ZEROSUM GAME

ユマリモ

第1話 cloud 9【1】

 ガキの頃見たカートゥーンのヒーローはこう言っていた。

 「信じていれば相手に伝わる」と……


 今ならこう言ってやれる。

 ケツに「時と場合による」って付け加えておけ!くそったれが!!と。




 この世の端々の全てにおいて、光があるところには影がある。

 閑散として人通りも少ないさびれた路地裏と、そこの昼の姿しか知らない者はよくそう言う。

 だからそんな彼らがうっかり、陽の落ちた後のそこを通ろうものなら、その路地裏の「昼間の世界」とのあまりの変わり様に、何か大規模な手品を見ているのではないか、といった感想を多くが持つのである。


 その区画は昼と夜とで、異世界であるかのように漂う空気が違っていて、さながら夜行性の動物の生態そのもののようなのだ。昼はなりを潜めていた喧騒が夜になれば一転し花開き、薄汚れた歓楽街が姿を現し、その空気にふさわしい人間達が羽虫の様に呼び寄せられる。

 道行く男達を誘惑する売春婦、泥酔しひっくり返る男、取っ組み合いの喧嘩……。


 そんな喧騒を小走りに駆け抜け、その男は一直線に目当ての路地裏に向かっていた。

 一見この街に踏み入るのは初めてなのか、不慣れなのか、と思えるほどにオドオドびくびくとした眼鏡をかけたその男は、しかしまるで鼠のようにするすると、入り組んだ路地裏を抜けていった。

 この男、実はつい一週間前まで薬物使用で留置場にぶち込まれていた。保険会社から保釈金を支払ってもらってやっと娑婆に出たのはいいが、あろうことかその立て替えられた金をそのまま踏み倒して逃げてきたのだ。

 そして今、この鼠のような男はある所をひたすら目指していた。路地のとある一角に差しかかったところを勢い込んで曲がり、アパートの裏側に飛び出す。


 すると、堅気はお天道様でもお断りと言わんばかりの、後ろ暗い空気が満たされた世界がそこにはあった。道を彩るネオンはところどころに壊れており、その露出したフィラメントがギチギチと奏でる悲鳴のような耳障りな音が路地裏に響いている。

 そこの空間が狭いという事実以上に、異物を寄せつけない一種の閉塞感が、そこをより狭く暗く影を濃くさせていた。


「……客か?」


 まだ息が少々乱れている来訪者に警戒心のにじむ声が投げられた。


 男がぐるりと声のした方を向けば、いかにも育ちの悪い不良といった風体の少年が寂れたアパートの裏口と舗装された地面とつなぐ小さな階段に腰をかけている。

 おそらくこの現場の見張り役といったところだろう。


 男は安堵した。釈放され留置場の門を抜けてからここまで道のりは短くなかった。何事もなく誰にもとがめられず、やっと目的地に着いたのだ。

 男がここにわざわざ来た理由、それは、ここでしか手に入らないこの男が、いや、この男も欲してたまらない物がそこにあるからだった。


 そして今、目当ての物がようやく手に入る……高揚感と期待とに男の口の端は笑みの形に釣り上がるのだった。


「いよう! 社会のクズどもお元気かい?」


 極めて能天気な明るい、日蔭者たちの纏う空気にはおよそ場違いな声が路地裏に響き渡った。薬物の「秘密の取引」にすっかり興じていた男たちは驚き、弾かれたように顔を上げた。


 チカチカと不規則に点滅する街灯と言うには少し頼りない灯りの下には、たれ目が特徴的な男がへらへらとしたゆるんだ表情で、これまただらしなく崩した姿勢で立っていた。


 柔和な印象を人に与えるはずの目元と、更に今は緊張感のみじんもない表情をしているくせに、相手を値踏みし出方を推し量るかのように目が笑っていない。そのすぐ下の瞼には、煤でも塗りこまれたのかと思うほど、くっきりとしたくまがあった。

 服装こそラフなものであるが、日蔭者達の目は、彼はここでの異物そのものだ、と警報を出すばかりだ。


 降り注ぐ限られた光を、煙草から流れる紫煙がうっすらと照り返す。男達には到底この人物への警戒心を解くことはできなかった。


「誰だてめぇは!!」

「あ? 名乗るほどのモンじゃねぇよー」


 ひらひらとだるそうに片手をあげながら、たれ目の男は質問をちゃらちゃらとした口調で遮った。うっかり不思議の国に迷い込んだ可哀想な一般人ではないのは明白だった。

 ふいー、とタバコの煙を吐き出しながらその男は何やら手に持った紙片と、今しがた「取引」に興じていた客の男とを見比べる。


 その無言の数秒間、じろじろと検分するかのように視線を飛ばされている男は、ここまでの道すがらの時と同じようにまるで鼠のように縮こまっているしかなかった。この相手の男が何者なのかは分からないが、売買取引中の薬物は違法のものである。


 こんなところで取引に興味のなさそうな、おまけに自分達と同類とはとても思えない男に構っている余裕はない。はずだった。


「……んで、お前が保釈金未払いの糞野郎か。それなのにヤク代払えるなんて、面白いことしてんなぁ」

「てめえ、バウンティハンター《賞金稼ぎ》か!?」


 相手の男の手にあるものはおそらく、保険会社から提供されたターゲットの資料写真だったのだろう。

 売人が相手の男の言葉からそう気付き、先制攻撃による威嚇をせんとして拳銃を構えたが、それよりも早く突然の来訪者はみずからのガンホルダーから得物を引き抜いた。

 そして表情無く、ひとかけらもためらわず、引き金を引く。


 ガウゥンッ!! ガウゥンッ!!


 銃声二つ。


 賞金稼ぎが立て続けに放った銃弾は、一つ目は相手の売人の手元から拳銃を叩き落とし、もう一つは客の男の腹を直撃した。


 突然の腹への鋭い衝撃に男はたまらず膝をつき、嘔吐し地面に頭をなすりつけ、苦悶の表情でのたうちまわる。

 自身の吐しゃ物にまみれた口からは、怨嗟の声にも似た低く響くうめき声が、ほとんど言葉を形作らないままに吐き出されている。


「ゴム弾だ。死にゃしねーよ」


 地に伏せって俎上のウナギのようにぐろぐろと動く男に、何の慰めにもならない言葉をかけながら、賞金稼ぎは、ずい、と薬物の売人であるもう一人の男の前に歩を進めた。


「さて、と」

「おい……何だよ⁉ 俺はこいつとは関係ねーぞ」


 たった今しがたの冷徹で正確な賞金稼ぎの攻撃で、売人からはすっかり戦意など消え失せていた。ここは大人しく客の身柄を渡してしまえばこちらの方は安泰だろう。

 そう彼は1秒足らずの間に算段していた。


 客なんて一人欠けても、また次を探せば良い。それだけだ。そのはずだった。

 無表情で近付く賞金稼ぎに恐れをなしたのか、売人は怖気づいたように後ずさった。先程あげた誰何の声の威勢良さはどこへと逃げたのか、対照的なまでにその顔には怯えの色が見て取れた。


「お前の目的はコイツだろ!?」

「ん? まぁなー、こいつは依頼されているからな」


 賞金稼ぎはその歩みを止め、いまだに暗い地面の上にうずくまり涙と額を路面にこすりつける男の頭をつま先で小突く。そのかすかな衝撃に彼は小さくうめき声を上げた。


 ゴム製であるとはいえ、それは主に人の制圧用で作られたものなのだ。当然人体に死亡の危険は少なくても、与えるダメージは小さいものではない。

 ましてやこの至近距離からの被弾の衝撃なら、当たり所によっては衝撃で骨を砕くこともできるほどである。

 ゴム弾で腹を撃たれた男が動けるまで回復するにはまだ時間がかかるようだ。


「でも俺が腹割って話したいのは、てめぇだ」


 賞金稼ぎであるはずのこの男が、肝心の『賞金首』である、すぐそばで動けないでいる客には目もくれない。つかつかと靴を響かせ迷いなく男は売人との距離を一気に縮めた。


 この男の目的はなんだ?ターゲットはもうこれ以上逃げられないはずだ。

 ならばもうこの場に用は無いはずだ。ターゲットを警察署に配送してやればそれでおしまい万々歳だろう。


「一度しかいわねぇ……よく聞け」

「いやいやいや、俺そんな聞かれるようなこと何にも無ぇし……!!」

「てめぇは言われたことに対して口を開くだけでいいんだよ。それ以外は喋るな」


 つい先程までの軽い口調は影をひそめ、賞金稼ぎは威圧的な口調と共に、売人の襟首を勢いよくつかみ上げ、鼻先にまだ火薬のにおいと不気味な温かさが残る銃口を突きつけた。

 いくらゴム弾だろうともその威力はさっき目の当たりにしている。このような至近距離でぶっ放されてはいくらなんでもひとたまりもないだろう。


「ジョン・ドウ……知っているだろ? そいつ、どこだ?」

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