異世界は優しい世界ですか?

第Ⅳ工房

第1章 異世界でケモ耳に愛を叫ぶ編

第1話 居眠りから始まってしまった異世界転移曲

 人類に愛と平穏を。

 不可能だ。愛を抱く善がいるように、平穏を摘み取る悪がいよう。


 心に正義と優しさを。

 不可能だ。全人類がそんなものを持っていれば、悪も罪も生まれまい。

 

 世界に安息と救済を。

 不可能だ。人は悪がいては安らげまい。人は正しさだけを救えまい。


 この世界に神はいない。

 ならば――――俺が神になればよい。人が人を救えぬのであれば、自分が人を超越した存在になればよい。その神の座に誰も座らぬのであれば、俺が座ろう。


 そして創ろう。新たな世界を。つまらぬ悪心も、下らない企みも、理不尽な悲しみも、やりきれぬ怒りも、冷たく暗い絶望も、俺がこの手で終わらせよう。それこそ、俺が目指す世界――――優しい世界なのだから。







「知るか馬鹿! そんなことよりイベント周回だ!」

「んなもんテキトーにしとけ! 行くぞ十真とうま!」


 必死の抵抗も空しく、俺は兄貴に無理矢理連行されてしまった。

 現在の時刻は22時。柔らかなベッドに転がりながら、最近ハマっているソシャゲの周回をしていたその時、突然兄貴が「夜のドライブに付き合え」などと面倒な誘いを持ち掛けてきた。お断りだ馬鹿っ! 最近、運転免許取ったからって調子に乗って! そんな事よりソシャゲの周回だ! 今回のイベントめっちゃうまいんだよォ!


「嫌だぁぁ! ドライブくらい一人で行け馬鹿兄貴ィ!」

「文句言うな! 代わりに海老名サービスエリアの名物メロンパン奢ってやるから!」

「よっしゃ行こう兄貴、すぐ行こう」


 よし気が変わった。何がソシャゲの周回だ。電子データに本気になるとか馬鹿じゃないのか? そんな事よりうまい飯だ。ラーメンもつけてもらおうか。


 兄貴は俺の変わり身に呆れながら、父さんの車の鍵を借りてエンジンをかけた。俺も兄貴の運転する車の助手席に座る。俺、乗り物で文字見ると酔うからソシャゲ出来ねぇけど……まぁ、メロンパンのためだ。仕方ない。フランクフルトも追加しよう。


 軽いような、重いような、何とも言えない音を立てて車のエンジンが入る。座席に伝わる微妙な振動に身を預けつつ、シートベルトをつける。


「全く、こういうのは彼女としろよなぁ」

「馬鹿言え。彼氏が親の車で迎えに行くとか有り得ねぇだろ」


 それもそうか、とお互いに笑いながら、俺達は出発した。

 コンビニや他の車のヘッドライトに照らされた街中を走り抜けると、兄貴は夜闇を貫くように真っすぐ伸びている、大きな高速道路に出た。


「兄貴も好きだよなぁ、車。免許取ってからほとんど毎日乗ってるだろ?」

「そりゃ好きさ。十真は嫌いか、ドライブ」

「…………いや、悪くないかも」


 兄貴は俺の答えに、嬉しそうに「だろ?」と答えた。まぁ、好きか嫌いかで言われたら好きだ。早く、鋭く、風を切って前へ進む感覚に心が沸き立つ。でも安全運転でお願いします。不運ハードラックダンスっちまうのはお断りだ。


「十真こそ、彼女の一人もいないのか? もう高一だろ? お前見た目いいんだからすぐ出来るだろうに」

まだ・・高一だって」


 そう言う兄貴だって、容姿はとても整っている。父さんも母さんも美形だし、同じ血を引いている俺もそれなりには悪くない見た目だと思う。けどなぁ……。


「なんか……同級生とかには興味ないかな……」

「夜中はほとんど毎日こそこそヤってるのにか?」

「ちょ、ハァ!? 何で知ってんだよ!?」

「俺の部屋の前の床、けっこう軋むからな。お前が通れば分かる」


 けらけらと機嫌良さそうに兄貴は笑う。俺はいたたまれない気持ちになり、窓の外へと顔を向けた。仕方ねぇだろそれは……俺も男なんだから……。くっ、いちいち致すのにトイレ行ったのがまずかったか……。次からは何か対策を考えなければ……。


「お前も捻くれてるな。本性はスケベ大魔王のくせに」

「そんな不名誉な称号いらねぇ」

「おっぱいとパンツどっちが好きだ?」

「どっちも」

「終身名誉大魔王おめでとさん」


 馬鹿を言っちゃいけません。その二つは相反するものでない故、どちらか片方などと選ばずともよいのです。偉い人には分からんのです。

 その時、車のワンセグから夜のニュース番組の音声が流れて来た。


“人気グループ【あめあがり】のメンバー、雨龍さんの不倫問題について…………”


 またこんなニュースか、下らない。いつからニュースは人の不祥事だの不倫だのばかりを知らしめる存在になったんだ。

 こんなニュースには興味が無いので、無言でワンセグのチャンネルを切り替える。


“先日三日に判明した、第二中学校における校長の生徒に対するセクハラ…………”


 こっちもこんなニュースかよ、あほくさ。もう一つチャンネルを回す。


“芸能人のォ私生活密着!”


 知るか。またこういう内輪ノリ番組か。自分語りしてお金貰うなんていい身分だな。俺の兄貴は毎日残業して、疲れた顔して帰ってくるのに。

 嫌になって、ワンセグをオフにしてしまった。ぼふ、とシートに思いっきり寄りかかる。……今はどこにいても、何をしても、色んな情報が耳に入ってくる。過多と思えるほどに。そして決まって下らない情報ばかりが飛び込んで来る。何でこんなんばっかなんだ、この世の中は。


 この世界は、悪意で歪んでいる――。


「お前、ほんとテレビ嫌いだよな」


 俺の様子をチラ見していた兄貴が仕方なさそうに言う。そりゃ、ね。


「だって意味分かんねぇし。どこも自分たちの言いたい事ばっか言って、だから何だって話だよ。誰それの不倫とか不祥事とか、一度流すだけならまだいいさ。でも、毎日何度も同じような事聞かされてちゃ嫌になる。そんな事よりもっと他にニュースあるだろ」

「例えば?」

「…………それは、分かんねぇけど」

「若いなぁ十真は。いや、ほんとガキだ」


 兄貴はくつくつと、仕方なさそうな表情で笑う。それから、また言葉を続けた。


「テレビだってビジネスさ。数字が取れない明るいニュースより、数字が取れる暗いニュースの方を優先させるもんだ。テレビだけじゃない。世の中、楽して利益が取れるんなら誰だってそうする。欲望の前には正しさなんて吹き飛ぶさ」

「何だよ、それ……。人生、もっと明るくて優しいものになればいいのにって、思っちゃいけないのかよ」

「そんなの誰だって思ってるさ。その結果、こうなってるだけで。なぁ、十真。人はさ、誰も彼もお前みたいに真っすぐじゃないんだよ。分かるだろ?」


 兄貴はそう諭すように、そしてどこか諦めたように、そう言った。

 …………あぁ、分かるさ。分かってるさ。俺の考えが可笑しい事くらい。ガキの発想だって事くらい。でも、俺はそれを捨てられない。捨てたくないんだ。だから俺はズレ・・てるんだ。


 何だか疲れてしまい、俺は頬杖をついて瞼を閉じた。

 ……嫌だ。人はもっと優しくて暖かい存在だと信じたい。世界は、もっと優しいものじゃあいけないのか。兄貴みたいな、真面目で正しい人が報われるような世界であっちゃいけないのか……?


 ――いったい、どうすれば優しい世界が作れるんだ。


 そんな、祈りにも似た願いを胸にしまったまま、俺の意識はゆっくりと眠気に溶けていった。







 そっと夜風が頬を撫でる感覚がして、俺は眠りから覚めた。


「兄貴、着いたのか……?」


 さてメロンパンの時間だ。最低でも二つはもらおうか。

 長く眠っていたのか、やや重い瞼をこすりながら身体を起こす。



 ……ん? 起こす?

 シートに座っていて上体を起こすも何も無い。意識を覚醒させて、周囲を見渡せば、どこかの山奥のような光景が目に飛び込んで来た。


「…………何だ、ここは」


 俺のいた場所は、林の中にぽっと出来た花畑であった。周囲を見渡すと目に入っているのは林しかない。……海老名SAってこんな熊さんに出会いそうな花咲く森の道だったのか? いや、馬鹿な事言ってる場合じゃない。俺の周りには兄貴もいないし車も無い。スマホ……は家に置いてきたんだった。しまった。連絡も何も出来ない。

 俺の足元には鮮やかな薄紫の花が咲き誇っていて、月明かりがそれを照らしている。いや綺麗だけどね。どこだここは。意味分からん。分からない事が多すぎて混乱してきた。


 その時、近くの林から、かさかさと何か葉が揺れる音が聞こえた。まさか、本当に熊さんじゃないだろうな? 恐ろしくなりばっと身構える。

 そうして、林の中から現れたのは…………!

 

「……子供がこんなところで何をしている?」


 熊が現れた。

 いや違う、熊みたいに大きな身体をしたおじさんだった。当然誰かは知らない。飛び起きて、ぐっと四肢に力を入れて警戒する。


「あぁいや、私は怪しい者ではない。そう身構えないでほしい」


 その、大きな身体をしたおじさん(と行っても若々しい見た目ではある)は、朗らかな口調でそう言った。相手も力を抜いていて、怪しさは感じない。……よかった、知らない人だけど親切そうだ。でも、どう説明したものか……。


「えっと……。その、信じてもらえないかもしれませんが、気が付いたらここに来ていたんです」


 どうせ笑われるだろうと半分冗談めかしつつ、力無くそう答えた。その瞬間、おじさんの目がキッと鋭くなった。や、やっぱり馬鹿にしていると思われたみたいだ……怖い……。


「……そうか。私は柊一郎いちろうという。君は?」

「海藤十真とうまです。十月の十に、まことで、十真とうまです」

「出身は?」

「えっ? 神奈川県ですけど……」


 そう答えた瞬間、おじさん――一郎さんは何故か悲しそうな表情を浮かべた。えっ? そんなに? 確かに神奈川県って警察の評判悪かったり、いじめや犯罪が多かったりするし、良いところと言えば東京に近い事と崎陽軒のシウマイと鎌倉の大仏と箱根くらいしか無いけど……。そ、そんな哀れに思われるほどひどいところじゃですよ? たぶん……ほ、ほら、今は武蔵小杉もありますし……。


「…………十真くん、よく聞いて欲しい。今から私が言う言葉は全て真実だ」


 一郎さんはそう、物々しい声で言い、再びゆっくりと口を開いた。



「ここは日本ではない。ましてや、地球ですらもない」



 …………はい? 何だって?


「ここはいずこかの、地球では無い惑星だ。平たく言うのであれば…………そう」

「異世界…………?」

「その通りだ」


 驚きすぎて、彼より先んじて言葉が出てしまった。異世界? ここが? 俺が? 地球から? 転移?


「ハハハ、まさかァ。そんなのは創作の中だ、け……」


 あまりに非ィ科学的すぎて笑い飛ばそうとするが、そんな俺を一郎さんは物悲しそうに見つめていた。そんな彼の様子に、俺の口からは、乾いた声すらも出せなくなった。

 …………えっと? ほんとに? 夢じゃなく? ファンタジーやメルヘンじゃあなく?


「あれを」


 そこで一郎さんは、上空を指さした。そう言えば、ここはやけに月光が明るい。日中……とまではいかなくとも、暗すぎて歩けない、なんて事は無いほどに明るい。

 不思議に思いながら、夜空を見上げる。すると、そこには――――月が二つあった。


「な、なんじゃあありゃああああああああああああああああああ!?」


 まるで目玉焼きの黄身のようにまるっとした月が、二つも夜空に上がっていた。月明かり二倍! 月は出ているか! そりゃ明るいわ!

 いや、ショックが大きすぎて何を考えていいものか分からなくなってしまった! しかし……これで本当に、ここは……!


「異世界…………なんですね」

「そうだ」


 …………なるほど。そうですか。


 ……………………。


 …………………………………………はい?

 

「意味、分からん……」

「あっ、十真くん!?」


 あまりに信じられなさすぎて、俺はその場にバタンキューと倒れてしまった。

 デスマーチから異世界生活は始まるんじゃなかったのか……異世界はスマホと来れるんじゃなかったのか……俺、トラックにも跳ねられてないし来る前に残念な神様にも会ってないしチートも貰ってないし……俺を召喚したゼロの魔法使いはどこ……ここ……?

 おかしい……こんなの……フィクションの世界だけなんだ……そうだ……目が覚めたらまた車の中なんだ……次に目が覚めたらパーキングエリアに着いていて、そこでおいしいメロンパンを食べるんだ……。




 ――この時俺はまだ知る由もなかった。

 これが、俺の願いを叶える冒険の幕開けだと言う事を。

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