第三十四話 育つ若木
ガッ。木刀が穿つ音が響く。
屋敷の庭で戦っているのは、二人の少年だ。二人とも年の頃は、十五、六といったところか。
一人は黒い髪と浅黒い肌をしており、もう一人は薄い髪の色と白い肌をしている。一見、違う外見だが、どことなく似ている感じもする。
白い肌の少年が、浅黒い肌の少年のまわりを、ゆっくりとまわる。浅黒い肌の少年は、その場を動かず体の向きだけを変える。
白い肌の少年が、にやりと笑った。
「やーっ!」
掛け声とともに高く飛びかかる。浅黒い肌の少年が顔を上に向けると、白い肌の少年は、ちょうど太陽を背にしていた。太陽の眩しさに、浅黒い肌の少年が顔をしかめる。
「もらった!」
白い肌の少年が木刀を頭上から振り下ろす。片腕で木刀を持ち、もう片方の腕は拳を握っている。木刀が防がれたときのための、二段構えだ。
受ける浅黒い肌の少年もまた、片腕で木刀を持ち、もう片方の腕は拳を握っている。
カーン。木刀がぶつかる音が響く。予想外の出来事に驚いた白い肌の少年を、浅黒い肌の少年が袈裟懸けに返り討ちにした。
「どうだ! 俺の勝ちだ!」
喜ぶ浅黒い肌の少年を、白い肌の少年が冷めた目で見つめた。
「
「どんな勝負も命がけだ。腕一本捨てるぐらいの覚悟がなくてどうする」
赫と呼ばれた少年が、いたって真面目な顔で応える。
「師匠! これでは稽古になりません!」
白い肌の少年が師に助けを求めた。
「
「しかし」
碧と呼ばれた少年が納得ができず、口答えしようとした。
「そうやって、頭で考えすぎるのがお前の悪い癖だ。実戦で、ずるいとか、卑怯とか言ったら死ぬぞ」
「わかりました」
たしかに、師の言うことももっともだと、碧が納得する。
次に、勝って得意そうな顔をしている赫に向かい、
「お前は、何を考えているんだ!」
と、どなった。
「だから、たとえ腕一本捨てても、勝つために」
「そうならないために稽古してるんだろうが! お前は、今日一日、左腕を縛って過ごせ!」
てっきり褒められると思っていた赫が力なく答えると、逆に厳しい罰を命じられた。
「そんなぁ~」
情けない声を出す赫に、
「そんなぁ~、じゃねぇだろう! 腕一本失ったら、一生片腕で過ごすんだぞ! 今日一日、片手を縛って少しは反省しろ!」
全くお前はいつもいつもと言いたいところを、ぐっとこらえる。
「二人がやっかいかけてすみません、小士郎さん」
稽古の様子を家の中から眺めていた蓮が、縁側に降りてきた。
「これが俺の役目だからな。お前も少しは体を動かせ。ずっと屋敷の中にいると体がなまるぞ」
小士郎の勧めを、蓮が笑ってごまかす。
「赫、碧。稽古が終わったら、次は勉学だ。
蓮が子どもたちの声を掛ける。
「はーい」
と楽しそうに返事をする碧に比べ、
「えー」
赫は、嫌そうな顔をする。
「赫は、なんで勉学が嫌いなんだ? 楽しいじゃないか」
自分の得意分野で兄を負かすことができると、碧は意気盛んになる。
「人には向き不向きがあんだよ」
赫は心底嫌そうに、しぶしぶと弟についていった。
「しかし、双子でも似てないもんだな」
いつもながら対称的な二人を見送り、しみじみと小士郎が言う。
「同じ血を持って、同じように育てられても、人は違いますよ」
自分と姉もそうだった。
「とはいえ、似ているところもあるがな」
小士郎が直前に言った自分の言葉を否定し、
「二人とも、心がやさしい」
さすがは俺の弟子だとでもいうように、自慢気に言った。
「しかし、亜莉紗が教えるのか。あいつは今いくつだ? まだ、子どもだろう」
小士郎が少女の顔を思い出す。蓮と玲奈の間に赫と碧が生まれた後、小間使い兼、赫と碧の遊び友達として雇われたときは、まだ幼かったはずだ。
「もう、十八ですよ。しかも、賢い」
「もうそんなか」
小さい頃から知っているせいか、まだまだ幼い子どもだという印象が強い。
「子どもたちの中でも、図抜けています。いや、大人でも、かなわないな」
蓮が楽しそうに言う。
赫と碧が生まれた後、蓮と玲奈は、浮民の子どもたちを、使用人かつ遊び友達として雇い入れた。一人、二人ではなく、かなりの数を、住み込みで。
同じように、鬼民の有力者の子どもたちを、将来国を支えるために育てるといって、領主の館に住まわせた。言葉はいいが、ある意味人質であり、断れば、将来役職につけないという、なかば脅しでもある。
そして、鬼民の子どもも、浮民の子どもも、別け隔てなく学ばせた。家臣たちが気付いたときは既に遅い。もう、子どもたちの間では、浮民も鬼民もない。
「子どもたちはみんな、わからないことがあると亜莉紗に教えを乞いに行く。亜莉紗の機嫌をとろうと必死ですよ。それを亜莉紗は、うまくさばいている。みんなに別け隔てなく接している。今、いちばん亜莉紗に頭が上がらないのは、赫ですがね」
剣術では誰よりも上の赫が、勉学は全然か。
――まるで、誰かに似ているな。
「鬼民と浮民の婚姻も進んでいます。既に子を成したものもいる」
もう一つ蓮が力を入れたのが、鬼民と浮民の婚姻だ。最初は、どちらからも猛烈な反発があった。
交わったら呪われる、二度と子ができなくなる。
そんな迷信が信じられていたが、領主自らが浮民と婚姻した。そして、双子を授かった。これが大きかった。
どんな迷信も現実にはかなわない。実際には、以前から密かにはあったのだろう。それが
「今、玲奈が、烏豌の相手を探しているのですが、なかなか苦労しているそうです」
「烏豌にか!?」
驚く小士郎だが、よくよく考えてみると、烏豌は今、葛の当主だ。跡継ぎが必要なのは間違いない。
「小士郎さんはどうです? まだ、姉上を忘れられませんか?」
「馬鹿野郎! なんで柊が出てくる!」
からかう蓮を、小士郎が怒った。
――柊か。もう、十年以上会っていない。
柊と最後に会ったのは、あの運命の一夜が開けた朝だ。
烏豌を倒した直後、すぐに蓮は触れを出した。今までの触れは梟の差金だったこと。柊が偽領主とは根も葉もない偽言であり、浮民の力を借りて梟の一派を倒すために立ち上がったこと。鬼民、浮民の両者とも、速やかに休戦すること。
そして、小士郎は梟の屋敷に向かった。そこで小士郎が見たものは、死んだ梟と、力を使い果たした柊だった。
領主の館に二人を運び、今後のことを蓮が中心となって決めた時、柊の怒りが爆発した。
蓮が打ち出した力による支配。それでは、いったい何のために戦ったのか。それだけでも受け入れ難い。なおかつ、家臣たちへの脅しに梟の首を使う。そのことに柊が激怒した。
梟のしたことは許しがたい。だからといって、死んだものを冒涜するとは何事か。そんな真似をするなら、弟といえども許さない。柊の体が万全であれば、その場で全員、叩き殺されていた、そんな勢いだった。
しかし、蓮はゆずらなかった。今、鬼ノ国を変えるには、力が必要だ。
両者の睨み合いが続き、蓮が言った。
「私に二十年下さい。必ず、この国を変えます。もし、変わらなければ、その時は、姉上の手で私をお斬り下さい」
と。さらに、
「それまで、姉上には、この国を去って頂きたい」
と続けた。
それを聞いた柊は、
「わかった。もし、この国が変わらなければ、お前の首をもらう」
の言葉を残し、振り向くこともなく去っていった。
「お前はすごいな」
鬼ノ国は一見、今までと変わらない。国の要職は鬼民が未だ支配している。しかし、水面下では全く違う。新しい世代が育っている。子どもたちには、鬼民も浮民もない。いっしょに育つ仲間だ。
そして、鬼民と浮民の血が混じり合う。自分の家族が虐げられれば、どんな人間も黙っていない。
蓮は種を蒔いた。その種は育ち、すでに蕾をつけている。あとは、花が開くのを待つだけだ。
「全て、姉上のおかげです」
蓮が種を蒔けたのは、柊が絡み合った理を断ち切ったからだ。
あの日、最後に二人は目を合わせること無く別れた。互いに顔を見ることがなかった。二人の顔を見ていたのは、小士郎だけだ。
蓮は泣いていた。下を向いて泣いていた。
柊も泣いていた。蓮に背を向けて泣いていた。
「俺は、あれで良かったと思う。お前は、柊を自由にしたんだ」
その後、全てが順調だったわけではない。力づくで押し通すこともあった。もし、柊が残っていたら、汚れ仕事をさせることになっていただろう。そんなことを柊にやらせるわけにはいかない。
「領主の座に縛り付けられるより自由に生きるほうが、ずっと、あいつには似合っている。親父は、あいつが領主にふさわしいと言ってたけどな」
結果的に、宗近との約束は果たせないことになってしまった。今、小士郎は、柊ではなく蓮を守っている。
「姉上は、きっと素晴らしい領主になったと思います」
蓮が遠くを見て言う。
「今のこの国ではなく、姉上にふさわしい国であれば」
そのために自分が代わりに務めているのだ。いつか、姉が戻れるように。自分の代ではできなくとも、次の代、その次の代で。
しかし、そんな物思いに耽る二人を、突然の喧騒がやぶった。
「あなた、大変です!」
玲奈が血相を変えて、あらわれた。
「どうした!」
この玲奈のあわてようは、ただごとではない。
「子どもたちが、牛を食べると!」
「牛を!」
「食べるだと!」
玲奈の言葉に、二人とも耳を疑う。
「小士郎!」
「あぁ、わかってる」
子どもたちを止めようと小士郎が飛び出す。しかし、その前に、赫と碧が立ちふさがった。
「お前たち、何をしている!」
一喝する小士郎に、二人が木刀を構えた。
「たとえ師匠と言えど、ここは通せません」
あわてている皆を尻目に、碧は変わらず冷静だ。
「亜莉紗の邪魔はさせない!」
たとえ命にかえても、ここは絶対通さない、赫の迫力は本物だ。律儀に小士郎の罰を守り、左腕を縛っている。
「亜莉紗?」
そういえば、亜莉紗に勉学を教えてもらっていたのではないのか、と蓮が首を傾げた。
「他国では牛を食べていると亜莉紗が言ったら、大人たちが嘘つき呼ばわりしたのです。だから、実際に食べることにしました」
「うまいらしいしな」
何を考えているのか。全く、子どものやることは手に負えない。
「食えるわけ無いだろうが! 食っても不味いにきまってる!」
決めつける小士郎に、
「師匠は食べたことがあるのですか?」
「だいたい頭が固すぎるんだよ」
生意気に口答えした。
しばし、師と弟子が睨み合う。やがて、香ばしい香りが庭に漂ってきた。
「あ、焼けたようだ」
「じゃあ、食べに行こうぜ」
時間稼ぎは十分と、二人がさっさと背を向けて走っていく。
「信じられん」
呆然とする小士郎に、
「食べてみますか?」
と蓮が言った。
――牛を?
――食うだと?
――食えるのか?
「子どもだけに、食べさせるわけにもいきません」
玲奈が子どもたちの後を追いかけていった。
「以前、優人殿が言ってました。どのように育てられるかで人は変わると。牛を食べると教えられれば牛を食べるし、牛を食べるなと教えられれば牛は食べないと」
蓮が亡くなった優人の言葉を思い出して言う。
「浮民と鬼民は違うと教えられれば違うと思う。同じと教えられれば同じと思う。それと同じです。人は当たり前のことに縛られる。当たり前のことを変えるのは難しい」
――牛を食べることと、浮民と鬼民を隔てることが同じ?
そんな馬鹿なと思ったが、たしかに、言われてみればそのとおりかもしれない。ただ、そう教わっている、それだけで人は人を支配する。それだけの理由で、人が人を苦しめる。
知らぬ誰かが作った理に、疑うこと無く従う。一度作られた理を無くすのは、人の力では敵わない。鬼の力があって、やっと理不尽な理を断ち切れる。
柊と俺達が命がけでやったことと、今、子どもたちがやっていることは、同じだ。
小士郎や蓮が、知らず知らず縛られている理も、きっと、次の世代が変えていくのだろう。
「きっと、姉上ならこの香りを嗅いだら、真っ先に飛びつきますよ」
蓮も、子どもたちの後を追いかけた。
――そうだな。あいつなら、真っ先に飛びつくだろうな。
――そして、怖気づいて食べない小士郎を、馬鹿にするだろう。
小士郎は、大笑した。
そして、小士郎も子どもたちの後を追いかけた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます