面倒臭い上に使い方を覚えるのも面倒だ。何より連絡を待つのが嫌いなのだと言ったろう」

「じゃあ鵺さまから連絡ちょうだいよ」

 俺は男の人の援護をすることに決めた。鵺さまが携帯電話を持ってくれるならこんなに嬉しいことはない。

「俺、待ってるから。いつでもいいからさ」

『そうそう。鵺から連絡を取るようにすればいい。彼も自分の好きなようにメールを送るだろう。鵺も好きなときに連絡をすればいい。使い方はその内覚える』

「だから、それが面倒なのだ!」

 鵺さまは忌々しげに頭を掻き回す。

「まったく七面倒臭い物を作りおって!」

 鵺さまはそう吠える様に言った後、観念したのか大きくため息をついた。

「試してみる、が、やはり性に合わんと思ったらすぐにやめる」

『もちろん。その時は俺が連絡役を買って出るよ』

「幸昂」

 鵺さまはニヤニヤしている俺の名をぶっきらぼうに呼ぶ。

「携帯電話を手に入れたらお前に連絡をいれるが、期待はするでない。持ち歩かない可能性の方が高い」

「わかった! その時は今の電話の人にかける」

 自然と浮かれた声になる。これでいつでも鵺さまと連絡がとれる。今まで会うのに一年待っていたのだから、少しくらい連絡がとれなくても全く気にしない。

 鵺さまは俺の頭に手を乗せると、子供をあやすようにぽんぽんと軽く叩いた。

 構ってもらえるのが嬉しくて鵺さまを見上げると、少し悲しそうに笑っていた。

 俺はそこで初めて、もしかして本当に嫌なのではと心配になった。心底嫌だと思ったことはしない性格だと勝手に思っていたのだが、俺が泣くのが不憫で嫌々ながら承諾してくれたのかもしれない。鵺さまは何だかんだと言いながら優しいから。

「鵺さま、ごめんね。なんか無理な事言って。本当に気が向いたときだけ返事くれればいいから」

「いや、お前の成長を見るのはきっと楽しいだろうと思ってな。永く、頼むな」

「それはもちろん」

 俺はガッチリと親指を立てた。

 帰り道でまた悲鳴を上げながらスタート地点まで戻り、最後のお守りをもらった。

 黒に金色で「御守り」と書かれており、何だかご利益がありそうな雰囲気だ。

 これで全てが揃った。

 これは一生の宝物になる。


 それから一ヶ月後、鵺さまからメールが来た。

『つかいかたをおぼえている』

 という、何とも微笑ましい一文だった。それからの鵺さまは早かった。あっという間に完璧に使いこなすようになり、なんとSNSにまで手を出した。人気のパワースポットに行き、自撮りの写真まで送ってくるようになった。

「鵺さますごすぎ」

 町で知り合った名も知らない女子高生と人気のスイーツを食べている写真が送られてきたときには目玉が飛び出るかと思った。硬派だと思ってたのに、意外とチャラい。写真嫌いは克服したらしい。

 何だか昔っぽかった口調もかなり現代人らしくなった。

 鵺さまは俺とも出掛けてくれた。母さんと父さんも入れて四人で食事をしたりもした。母さんも大喜びだった。

 俺に初めての彼女ができたときは、デートスポットの下見にも一緒に行ってくれた。彼女と喧嘩したときは真剣に相談に乗ってくれたこともあった。

 鵺さまはいつも楽しそうだった。

 二十歳を過ぎると、流石の俺でも確信することがある。わかっていたが、今まであまり深く考えたことは無かった。

 鵺さまは全く年をとっていない。恐らく俺が小学生の頃から、いや、母さんが子供の頃よりずっと前から生きている人ではない何かだ。

 だからといってなにも変わらない。鵺さまは鵺さまだ。

 大学を卒業し就職してから一人暮らしを始めると、鵺さまはフラりと泊まりに来ることが増えた。朝まで酒盛りをしたり、仕事のアドバイスを求めたり、相変わらず頼れるお兄さんだ。

 彼女に紹介すると言ったとき鵺さまは難色を示した。

「止めた方がいい。得体の知れないものだと、お前が嫌なことを言われるかもしれないぞ」

「俺は家族ぐるみで鵺さまと繋がりたいんだ。鵺さまを受け入れない人と結婚するつもりはない」

「その女と結婚を考えてるのか。尚更私は関係ないだろ」

「関係ある。俺は一生鵺さまと友達でいたいから彼女にも鵺さまと仲良くしてほしい。鵺さまが会ってくれないなら俺は一生独身だな。あーあーやだなー」

 わざとらしく俺は大きく溜め息をついた。鵺さまは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

 それから一週間後に家に彼女が来るから鵺さまも来てくれとメールを送ると、ものすごく渋々と言った顔で鵺さまは現れた。彼女に気を利かせたのか、テレビで人気のシュークリームを手土産に持ってきたのには笑ってしまった。携帯電話ももっていなかった鵺さまが、今は最新スイーツを知っているのだから。最初は彼女とギクシャクとしていたのだが、段々と打ち解け彼女の俺に対する愚痴を聞かされたりしたようだった。

「女の愚痴は返し方がわからん」

 と、ぶつぶつ言っていたが嫌ではないらしかった。

 その内結婚し、鵺さまにも無理を言って式だけ参加してもらった。釣ったばかりの見たこともない大きな鯛を差し入れされた。

「めでたい時には鯛だと聞いた」

 まだ元気に跳ねる鯛を鷲掴みにし、どや顔で現れた鵺さまは面白…いや、最高だった。

 嬉しくて鵺さまの前で久しぶりにわんわんと泣いた。

 子供が生まれると、鵺さまは頻繁に面倒を見てくれた。人の子供の面倒を見るのは久々だと、とても楽しそうだった。一人目に続いて双子が生まれると、一層喜んだ。

 嫁は鵺さまがあやしてくれるお陰で大分助かると言っていた。

 子供が言葉を話すようになると鵺さまを間違えてお父さんと呼ぶことがたまにあり、鵺さまはそれは喜び父である俺は子供に忘れられはしないかとヒヤヒヤしたものだ。

 鵺さまはずっと子供たちの成長を見守ってくれ、子供たちも年を取らない鵺さまをそのまま受け入れ、今では孫の面倒まで見てくれている。

 あまり体を動かせなくなった俺の隣に鵺さまが座り一緒に覚えた将棋を指すのがとても楽しい。

 ある日とうとう、俺は寿命を迎えた。担ぎ込まれた病院の枕元には、思い出の御守りが揃っている。妻に持ってきてもらったのだ。これだけは出来るかどうか分からないが、あの世に持って行きたいと思っている。

「鵺さまに会えて良かった」

「それはこちらの台詞だ」

 鵺さまはボロボロと泣いていた。初めて鵺さまが泣いているところを見た。出来れば一生見たくなかったが、それはあまりに酷な願いだろう。

 中学三年生の時、連絡先を聞いた俺を少し悲しそうに見た鵺さまの気持ちが、今わかった。必ず俺が先に死ぬことを鵺さまは判っていたから悲しそうだったんだ。

 仲良くなればなるほど、別れは辛い。必ず見送ることになるのを承知の上で鵺さまは俺と仲良くなってくれたのだ。

 何て強くて優しいんだろう。最後まで鵺さまに甘えっぱなしだった。

 黒い瞳から後から後から溢れてくる涙を拭いとって上げる力も、もうない。

 俺はとても楽しく長生きすることができた。ただ一つの心残りは鵺さまに悲しい思いをさせてしまったこと。でもどうか出会わなければ良かったと、繋がりを持たなければ良かったと思わないでほしい。自惚れなんかじゃなく鵺さま楽しいこともあったでしょう?

 俺は鵺さまのお陰ですごく楽しい人生だった。俺の子供達も鵺さまの事が大好きだ。

 鵺さまに出会えて本当に良かった。

 ありがとう。

 最後にそう告げたかったのに、もう老いた体では言葉を発することもできない。

 初めて会ったとき、強い子だと誉めてくれたのを思い出す。それから堰を切ったように思い出が溢れてくる。

 永く、楽しい日々は幸せの中で光に溶けていった。


 終わり












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鵺の夜 @nanakusakou

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